「創作の裏側」
「この作品は、誰に向けて書いたのですか?」
時々、noteの読者様からそう尋ねられることがあります。
結論から申し上げますと、私は特定の「誰か」に向けて作品を作るということはありません。
結果として作品がメッセージ性を帯びることはあっても、特定の「誰か宛て」を意図して制作しているわけではないのです。
内省的な雰囲気の作品は、弱った自分自身の心に寄り添うように内なる声を聞き、「第三者の視点」の語り口で書き出したものが多くあります。
自分の弱さを吐き出し、日常に思いを馳せ、心からあふれ出た要素——「弱さ」「日常」「目標」「負けるか根性」「客観的視点」——を目の前に並べる。
それらを粘土のように練り直し、ひとつの作品へと形を整えていくのが私のスタイルです。
その代表作ともいえるのが、『ドライブシュート』です。
執筆当時、職場の人間関係に悩み苦しんでいた私は、「無言でドライブシュート(国家試験合格)を決めてやる」と決意しました。
・蹴って、蹴って、蹴りまくって(学んで、学んで、学びまくって)
・どんなボールも打ち返して(難しい局面にも真っ正面から立ち向かって)
そうやって、自分自身を奮い立たせていました。
こうした日常の泥臭い出来事や感情こそが、私の作品の「種」になっています。
あえて「誰宛て?」と問われるならば、「自分宛て」というのが一番近いかもしれません。自分に向けたエールが、回り回って作品になっているのだと思います。

そして、もうひとつ よくいただくのが、こちらの質問です。
「これって、実体験ですか?」
特に恋愛をテーマにした作品では、そのように感じていただける機会が多いようです。それだけリアルに届いているのだとすれば、作家としてこれ以上の喜びはありません。(手のひらの夏など、ノンフィクションのものもあります)
多くの作家がそうであるように、私にも自分だけの妄想……いえ、豊かな想像の世界があります。ひとたびその世界へ入り込むと、アイデアが次から次へとあふれ出して止まらなくなります。午前9時に机へ向かったはずが、気づけば真夜中になっていた、なんてこともしばしば。
例えるなら、ミステリーの巨匠・西村京太郎先生(2022年没)が、ご自身で事件を起こしていたわけではないのと同じようなものでしょうか(もしそうだったら大変なことです!)。
フィクションだと分かっていても「実体験では?」と疑うほど、物語の世界に入り込んで読んでもらえたということ。クリエイターとして、それ以上に嬉しい言葉はありません。
心からの「ありがとうございます」を捧げます。
紗叶

#創作の裏側 #言葉の力#フィクション
