人生100年現役時代なら、自分らしく生きられる住まいをつくりたい!
現在、茶道教室を始めまています。お茶をやってきた母と一緒に?どちらかというと、母のお点前をちゃんと見て盗みたいという言葉が適切かもしれません。そのために、母がまだ生きているうちにお茶を一緒にしたいなと思いました。そのために、どこでお茶をするのか?どうやってするのか?どう生活するのか?と考えは置いておいて、きょうだいに辞めることを報告した後、とりあえず前職を辞める手続きをはじめました。端折って書いているところありますけど。
私は、誰もができるだけ長く、自分の力で自分らしく暮らせるのがいいと思っています。そんな私の母はこれまでに骨折2回(手と背骨)のために、お茶からも離れることになっていました。先に手を骨折した理由が、「卓球台が倒れてくるのを支えようとして」だったときには、なぜ若くないのに手を出すのかなぁと元気すぎる母に驚いていました。それを機に弱ったなぁとは思います。2回目の時は、路地で猛スピードだったのかわかりませんが、車をよけようとして転倒。私が知ったのは救急車で病院に運ばれた後です。その車の運転手もわかりませんが、とりあえず、そこからの復帰。なんと、「完治しましたよ」とお世話になっている整骨医院の院長より言われて、ホント驚きました。もちろん、完治と言っても、その年齢でここまで行けばそう言ってよいという範疇のことですので、現在もリハビリ中です。
さすがに入院となったときに、私は職場で短期介護申請をしまして、いろいろ対応しました。そのあと、退院して、仕事が忙しいと母とお茶なんて言ってられないなぁと思っていました。
そんなこんなで、私が仕事を続けるために、母に介護施設に入ってもらうか、この状態を続けるか、管理職同僚にムカついたときに仕事を辞めようって思いました。辞めてどうするか?母のお茶をまずちゃんと見ることができる状況を作ろうと思いました。
介護施設へ行ってもらうことは、背骨を骨折したタイミングで、ケアマネさんからもこのタイミングが一番円滑ですよとは言われていました。だけど、私は入院していた病院に完全にインフォームドコンセントの言葉を出して拒絶。いち早く退院させようと決めて動きました。母は生まれてここまで出産以外入院体験ない感じで、うまく病院で過ごすこと自体面倒でしたので、喜々と退院しました。ということで、スムーズに介護施設へ入れていない御蔭さまに、家にいる母が元気なら、私の母のお茶のお点前を学びたいが達成できるという現状を私のために生かそうと思いました。
4月からお茶の教室をはじめようと準備できるために有給休暇全て取りたいくらいに思いながらも、3月31日まで働いて4月猛然ダッシュは無理です。それでも、時間をみつけては昨年末から3月まで一生懸命にどうしようかな?と考えている中で、昔描いた夢を思い出しました。
マンションみたいな共生するためのビルを建てて、老後を過ごしたい!
ほそぼそとお茶をして過ごそうと思っていましたが、思い出したら即、それがいい!と軌道修正。現在に至ります。昔描いた夢ですが、3年以内に実現したいですねと今、その道のプロの方にもご相談中です。3年は、その夢な住まいに母も一緒に入れるといいなぁと思うからです。
そんな住まいを考えたきっかけは、老後の生活を考えたときに「愉しく過ごしたい」というところからでした。遥か昔ではないけど、夢を描いたときの友人たちがFacebookで繋がっていますけど、全員が福岡にはいないのです。そんな中で、考え付いた思いは年をとっても交流できるといいよねでした。
そして、母が年老いて、骨折してもなお、いろいろ不自由なのですが、実は東京や大阪などにも連れていってます。ホテルにいろいろ宿泊して、きょうだいに最期化もと思いながら会わせて、今も元気に過ごせている母を通して学んだことがあります。それが、ユニバーサルデザインやバリアフリーと言っても、全然有効ではないことがいっぱいだなぁということです。現在、母は自分の家のお風呂には入れない状況なのは改修だけで対応ができるかもわからないなど、そうやっていろいろと母を連れ歩き、体験したことは、まだまだ日本は年老いたら生きにくいということでした。
人生100年現役社会をつくると掛け声はいいですけど、ちっともそうなっていない現実をたくさん、母のお蔭で知ることができたのです。だったら、自分がこの先老いるわけですから、過ごしやすい社会にしたいって思いませんか?元々そんな思いはありましたけど、他人任せに作られたユニバーサルデザインの住まいもあまり本当にユニバーサルデザインではないということに気付されて、考えたのは「本物のユニバーサルな住環境と愉しく過ごして生きていきたいをカタチにしよう!」でした。そして1年で実現は言えないから、3年ならどう?とAIとせっせと検討して、その道のプロにご相談して、「その建物の持ち主が自分でなければ嫌だとか拘らないなら、できるかもしれないね」と言っていただいた一言に、今はすがるような思いで、よし頑張ってみようって思っています。やり方はわかっていませんけど。
大阪万博へ母を連れて行きました昨年。学んだことは、万博の海外パピリオンのスタッフの方々が優しくて、本当に動きやすかったのです。だけど、そこまでの道のりは大変でした。大阪の地下鉄かな?これはまだ動きやすかったです。
東京にも母を連れて行きました。ここは、かなりハードル高かったです。東京はタクシーが便利ですね、これは本当に感動しました。
母の実家のまちにも何度も連れていってます。片っ端から存在するホテルに予約していますので、あと何軒かでコンプリート出来そうですが、予約は二度としないホテルからお初のホテルがダメならココがいいまでリスト化できています私の頭の中で。
地元のホテルも、年老いた親戚が来た時にどこのホテルがいいかを教えてあげたいと思って、機会あるときは、あちこち泊まってみています。地元は多すぎて全部は難しいですけど、紹介する時に少しでも泊まりやすいところがいいかなぁと独自視点ですけど。
簡単に書いていますが、こうなるともはや母は実験台のようです。私にとっては母を通して、どこのどんな施設がよいかを判断する材料として勉強になります。というのも、一見して私には問題がない様に見えるところでも、なるほど!と母はダメな理由があるのです。いろんなホテル宿泊予約サイトを検索していますが、その「ユニバーサルデザイン」という表記で、母が過ごしやすかったホテルなんて、2,3件です。だから、今ではその表記を無視して、ホテルの写真等でとにかく予約して行ってみてインプットしています。
そんな実験台の母を住まわせて、本当に過ごしやすいかは検証したいので3年以内に作りたいと思っています。もはや、母のためではないのです。私のため。
自分の介護をするために母は仕事を辞めたのではないかと心配しますが、いいえ、私のため。何でもそうだけど、やってあげようという意識って、かっこ悪いと思いませんか?
おばあちゃんのためにしてあげるって恩着せがましいの、自己満足にしかなれません。だから、どうせ私も年を取るし、その時、今のままでは私もこの町で生きていくのが大変だなぁと思ったから、私のために、私が考えるこんな住まいをカタチにしたいと作って、そこから改善していかなければならないところもあると思いますけど、広まっていくといいなと思っています。
定年まで働いて、ふと本当に自分が高齢者となってからでは、いろいろ気付いても世の中に対して何かできることは少ないと思うのです。だから、今、よき実験台の母を連れ歩いて、いろいろと観察しています。母にそういうと怒られますが、物理的バリア・制度的バリア・情報バリアよくわかります。そして、心理的バリア…それら他のバリアの背景にある人達の姿勢がよくわかります。一見してよさそうかな?と思えたところで、「あぁなるほど、これダメなのね」という気付きを全て生かした住まい。
たくさん思いを全部書くと長くなりそうです。ということで、ここでは母を通して考えさせられた、ユニバーサルデザインという視点から私の実現させたいと取り組もうとしていることを書きました。
私はこれを福岡から始めたいと考えています。
もちろん、住宅を一棟つくれば社会が変わるわけではありません。
人生100年を、ただ長く生きるのではなく、最後まで自分らしく暮らしたいじゃないですか。
私の夢のほんの10%くらいは書けたかなと思ってます。
あっ、ごめんなさい。1000文字超えちゃった。

