移住1年目、正直キツかった話。
移住1年目。
正直に言う。キツかった。
仕事が見つからない。
大阪では化学薬品メーカーで研究職をしていた。管理部門に異動したとはいえ、専門職だった。
でも、屋久島にはそんな仕事はない。
当たり前だ。わかっていた。離島に化学薬品メーカーがあるわけがない。研究職の求人があるわけがない。
わかっていたけど、現実として直面すると、焦った。
求人情報を見ても、自分に合う仕事がない。
保育士、介護士、農業、観光業。島の仕事は限られている。自分の経験が活かせる仕事は、ほとんどなかった。
貯金が減っていく。
毎日、通帳の残高を見ていた。100万、90万、80万…。減っていくのを見ているしかなかった。
しかも、前職の収入ベースで住民税が来る。
収入がないのに、税金は払わなきゃいけない。これが、地味にキツかった。
「来なきゃよかったのかな」
何度も思った。
妻は何も言わなかった。でも、不安だったと思う。知らない土地で、子ども2人を育てながら、仕事が見つからない夫を支える。
僕も不安だった。毎日、求人情報を見ていた。でも、自分に合う仕事がない。
妻に「戻ろうか」と言おうとしたこともある。でも、言えなかった。言ったら、本当に終わる気がした。
それでも、島での暮らしは続いていく。
子どもと朝ごはんを食べる。一緒に散歩に行く。夕焼けを見る。星空を眺める。
神戸にいたときは、そんな時間なかった。
片道2時間の通勤。子どもの寝顔しか見られない日々。駅のホームで座り込んでから帰る夜。
今は、子どもと毎日過ごせる。「おかえり」を言ってもらえる。
キツかった。でも、同時に幸せだった。
矛盾しているかもしれない。でも、本当にそうだった。
お金がなくて焦っている。でも、子どもと過ごせて幸せ。
仕事が見つからなくて不安。でも、朝焼けを見て感動できる。
キツさと幸せが、同時に存在していた。
縁あって保育の世界に入った。
化学の研究と、子どもの保育。まったく違う世界だ。でも、やっていくうちに気づいた。大事なのは、「何をするか」じゃなくて、「誰のためにするか」だった。
前の園長先生が東京に戻ることになり、園長を任せてもらえるようになった。
今は、毎日子どもたちに囲まれて働いている。
あの1年目のキツさがあったから、今がある。そう思えるようになった。
移住を考えている人へ。
1年目は、キツいかもしれない。仕事が見つからないかもしれない。お金が減っていくかもしれない。「来なきゃよかった」と思うかもしれない。
でも、それで終わりじゃない。
キツい時期を乗り越えた先に、何があるかは、自分次第だ。
