隔離されてた島へ【岡山県】
岡山県瀬戸内市邑久町虫明地区へ行って来ました。
ここ邑久町虫明も牡蠣が有名です。
岡山の牡蠣はホント美味しい✊

クレーンが付いてるのが特徴
そして画家の竹久夢二さんもこの町出身ですね。
飲食店はお店はありませんがこの季節だけ
牡蠣を食べさせてくれる牡蠣小屋的なところはあるみたいです。

漁業組合で用事を済ませ、長島へ行ってみようかと。
ここには長島という島があり、橋が付いてます。
長島というと三重県の長島スパーランドがイメージされますが
こちらは岡山県の長島という島です。
35年位前に橋の手前まで行きましたが‥
(理由はのちほど)
渡ることはできませんでした。
今回は行ってみようと思います。

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小豆島が見えます。

今でもよっぽどの用事がない限り、この島に来る人は居ません。
渡って来た橋も昭和63年にできました。
それまでは船。。
この島に来る人は限らてました。

さらに進むと島が分断されてて小さい橋があります。
ここを渡ると・・

『長島愛生園』が見えてきました。

知ってる人も少なくないと思いますが
そう、ここは【長島愛生園】
長くなりますが是非読んでやってください。
樹影濃い島を切り拓いてつくられた『国内初の国立療養所』
1930年(昭和5年)に日本初の国立療養所として発足。国が設置した最初の療養所として長島が選ばれた理由は、離島という環境が隔離にもっとも適していると考えられていたためである。
定住する人がほとんどおらず、島の大部分が国有地だったという環境も国立療養所開設をあと押しする一因となった。1946年(昭和21年)に現在の「国立療養所長島愛生園」へ名称変更し、現在に至っている。
入所者みずから道を切り拓いた園内には入所者用住宅があり、
生活に必要とされる仕事のほとんどは入所者みずからが分担して行っていた。
山中には農場、牛舎などもつくられ、その遺構の一部は現在も目にすることができる。
「隔離の島」と呼ばれた長島に橋が架かったのは1988年(昭和63年)。
園ができてからじつに58年目のことであった。
園内には開園当時の事務本館をリニューアルした
博物館「長島愛生園歴史館」もあり、毎年多くの見学者が訪れている。
ハンセン病隔離の島です。
渡ってきた橋は
『おく ながしまおおはし』ですが

【人間回復の橋】と呼ばれています。

1930年に愛生園が開園、1938年に光明園が復興開園して以来、
長島はハンセン病を象徴する島とみなされて来ました。
本土から島までの距離は、わずか30m足らずでしたが
偏見と差別に隔てられ、社会から置き去りにされた入所者にとって本土は手の届かない遠い世界でした。
1969年入所者から「橋を架けよう」との声が上がり、架橋運動がスタートしました。
これ以降足掛け約20年間、地元邑久町を始め岡山県、厚生省等関係機関との協議や署名活動、資金カンパ、国会請願等の運動が進められてきました。
長年の関係者の苦労と努力の末、1988年5月9日、遂に念願の邑久長島大橋が開通しました。
この橋は「強制隔離を必要としない証」として「人間回復の橋」と呼ばれています。
邑久長島大橋が一望できる東屋のある邑久長島大橋架橋記念公園は
この大橋架橋を記念して、岡山県事業で整備されました。

昔、私が来たときは橋が付いて2年程、
まだほぼ隔離が続いてた時だったと思う。

http://ww32.tiki.ne.jp/~jitikai/shuuyousannbasi.htm
当時はこの島の事をよく知らなかった。
『用事が無い者は来たらあかん!』て言われた。
当時、橋まで来た時に居た検問所のオジサンが顔を半分隠していたかも理解できた。

調べる術もなかったし、『感染病隔離の島』とだけ聞いてた。
数年前、岡山のTV番組で観てどういう島だったのか、
そしてハンセン病とは何かを知りました。
ハンセン病への誤った国への政策により、ハンセン病患者・回復者、
その家族は長い間、偏見や差別に苦しんできました。
平成8(1996)年4月1日に「らい予防法」が廃止されて
約30年たった今でも苦しみは続いています。
私たちは誰しも、差別偏見の芽をもっています。
同時に、私たちは差別や偏見を少なくしていくこともできます。
