見出し画像

玄関で、靴をそろえる

休みの日、鳴るはずのないPHSの音で目が覚めた。街で救急車のサイレンが聞こえれば、あれはうちの病院に向かうのか、どんな症例だろうかと、呼ばれてもいない頭が勝手に動き出す。医師になって十年、救急と集中治療の現場で、体は病院の音に調律されていた。

あの世界では、患者さんが医療の側へ運ばれてくる。ストレッチャーと土足の廊下、明るすぎる照明の中で、私は待ち構える側だった。

二年前の冬、在宅医療の現場に出て最初に驚いたのは、アラームもサイレンもない静けさだった。訪ねる先は、私の暮らしと変わらない普通の家ばかりだった。救急外来から想像していた「家」は、もっと遠い場所だったのに。

チャイムを押す。「どうぞ」と声のする家も、鍵を開けて出迎えてくださる家もある。「お邪魔します」と靴を脱ぎ、そろえる。鞄の中にあるのは血圧計と聴診器、日々のケアに要るものばかりで、物々しい救急の道具はほとんどない。

どの家でも、意識のない方にも認知症が進んだ方にも、同じように挨拶をする。「こんにちは。中村です。よろしくお願いします」。ここは病室ではなく、その方の家だ。よそさまの家に上がって、家の主に挨拶をしないわけにはいかない。

在宅に出て間もない頃、ある家で言われた。「お忙しいところ、来てくださってありがとうございます」。むず痒かった。仕事で来ているのだし、忙しいも何もない。それなのに、少し恥ずかしくて、確かに嬉しかった。救急の十年でも、感謝されることはあった。けれど「来てくれて」ではなかった。来るのは患者さんのほうで、私はそこで待っていたのだから。医療が暮らしのほうへ出向く、それをこんなふうに受け取ってくれる人がいる。

調律された体は消えておらず、アラームに似た音には反射的に反応してしまう。ただ、使い道が変わった。悪化の芽を見つけ、先回りするようになった。ケアマネジャーや訪問看護師とは、数値だけでなく、その方の暮らしにいま何が必要かを共有する。運ばれてきた人を救う技術に十年。運ばれずに済むよう支える技術は、まだ二年目だ。

未来のためにできることは、大きな話ではない。住み慣れた家で暮らし続けたい人のところへ、医療のほうから出向くこと。「お邪魔します」から始まる医療を、少しずつ増やすこと。今日も玄関で靴をそろえながら思う。医療は、暮らしの主役ではない。「お邪魔します」と上がらせてもらう、そこから始まる仕事なのだ。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集