八王子宮:護持の精神、次代への譜
1.新町の八王子
「花の名所は数々あるが 見たか山田の八王子」という歌が残るほど
古くから桜の名所として知られる香美市土佐山田町の「八王子宮」。
広い敷地の八王子公園には桜のシーズンになると多くの人で賑わいます。

始まりと言われ、その後徐々に植え増ししていったそう。


この八王子宮、江戸時代より以前は別の場所にあったことをご存知でしょうか。
2.古町の八王子
八王子の起こりは1469年、遡ること550年前に楠目城(鏡野中学校の北西)城主だった山田氏の命を受け、家臣である野口寄長が滋賀県坂本にある日吉大社の御霊を分けてもらい、現在の場所ではなく土佐山田町山田(明治地区八王子)に鎮め祀ったのがはじまりです。

日吉大社の神体山として知られるのが“八王子山”という山
そこから約170年後、当時暴れ川として知られていた物部川の巨大土木プロジェクトを任されていた野中兼山は舟入川、中井川、上井川の三用水の利水による新田開発を進めます。
その際、物部川から水を引くにあたって中井川がどうしても八王子の敷地にかかってしまうことから1640年に現在の八王子の地に移転遷座しました。
もともと八王子宮が鎮座されていた場所は現在、稲荷神社が鎮座しており、境内には八王子の小宮が祀られています。

相撲大会をしていたそう。トミオさんという方が露店を出し、神社周辺は賑わいを見せていた

稲荷神社の境内にある4宇の神様。
写真の左上は琴平神社、右上は八坂神社
左下が八王子の小宮、右下が山ノ神です。
稲荷神社が稲の豊作を祈願する神社なので実はこの境内、
とても有難い神社が集まったパワースポットなのです。
野中兼山による工事のおかげでこのあたり一帯の香長平野は高知県の穀倉として潤い続け、土佐山田の町は県中東部最大の町として経済に大きな役割を果たしてきました。

ここは明治地区八王子という地名ですが稲荷神社をお祀りしていることから分かる通り、たくさんの稲を収穫・貯蔵していたことから昔は蔵入れ(倉入れ)と呼ばれた地域でもあります。
稲荷神社周辺を散歩していると側面に水切り瓦を備えた蔵が今でもたくさん見ることができます。
全国の多くの町は古くからその土地の守護神を祀る「鎮守の神社」を中心に形成されることが多く、土佐山田町も例外ではありません。
上井川と中井川にはさまれた稲荷神社にほど近いエリアを古い町と書いて「古町」と呼び、
そして現在の八王子あたり、秦山町付近を野中兼山が建設し「新町」と呼んだことから、
八王子の移転遷座がもしも無ければ町の景色は今とは大きく変わっていたかもしれません。
3.隠れた桜の名所

稲荷神社の道を挟んだ向かいには足の健康にご利益がある「北向き地蔵」に続く道があります。
桜の名所として知られる八王子宮ですが、この稲荷神社から北向き地蔵までの道も実は隠れた桜のスポットになっています。

社会全体が人手不足・高齢化が進み、神社やお寺、小さい祠などの維持管理が難しい時代になってきていますが今でもそういった建物が残っているということは、誰かが残そうとしてくれたということでもあります。
形あるものはいつか失われるかもしれませんが、大切にしたいという誰かの思いまでもが消えるわけではありません。
変化の激しい時代だからこそ、そのバトンをどう受け取り、次へと繋いでいくのかを問い直されているのかもしれません。
