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なぜ邦ロック好きはフェスで人にぶつかっても謝らないのか

夏が来た。夏フェスのシーズンが来た。ぶつかる人も来た。

夏。湿気と紫外線と、多めの塩分補給タブレット。
この季節、邦ロック好きの脳内には、ロッキンジャパンのタイムテーブルが刻まれる。

すっかり慣れてしまったが、初めてフェスに参加した時に思っていたことがある。
「なぜフェスで人にぶつかっても謝らないのか?」

いや、ぶつかれとは言ってない。
でも「え、ごめん!」の一言、なくない?と。冷静に考えると、ちょっとした謎である。

自分も“謝らない側”になっていた件


僕は邦ロックが好きだ。ライブも好きだ。フェスも好きだ。
サークルモッシュにもダイブにも、そんなに積極的じゃない。なのに。

ある年、ロッキンジャパンのGRASS STAGEで04 Limited Sazabysの“monolith”が鳴った瞬間。
周囲の空気が“重力ゼロ”になる。もはや全員がバルーン。飛ぶ、跳ねる、弾ける。
隣の人に軽くぶつかった。でも、謝っていなかった。
たしかに目が合った気がする。でも、うなずき合って終わった。それだけ。

あの瞬間、「無言の了解」がそこにあった。

フェスは“あらかじめ共有された異世界”


ロッキンの会場に足を踏み入れた瞬間、空気は日常から非日常に変わる。

・汗だくの人が肩を組んで歌っている
・知らない人同士が曲に合わせてハイタッチしてる
・地面に落ちた靴やスマホを全員で捜索する

そう、フェスとは**“許し合いがデフォルトの空間”**なのだ。

ぶつかっても、「ごめん」はなくても、「大丈夫だよ」みたいな顔で返す。
お互い「ここにいる目的」がハッキリしているからこそ、言葉がいらない。

“同じ温度の感情”があると、人間は言葉を減らせる


オーラルの“狂乱 Hey Kids!!”が鳴った時の話。
前から押し寄せる波に負けて転んだ女子を、知らない男子3人が即座に支える。
誰も名乗らないし、誰も礼を言わない。
けれど、それぞれの顔には“なんか、ありがとう”と“いや全然!”がちゃんとあった。

共通言語は「曲」であり、「感情」だ。

邦ロックフェスでは、ある種の“感情圧”が場を支配している。
だから、最低限のアイコンタクトや笑顔だけでコミュニケーションが成立する。

ぶつかっても謝らないのは、「楽しんでる証拠」かもしれない

もちろん、故意にぶつかったりマナー違反はNGだ。
でも、「あ、楽しくなっちゃってすみません」が、
「うっかりぶつかったけど、あなたも楽しんでるよね?」になる瞬間がある。

それはたぶん、“音楽の魔法”みたいなものなんだと思う。

じゃあ、謝らないのは正しいのか?


結論から言おう。

正しくはない。けど、たぶん「正解」ではある。

「ぶつかっても謝らない人たち」の多くは、悪気がない。
その場に流れる“バイブス”に身を任せてるだけなのだ。

そして、周囲の人もそれをわかってる。
フェスという空間では、「衝突」も「共感」も、ひとつのリズムとして許される。

じゃあ謝らなくていいの?


いや、謝ってもいい。
むしろ、謝った方が良いケースも多い。
でも、謝らなくても「目を見て笑う」「親指立てる」「手を上げる」だけでもOKだったりする。

大事なのは、「ちゃんと人間として関わってる」感だ。

最後に


今年も夏フェスのシーズンがやってくる。
音にまみれて跳ねまわる人も多いだろう。

たぶんまた誰かにぶつかるだろうし、ぶつかられる。
でも、そこでニヤッと笑えたら、フェスとしては100点だ。

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