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noteを続けることにしました

トランスジェンダー追悼の日に公開された李琴峰さんのnoteの記事が理由なく削除されたことがあまりにもショックで、noteの更新をやめていました。

しかし、ある作家さんとの出会いにより、noteを続けることにしました。
それは済東鉄腸さんです。
周司あきらさん目当てで、トークイベントに行ったのですが、なんと、鉄腸さんが私のnoteを読んでくれていたそうです。
色々な人の名前やら、情報がたくさん出てくるので、一つずつ書いていきます。


まず、noteをやめようと思った発端

突然消された性的少数当事者で芥川賞作家の李琴峰さんのnote

noteをやめようと思っていたのは、noteが李琴峰さんのトランスジェンダー追悼の日に際し、アップした記事を無断で削除したということをSNS上で見かけたからです。

公式サイトにて読めるこの記事は、当初、noteで公開されていました。
私はスレッズでnoteを下記のように紹介していましたが、今もリンクを開くと画像のような表示されています。

拡散希望というご本人のポストを見なければ、シェアしていいか迷ってしまうほどの衝撃。そして、なんでこんなことを言わせなきゃいけないんだという憤りも。アイデンティティでないのならば、言うなれば親が離婚したなどと同じように、本人の意思でどうにもできない出自であり、全く言わなくてもいいこと。それを言わさせたことが本当に許せない。

https://www.threads.net/@39ra10ri/post/DCl4-Vqhs2Q?xmt=AQGz8A5HPbWUDKdk9dxi727iILnSuL28aK1xgGHtKf8SMQ
李琴峰「トランスジェンダー追悼の日」アウティングされ声明が突然表示されなくなってしまった

記事を消すのは、被害を透明化する、まるでセカンドレイプ

読んでいただければ伝わってくるかと思いますが、まさに命を賭した訴え。どういう経緯で削除になったのか、分かりませんが、もし未だになんの説明もなく削除されたままなのだとしたら、その行為は、一個人の痛みを否定することと同義だ私は思っています。

それは、まるで、性被害を訴え警察に駆け込んだ被害者の訴えを勘違いと決めつけて門前払いするのと同様の声をあげた人の言葉を透明化、無かったことにする行為。性暴力でいえば、セカンドレイプに相当するのではないでしょうか。

状況によっては、李さんを自死に導きかねない非常に有害な行為だと思うのです。

もちろん削除には、おそらく悪意はないものなのだとは思います。そもそも、個人と民間企業の問題なので、私が怒るべきことではないのは重々承知しています。それでも、私は静かな怒りを抑えることができません。noteという媒体が元々好きだというのもあると思います。

力のある当事者発信すら無効化される場が安全か?

それと同時に、李さんの文章に私はすっかり魅了されてしまったのです。
これぞ作家のなせる技、ペンの力だと。

李さんの文章は個人ではなくヘイトという暴力に対する義憤、性的マイノリティ当事者への温かい眼差しなど、実に様々なものを内包しながら全く破綻せず、告発文のはずなのに読み手に感動を与えるものでした。

比較するのもおこがましいことですが、当事者発信する自分を恥ずかしく感じるほどの文章の輝きを感じたのです。

そんな強い力のある文章が、運営によって削除されてしまったわけですよ。

一方で、noteのトランスジェンダーのハッシュタグには、実態とはかけ離れた非当事者たちの不安や嫌悪感ばかりが並んでいるわけです。

空想上の暴力的言説は許され、実害を伴った悲痛な訴えは削除されるこの言論空間は、果たしてマイノリティ性を抱えるユーザーにとって安全な場なのだろうか?そんな場にのうのうとコンテンツを陳列する自分は、暴力に加担しているようなものではないか。そう感じてしまったのです。

このまま消えてもいいかな…と募る無力感

もちろん、暴力的な発信が多いからこそ、実情に基づいた発信も続ける意味があるのでは?という葛藤もありました。しかし、やっぱり、「李さんほどの人が運営に削除」というのは、弱小情報発信者の心を折るには十分なインパクトがありました。

ああ、マイノリティの声ってそんなに軽いのか…。と。

私が声をあげたところで、情報を発信したところで、意味がないし、求められてもいない。どこかに移るといっても、他にいいプラットフォームも思い浮かばないし、このまま消えてもいいかなぁ…。

年末の忙しさも相まって、そんな事を考えていました。

ネットの個人の力を信じる済東鉄腸さんとの出会い

当事者発信に価値を見出す済東鉄腸さんのトークイベント

そんなことをぼんやり思っていた矢先、済東鉄腸さんのトークイベントに足を運びました。

「あなたもその一人ですよ!」

そこでは、「当事者の発信する言葉」の価値に触れてくれたのです。

トランスヘイトに陥りかけていた時、当事者たちが書くブログやつぶやきを手がかりに考えを修正できた、インターネットに救われた、と。
鉄腸さんは、徹頭徹尾ネットによって人生を好転させて来られた方。ルーマニア語の小説をルーマニアで発行されているにもかかわらず、一度もルーマニアに行ったことがないとのこと。というか、ほとんど千葉からも出なかったそうです。

そんな中、千葉にいながら、ルーマニア語を学び、本を刊行したのは、すべてネットのおかげだったというのです。たしかに、ネットがなければまず間違いなく無理なことばかりですよね。
↓詳細はこちらの本をぜひ御覧になってみてください。

そんな話を聞きながら、私が当事者発信する意味あるのかなぁ〜なんて思いつつ、何気なく、講演後の彼に話しかけてみると、私のnoteを読んでくれていたのだとか。

「あなたもその一人ですよ!」
と私も鉄腸さんに影響を与えた一人なのだという言葉とともに、なぜか鉄腸さんの本に私がサインするという謎な行為もさせてもらったりしました。(私だけではなく、いろいろな人のお名前が書いてありましたので、あしからず)

自分の記事を読んでくれている人を目の前にすると、「自分の価値を信じて、もう一度やってみよう」と不思議と思えるものです。

とはいえ、やはりnoteでこれまで通り続けるのは抵抗があります。

ちょっと大変ですが、noteと、鉄腸さんと周司さんがやられている「はてなブログ」でもアカウントを作って同時に発表していこうと思います。

性の多様性を考える最初の道しるべとなる新刊「クソ俺」

なお、鉄腸さんの新刊『クソッタレな俺をマシにするための生活革命』は、性の多様性に興味を持った人の導入書としてすごくいいのではないかと思っています。

彼自身がどう生きるか、具体的にいえば男性としてどう生きるか?を主軸にしているのですが、彼はその考えを深めるために性的マイノリティの人々の語りをヒントに彼自身の生活を見直していきます。

これは、性的に多数派の人、異性が好きで性別に違和感を感じたことがない男性や女性がマイノリティの問題をどう学び、どう理解していけばいいかのすごく良い取っ掛かりになると本です。当事者の語りを読んでも「いまいちピンとこない」「大変なのは分かるけど、関係ない話」に思えて、いまいち考える必要性が感じられない人こそ、この本をぜひ読んでみてほしいと感じました。

言わずもがな、LGBTQ+の問題は、少数者たちだけの問題ではなく、多数派の人々の生活に地続きですが、何とどうつながっているのか、理解するのってけっこう難しいと思うんですよね。少々暑っ苦しくて、ちょっぴりうざったい文体が妙に親しみやすくて、とても読みやすいです。
こちらで試し読みもできるので、ぜひ読んでみてください↓


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