企画の打ち合わせで、「いいと思います」となるべく言わない理由
あの会議室で、僕の手元のメモ帳は白紙だった。
まだ僕が入社して数年後、若手だった頃のことだ。先輩が、デザインか企画か何かの資料を一通り説明し終えて、「こんな感じで考えてますが、何かご意見はありませんか」と部屋を見渡した。順番に意見が回ってきて、僕の番になった。
「いいと思います」
そう言った。それだけ言った。
誰も理由を聞かなかった。なぜなら、賛成だからだ。先輩は軽くうなずいて、次の人に視線を移した。会議はそのまま進み、そのメンバーでの合意形成は完了した。
ただ、その会議の中で「うーん、ここが違うと思うんだよなあ」と言った別の先輩は、しっかり理由を問われていた。どこが違うのか、根拠は何か、代案は。その人は言葉を何とか紡いでいたし、結果的にその人の意見は一理あるということで、資料に反映された記憶がある。
その賛成は何を変えたか
反対には理由がいる。でも、ほとんどの場合、賛成にはいらない。これは会議室の暗黙のルールかもしれない。つまり、賛成は逃げ場になる。何も考えていなくても、考え抜いた人と同じ顔をして座っていられる。
極端な話、賛成するだけなら、小学生だってできてしまう。僕が「いいと思います」とあの時に賛成したことで、あのデザインや企画に何か起きただろうか。起きたことは、賛同者がひとり増えた。それだけだ。資料の文字は一文字も変わっていないし、デザインの外観は線ひとつ変わっていない。中身は一ミリも動いていなかったのだ。
最後は小数点の戦い
入社して10年以上が経ち、今は僕が「これ、どう思いますか?」と聞く側に回ることが増えた。相手は後輩だけじゃなくて、先輩もいる。
でも正直に言うと、返ってきた言葉が「いいと思います」だけだったとき、相手が先輩であっても、少しがっかりしている。そしてがっかりしている自分に気づいて、ふっと思い出すのが、あの白紙のメモ帳を開いていた自分だ。
そもそも、なぜ人を集めて意見を聞くのか。自分ひとりでは見えない角度から、それを見てほしいからだ。0.1点でも0.5点でもいいから提案の質を上げたくて、人の時間をもらっている。
もちろん、賛成が悪ということじゃない。誰かが賛成してくれないと、そのアイデアは消えてしまう。ただ、賛成するにしても、もっと色々できるということだ。結論には賛成だけど、そこにたどり着くまでの説明の順番を変えたほうが伝わるかもしれない。もっと小さく、重箱の隅でも構わない。資料のこの言葉はこっちのほうが誤解されにくいかも、みたいな小さな話だっていい。それは立派な0.1点になるし、デザインコンペなんかは特にそうだけど、最後に明暗を分けるのは小数点の世界だと思っている。
今日も会議があった。忙しい時は、ついつい言いたくなる。「はい、いいと思います」と。しかし口を開きかけて、やっぱりやめる。慌てて資料を読み返して、見出しの言葉をひとつだけ差し替える提案をする。それは0.1点にもならない指摘だったかもしれないが、0点の賛成よりはマシなのだ。
