戦後の二条城
初めに
これは大学時代のレポートをただただちょこっと編集だけして晒上げるだけの在庫処理記事シリーズです。なんでそんなことをするかと言うとなんか1日1本のペースが続いているので途切れさせたくない、けど創作落語などのネタも出来上がってない、1からなんか書くのもしんどいという筆者のカスみたいなわがままによるものです。たまにこういうのもあげます。今回は大学1回生の秋学期に書いた二条城についてのものです。
年表
1952年(昭和27年) 文化財保護法の制定により、二の丸御殿6棟が国宝に、
東大手門など22棟の建物が重要文化財に指定される。
1953年(昭和28年) 二の丸庭園が特別名勝に指定される。
1965年(昭和40年) 清流園造成。
1982年(昭和57年) 二の丸御殿の障壁画が重要文化財に指定される。
1994年(平成6年) ユネスコの世界文化遺産に登録される。
2005年(平成17年) 二条城障壁画 展示収蔵館 開館。
2011年(平成23年) 二条城本格修理事業に着手。
清流園について (hp、内田・北山2000参照)
・概要
清流園は1965年に造営され、東半分が芝生の洋風庭園、西半分が和風庭園となっている
和洋折衷庭園である。また鑑賞だけでなく実用的な庭園にもなっている。
・作られた経緯
二条城の庭園は二の丸庭園、本丸庭園、清流園の三つなのだが、清流園は造営が1965年と他の庭園に比べて新しい庭園となっている。ではなぜ新しく作られたのかというとその歴史に着目すると見えてくる。二条城建築当初の清流園地区は天守閣の一部と連絡通路が占めていたが寛永元年から3年における天守閣の淀城への移築により空き地となり寛永11年からは東御番衆小屋が建造され、火事による消失、再建ののち明治初期に撤去。大正時代には二条城自体が大正天皇の即位の饗宴の会場となったこともあり、清流園地区も饗宴施設が増築された。その後それらの一部が岡崎桜の馬場に移築されたため跡地に緑地が復旧された。ここまでを見るとそれぞれの時代に合わせた土地の使われ方をされながらも城の風景と調和した景観を維持していたと考えられる。しかし、1950年に当時日本を統治下においていた連合国の進駐軍の意向によりテニスコートに転用されたがこれは城の景観に不釣り合いなものとなっており当時の文化財保護委員会からも苦情があったものの代わりとなる施設がなくそのままとなってしまっていた。
しかし、1963年に西院公園テニスコートが計画決定され,テニスコートの代替地ができることとなり、外国の来賓を迎える施設がないためにテニスコートを撤去し二条城に新庭園の作庭を検討していた京都市は日本銀行京都支店が店舗新築のため田中市兵衛別邸(角倉了以邸跡)を買収したことを機に敷地内の茶室や集会所などの譲渡を依頼し、無償で譲り受けることになり、日本銀行との贈与契約書が交わされ、その第1条には「甲(日銀)は本物件を乙(二條城)が二條城内に移設,復元し来洛国賓等の接遇ならびに一般市民の憩いの場として公的使用に供する事…」と記された。これをもとに現在の清流園は作られた。
現在の清流園(hp参照)
清流園は先述の通り、和洋折衷庭園で東半分が芝生を敷き詰めた洋風庭園、西半分は二棟の建物を含めた池泉回遊式庭園(和風庭園)からなる。西半分の二棟の建物は、国内外の来賓を迎えてのお茶会や市の事業の茶会を開くとともに普段は喫茶として来場者の憩いの場として利用されている和楽庵と通常は内部が非公開ながら期間限定で食事の提供を行っていたり結婚式の式場で使われる香雲亭である。


清流園の情景や来城した人たちの様子からもこの庭園が城の景観と上手く調和し多くの人の憩いの場になっていることが分かる。
改修工事について(hp参照)
二条城は創建から多くの改築、改装を経てこれまで京都を代表する観光名所として人々に親しまれて、世界遺産にまで登録されている。しかし最後の改装から長い時間がたっているため傷んでいるところも少なくない。そこで2011年から文化財としての価値を守るなどの名目でおよそ20年をかけ城内全ての建造物を中心とした大規模な改修工事が行われている。

二の丸御殿は二条城の見どころの一つであり、全6棟からなる国宝にも指定されている御殿群。この建物も2024年から改修工事が行われる予定となっている。
第1期
2011-2013年度
唐門・築地
2014-2016年度
東大手門
2015-2017年度
番所
第2期
2017-2023年度
本丸御殿
第3期
2024-2027年度
二の丸御殿(白書院他2棟)
溜蔵・二階橋廊下
第4期
2028-2036年度
二の丸御殿
東南隅櫓他14棟
この工事は合計100億円もの規模で行われているため「一口城主募金」と題して募金を募っており、その金額に合わせて特典が付いてくるということをやっている。
なぜ?
なぜそこまでして二条城を文化財として保護すべきなのか?それはやはり二条城で日本の歴史上の重要な出来事が多く起きていたことが挙げられる。その最たる例が徳川慶喜が大政奉還の意思を表明したことである。これにより江戸幕府は終焉を迎えていき明治の新政府へと政権が移っていくこととなる。このように歴史上の大きな出来事と関わっているという点で貴重な文化財であるという風に考える。またその美しい景観が人々に親しまれているというところもあるのだと思う。
まとめ
清流園が出来た背景には当時の情勢が絡んでいたりすることが分かった。また二条城は歴史的に価値があり、またその景観などから人々に親しまれている文化財であることが分かった。
参考資料
内田仁・北山正雄「二條城清流園の成立過程及び地割・植栽の経年変化について」
(『ランドスケープ研究』、2000年)
二条城hp https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
(2022年10月11日閲覧)
