「“人生の目的”を探し続けて疲れていませんか?」スピリチュアルを学ぶほど、生きることが苦しくなってしまう理由
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では、よろしくお願いします。
「私には、まだ使命があるはず」と思い続けていませんか?
「まだ本当の使命に気づいていない。」
「人生の目的が見つかれば、もっと楽に生きられる。」
そんな思いで、たくさんの本を読み、セッションを受け、答えを探し続けていませんか?
私もそうでした。
「私が生まれてきた意味は何だろう。」
「本当にやるべきことは何だろう。」
その答えさえ見つかれば、迷いも不安も消えると思っていたのです。
でも実際には、探せば探すほど苦しくなっていきました。
「使命探し」が終わらなくなる理由
スピリチュアルでは、
「誰にも人生の使命がある」
という考え方をよく耳にします。
その言葉に励まされたこともありました。
でもある時から、
「まだ見つからない私はダメなのでは?」
「だから生きづらさが続いているのでは?」
と思うようになってしまったのです。
使命が見つからない。
だから、また別の講座へ。
また別のセッションへ。
「今度こそ教えてもらえるかもしれない。」
そんな期待を繰り返していました。
本当に欲しかったのは「使命」ではなく「安心」
今なら思います。
私が探していたのは使命ではありませんでした。
安心だったのです。
「私はこのままでいい。」
「ちゃんと人生を歩けている。」
そう思える確信が欲しかったのです。
だから、「あなたの使命は〇〇です」と言われると、一瞬だけ安心しました。
でも、その安心は長く続きません。
しばらくすると、
「本当にこれで合っているの?」
という新しい不安がやってきました。
安心を外側の答えに求めている限り、終わりはありませんでした。
「使命」は見つけるものではなく、積み重ねるものかもしれない
ある日、私はふと思いました。
もし使命があるとしても、
それは特別な何かを成し遂げることだけではないのではないか、と。
誰かの話を静かに聞くこと。
家族のためにご飯を作ること。
仕事で目の前の人を大切にすること。
困っている人に声をかけること。
そんな日々の積み重ねも、誰かにとっては大きな意味を持っています。
以前の私は、「もっと大きな使命」を探していました。
でも、本当に人生を支えていたのは、そうした何気ない毎日でした。
「使命探し」を少し休んでみる
もし今、
「人生の目的がわからない。」
そんな焦りがあるなら、一度だけこんな問いを自分に向けてみてください。
「今日、目の前の人を少し笑顔にできただろうか。」
「今日、自分を少し大切にできただろうか。」
使命は、遠い未来に隠れているものではなく、
今日という一日の中にあるのかもしれません。
人生は「答え探し」だけではない
スピリチュアルを学ぶことは、人生を豊かにしてくれることがあります。
でも、それが
「まだ使命が見つからない。」
「もっと学ばなければ。」
という焦りにつながってしまうなら、少し立ち止まってもいいんです。
人生は、特別な使命を見つけた人だけが価値あるものではありません。
今日を大切に生きること。
それだけでも十分に尊いことです。
スピリチュアルに夢中だった頃の私は、
「いつか答えが見つかる。」
そう信じて走り続けていました。
でも今は思います。
答えを探し続けることより、
今日を丁寧に生きることの方が、ずっと心を満たしてくれるのだと。
使命は、どこか遠くにあるものではないのかもしれません。
今日笑えたこと。
誰かを思いやれたこと。
そして、自分自身を少し大切にできたこと。
そんな一日の積み重ねが、気づけば人生そのものになっていく。
私は今、そのことを少しずつ信じられるようになりました。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
