夏の思い出
今でも思い出す。
あの、むせ返るような夏の日を。
照りつける太陽。
潮の匂いを含んだ風。
そして、絶えず聞こえていた波の音。
ザァ……ザァ……
俺はいつものように、あの防波堤に座って煙草に火をつけていた。
ここは昔、俺とあいつがよく来た場所だった。
くだらない話をして。
夕日が沈むまで海を眺めて。
何をするでもない時間が、俺は好きだった。
いつも隣には、あいつがいた。
……でも。
もう、隣にいるはずのない人間だった。
煙草の煙が、海風に流れていく。
変わらない景色。
変わらない波の音。
変わったのは、俺だけだった。
その時だった。
「また吸ってる」
聞き覚えのある声がした。
一瞬、時間が止まった。
ゆっくり振り返る。
そこには――
いるはずのない幼なじみが立っていた。
「……なんで」
声が震える。
「なんで、お前がいるんだよ」
するとあいつは、昔と変わらない笑顔で笑った。
「来ちゃった」
そう言って、当たり前みたいに俺の隣へ座った。
昔からそうだった。
勝手に来て。
勝手に隣に座って。
そして――
「もう……また吸って」
そう言って俺の煙草を取り上げる。
「身体に悪いって言ったでしょ」
その仕草も。
その怒った顔も。
何も変わっていなかった。
「……変わらないな」
俺が呟く。
するとあいつは少し笑った。
「変わらないよ。私は」
その言葉を聞いた瞬間。
頬を伝う生暖かいものに気づいた。
汗だと思った。
違った。
俺は泣いていた。
「なに泣いてんのよ」
あいつは困ったように笑う。
「そんなに私に会いたかった?」
俺は慌てて涙を拭った。
ありえない。
これは夢だ。
疲れて見ている幻だ。
そう思おうとした。
でも――
この時間が本物ならいいのに。
そう願ってしまった。
そんな俺の気持ちを見透かしたように、あいつは静かに言った。
「忘れ物を取りに来ただけなんだ」
「……忘れ物?」
聞き返した瞬間。
あいつの顔が近づいた。
柔らかくて。
暖かくて。
一瞬、波の音が遠くなった気がした。
唇が離れる。
あいつは、昔と同じ笑顔で言った。
「大好き」
「じゃあ、またね」
そう言って、あいつは砂浜へ歩いていった。
俺も後を追うように、防波堤を降りた。
二人で歩いた、あの砂浜へ。
波の音だけが静かに響いていた。
「覚えてる?」
あいつが振り返る。
「昔もこうして歩いたよね」
俺は何も言えなかった。
ただ隣にいる温もりを感じていた。
そして夕日が沈む頃。
あいつの姿は、ゆっくりと海へ溶けるように消えていった。
俺はその場に立ち尽くした。
現実だったのか。
夢だったのか。
今でも分からない。
ただ――
砂浜には確かに残っていた。
俺の足跡の隣に。
もう一つの足跡が。
まるで、今までずっと隣を歩いていたように。
しかし。
寄せては返す波は、静かに砂をさらっていく。
二人分の足跡は、ゆっくりと消えていった。
それから何年経っただろう。
俺は今でも、あの防波堤に座っている。
波の音を聞きながら。
あの日と同じように、煙草に火をつける。
すると時々、風に混じって聞こえる気がする。
「また吸ってる」
あいつの、懐かしい声が。
俺は小さく笑う。
「……悪いな」
そう呟いて、煙を吐き出す。
今日も俺は、この場所で煙草に火をつける。
あいつとの夏の思い出を、忘れないために。
ザァ……ザァ……
波の音だけが、静かに響いていた。
