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津山城の重厚な石垣はロックかも? 【森家→越前系松平家】岡山県津山市

平成になってからのようですが、晴れの国を打ち出すようになった岡山県(実際に晴れの日が多いという気象データが)。
岡山県津山市はかつては美作の国府が置かれた地で、鳥取県との県境。
観光地としては瀬戸内海側に目が向きがちな岡山県ですが、内陸部にも歴史と文化の集積地が。元をたどれば吉備の国という歴史に集約。


津山市は岡山県北部にあり、岡山市、倉敷市に次ぐ県内第3の都市。
人口は94,000人で、現在は中国道が東西に横切っている歴史ある町。

室町時代の美作みまさかは、四職(幕府要職)を務めた赤松氏と山名氏による争奪戦が繰り広げられた国。
また戦国時代には北からは尼子氏、南からは浦上氏や宇喜多氏が。

統一の最終章・安土桃山時代には東からの織田家と西からの毛利家が激突し押し合い、歴史的に諸勢力の境目に位置したエリア。
今回は津山のシンボル津山城を中心に。

津山郷土博物館

津山郷土博物館は津山城の南すぐそばにある市立ミュージアム。
現在の建物は、旧津山市庁舎(1933年竣工)を改装して1988年に開館。

岡山県津山市山下92

パンフ 2023年版

2F展示室への階段には旧領主松平家の大名行列図(パンフにも)。

熊毛槍 @津山郷土博物館

旧市庁舎にしては天井の高い展示室。
行列図にも描かれている熊毛槍は、公式行列では松平津山藩主家の目印。
黒が藩主、白は嫡子用。重さは柄と鞘との合計で15kg。

ちょっと読みにくい扁額

藩校修道館の扁額を揮毫したのは松平8代藩主斉民なりたみ(11代将軍家斉いえなりの15男!)。ちなみにお隣鳥取の池田家にも家斉の息子(13男)が養子に。

津山城 @津山郷土博物館

津山城模型は広島大学工学部の手による1/136というビミョーなスケール。
ただし築城したのは松平家ではありません。
もし現存していれば、要塞感たっぷりでその姿は勇壮。

城下町絵図 @津山郷土博物館

津山城下町絵図は1723年ごろの制作。

南側から天守を眺めると、その天守ベース部分に同化しているのが備中櫓(現在は破却から復元されています)。

昭和です

津山城

津山城は1603年に美作みまさか一国186,000石に入封した森忠政が、鶴山に13年というけっこうな歳月をかけて築城。
お城の東側を流れる宮川、南側を流れる吉井川を外堀としています。

お城南側には出雲街道が通り、その東西には今も古い町並みが残っています。またお城の北側には仙洞御所を模した池泉回遊式の大名庭園衆楽園しゅらくえんも現存(歴史としては岡山の名庭・後楽園より古い)。

お城は鶴山の山頂を平らに削って本丸を形成。ざっくり三層構成。
本丸までは、いい運動になります。

第一層

織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康と3人の権力者から一目置かれた森家は、バリバリの織豊大名らしく壮麗な石垣を鶴山改め津山に構築。
かつては高さ約22m五層の天守閣がそびえ、60棟もの櫓がありました。
残念ながら明治期に破却。

P2023年版
激減した公衆電話が今なお現役

森忠政

森忠政もり ただまさ(1570-1634)は、織田信長初期の統一事業を支え、信長からの信頼も厚かった可成よしなり(美濃金山城主:1523-1570)の末子。
ちなみに可成は織田家包囲網戦の過程で長男・可隆と共に戦死しています。
津山城入口の忠政像は貫禄十分。

ベースは本源寺所蔵(森家菩提寺)の木像

また忠政の兄には織田信長に近習として仕え、本能寺の変で討死にした蘭丸らんまる成利なりとし)、坊丸ぼうまる長隆ながたか)、力丸りきまる長氏ながうじ)らが。
まさに信長に人生を捧げた森ファミリー。

森家は源氏の嫡流・八幡太郎義家よしいえの血筋とされ、織田・豊臣両政権で重用されています。忠政の次兄長可ながよしは、信長から一字を拝領されるほどその武勇を愛され、受領名の武蔵守から鬼武蔵と呼ばれた剛の者。
ちなみに長可は、小牧長久手の戦いで徳川家康軍に討ち取られています。

森家は後に津山から播磨・赤穂へと改易されますが、幕末まで存続。
森家に代わって津山城主の座についたのが、徳川家康の2男秀康ひでやすの系譜(越前松平系)。

ここは第二層 あれが備中櫓

ルート順に進むと、かつての藩校だった建物にたどり着きます。
この時は、インバウンド軍団がゆるゆると進軍中だったので一旦スルー。
先に本丸を目指します。

先ほどから階段になにか標語のようなものが。

ようやく第三層

ゆっくり読みながらどうぞ!ということでしょうか。

先ほどのインバウンド軍団は休息中

中国地方のこんな山の中(ゴメンね)までやって来る彼らは、けっこうなオタクあるいはかなりの歴史通の面々でしょうか。

本丸

目ぼしい建築物の1つ。備中櫓は当時御殿の一部として機能。
藩主とその家族のための建物だったそうです。

櫓に外廊下

櫓としては畳敷きに天井張りと豪勢な内装が再現されています。
御座之間、御茶席、御上段を備えたセレブ空間は、2004年の復元。

御座間

櫓内に違い棚やトイレと戦闘用施設の雰囲気ではありません。

この鍵ではセキュリティゆる過ぎ。まあ襖ですけど。

狭い階段の踊り場?は豪華に畳敷き。

御上段
家紋の鶴は森家バージョン
本丸から南側

南側にはルートイン、α-1、津山セントラルとここから見ただけでもビジネスホテルが3棟。観光需要だけではなさそうです。
ちなみに岡山市からは、車の下道利用でも1時間ちょっとの距離。

やや西側

巨大な複合施設・アルネ津山に入るのは、地元岡山のデパート天満屋。
またその周辺にはアーケード街(かつての出雲街道?)も。

本丸北側

手前に御厩堀。その向こうの建物は、後ほど重要文化施設であることに気がついた津山文化センター。

天守台
備中櫓

忠政の石垣は、結構な力作だった事が見て取れます。

天守は本丸の西側に。現在は殺風景な本丸ですが、かつてはこの場所を埋め尽くしていたのが本丸御殿。

矢切櫓跡
帰りも

そして藩校の記憶を覗いてみると、歴史の新しい1ページが・・・

鶴山館は、藩校「修道館」の一部(漢学クラス)を現在の三の丸に移築した建物。明治以降は各種の学校として使用された建物で、明治末期に売却予定でしたが生き残って鶴山館に。1975年に大規模改修済み。

鶴山館

藩校建設当時は藩主の間が設けられていたようですが、移築時に簡略化。
改修時には当初の図面を参考として、出来るだけ復元されたそうです。

現在は、パネル等のプチ資料展示スペースでした。

と思いきや、やや毛並みの異なる展示物が・・・
パネルの紹介が「さん」づけなのがロッカーっぽくありません。

オーッ そういえば!

B’zは日本のロックユニット。そして写真右の人は津山の出身。
右側の人稲葉浩志いなば こうし(1964- )は、B'zのボーカル&短パン担当。
一般的にはウルトラソウルな人(あくまでイメージ)。

右だけ市民栄誉賞の人

パネルは2017年、あの文化センターでの凱旋公演時の記憶。
なぜココに保管されているのかは不明ですが、歴史的な重要資料なのかも?
展示方法?が、屏風のように妙にフィット。

城とミュージシャンの連携はあまり見た記憶がありませんが、これも歴史。

お城マニアには見どころの多い晴れの国・岡山
美しい大名庭園を擁し豊臣系らしい漆黒の天守は備前・岡山城。
また猫城主さんじゅーろーで知られる備中松山城は、石垣というより岩盤の上に貴重な現存天守が建つお城。
そして重厚な石垣では岡山城のはるか上をいく美作・津山城。

この三城のトライアングルは、強行軍による観光も可能な位置(距離)関係にあります。またオプション追加によるバリエーション展開も多彩。

かつての一国一城令が結果オーライに繋がっているのが岡山の面白さ。

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