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人を許せる人が偉大


「人を許せる」というのは、英雄になるための条件のひとつのような気がしている。
普通だったら関係断絶、絶交するような相手と恨みを忘れて仲良くできるような人こそが、大物になれるのだと思う。

例えば坂本龍馬などはその代表であろう。
乙女姉さんからも「あんな奴と関わるのはやめるぜよ!」と手紙で怒られるほどの相手、自分たち下士を虫けら扱いし、仲間を切腹に追い込んだような敵(かたき)である後藤象二郎と、龍馬は交渉ののちシェイクハンズを交わして一緒に仕事をしたり共に藩主を説得して大政奉還まで成し遂げるほどの仲になっていた。情報元:大河ドラマ龍馬伝

現代の人物ではアントニオ猪木がそうだと思う。
自分の元から出て行った前田日明や藤原喜明や長州力なんかを再び自分の団体に迎え入れて一緒にプロレスをするなんていうのは、心の器のサイズがなみの人間ではできないと思う。
私だったら、一度自分を裏切った人間が困窮して「すみませんやっぱりまた一緒にやらせてください」と帰って来ても、「どのツラ下げて戻って来たんじゃこの裏切り者が!! おまえとはもう二度と関わることはないわ! さっさと消えやがれシッシッ!!」と取り付く島なく追い払うであろう。

私は心の狭い人間なので、もし私が龍馬や猪木の立場だったら、自分が名を成した後に後藤象二郎がすり寄ってきても、UWFやジャパンプロレスがうまく行かずに前田や長州が戻って来ても、相手などせずにシカトするだろう。
しかし、実際の龍馬や猪木は過去の恨みは水に流して過去の敵を受け入れて、そして結果的に2人とも大事を成し遂げて後世に残るようなカリスマになったのである。

龍馬や猪木の物語を読むたびに、私は「ああすげえ、なんでこの人たちは自分の敵を許せてしまうんだ、俺には絶対できない」と偉人の寛大さに驚いて自分の小ささを嘆く次第だ。
注目すべき点としては、2人とも、明らかに敵を許したことが要因となって大事を成し遂げているということだ。
龍馬が後藤象二郎と敵対したままだったら大政奉還は為し得なかっただろうし、猪木が前田や長州の復帰をはね付けていたら新日本プロレスはあんなに大きくなれなかっただろう。「いや、史実では龍馬なんていなくても大政奉還は……」みたいなご批判は現在受け付けておりません。

考えてみれば、敵を許せば大事を成し遂げられるというのは筋が通った話のような気がする。
一度敵になった相手を許せば、敵が1人減って味方が1人増えるのだから自分に有利になるし、それだけでなく、敵から味方になった味方は「こんな俺を許してくれるなんて、もう俺は一生あの人に頭が上がらねえ。俺は生涯あの人について行くぞ!!」みたいに味方の中でもより忠誠心の強い(?)味方になるのだ。敵が減って強い味方が増えるのだから、そんなことを繰り返していれば、その人は必然的に大事を成し遂げられる力を持つことになろうし、カリスマにもなることだろう。

ドラゴンボールでも、悟空はヤムチャや天津飯やピッコロやベジータなど、一度は戦った敵を次々に味方にしていったからこそその後に襲い来る大きな危機に対応できたのであり、もし「敵とは友達にならない」という方針でいたら、最初の10巻くらいで地球は滅びていたのではないか。

許す許さないと関係ないかもしれないが、私は過去に、何度か自分の狭量さを痛感してガーーン!とショックを受けたことがある。偉人のストーリーみたいな壮大な話じゃなくて、もっとスケールの小さめのところで「うわあ、なんて俺は小さい奴なんだ……」とよく反省させられるのだ。

例えばPodcastである。
私はPodcastでさくら通信という番組をやっている。そして、さくら通信は何年か前の一時期、AppleのPodcastランキングにおいて、コメディ部門でよく1位になっていた。今は人気番組がたくさん出て来たのでもう1位にはならない。あくまで過去の話だ!
その時に、さくら通信と交互に1位になっていたのが、都市ボーイズさんが運営する「都市伝説」という番組であった。
当時、さくら通信が放送を更新すればさくら通信が1位になり、都市伝説が放送を更新すれば都市伝説が1位になりと、我々の番組は交互に1位を取り合っていた。

そして私は、都市伝説およびその語り手である都市ボーイズさんを、非常に鬱陶しく思っていた。くそ、こいつらがいなきゃ俺の番組がずっと1位なのに!! なんだこいつら!! なにかで炎上して、いなくなれ!!と、心の中で私は彼らに敵意をむき出しにして、敵対視していた。面識があるわけでもないし、なにかをされたわけでもないのに。

そんなある日。
私は、都市伝説の、ある回の放送を聴いたのである。
敵の番組をなんで聴いたのかというと、たしか「おすすめPodcastを紹介する回」みたいなテーマの時で、面白い番組の情報はつねづね私も知りたいと思っている身なので、おすすめ情報を求めて聴いてみたのだと思う。

すると私は、びっくりした。
その都市伝説の放送の中で、我がさくら通信が、都市ボーイズさんによって「面白い番組」のひとつとして紹介されていたのである!!

私はそれを聞いて、ズガーーーン!!!とショックを受けたのである。
こっちは、敵としてしか見ていなかったのに!!
私の方はずっと「おのれ、あいつらさえいなくなればうちがずっと1位なのに」と恨めしく思っていたくらいなので、あちらの番組を誰かに勧めることなど絶対しなかった(勧めたら敵がより強くなってしまうから)。
当然、向こうもこっちを敵視しているものとばかり、お互い憎しみあっているとばかり思っていたのに、なんと先方はこちらの番組を聴いてくれて、しかも自分の番組内で「おすすめ番組」として紹介してくれているのである!! そんなことをしたらこちらのリスナーが増えて都市伝説のランキングが下がってしまうかもしれないのに!!!

これは象徴的に「なんて俺は小さな人間なんだ」と気付かされた出来事であった。
嫌がらせをされたとかでもなく、ただ同じPodcast界でがんばっているだけのライバルを私は一方的に敵視しており、しかし敵視していた相手は私の番組を好意的に聴き紹介までしてくれたという……。
心の中で私はガクッと膝を折って地面に突っ伏したのである。
自分が恥ずかしいと思った。自分が小さい人間だとは常々思っていたけど、ここまでストレートに小ささを突きつけられるとあらためてショックであった。
人としての器のサイズ感の違い。私は器が小さいが、都市ボーイズさんがひときわ器が大きいということでもあると思う。それがきっと、近年の都市ボーイズさんの快進撃にも繋がっているのであろう。

もうひとつ良く覚えている、自分の器の小ささ痛感事件がある。
これはさらに昔だ。26歳くらいの頃。
私がバックパッカーとして旅行をしていた時のことで、場所はアフリカの北の方にある国、スーダンだ。

スーダンの北のきわ、エジプトとの国境に「ワディハルファ」という町がある。
この町、一応町ではあるのだが、ほとんど砂漠である。水平線まで見渡す限り黄色い砂で、その中にポツンポツンと石造りの建物が点在しているという具合。
私はスーダンの首都から40時間以上電車に乗って北上して(電車の中で2泊3日だ)、そして地球の僻地のワディハルファに着いた。
その時、私と一緒にバックパッカーの日本人が4人いて、私を合わせて5人、5人でワディハルファに着き、そしてワディハルファ唯一かもしれない宿に5人で一緒にチェックインした。
その宿も、シャワーすらなく、そして床すらなく、壁と天井はあるが砂の上にベッドが並んでいるという辺境感がすごい奇特な宿であった。

その宿に着いて、しばらくして判明した事実がある。
それが、この町には「食べ物がない」ということである。
宿は壁と天井とベッドくらいしかない宿であるため食堂も売店もないし、砂の町には数軒お店と思われる建物があったのだが、たまたま我々が到着した期間がイスラム教の連休かなにかで、まったく店が営業しておらず、誰かが得た情報によると向こう数日店が開く見込みもないということであった。
つまり我々は、この砂漠で飢える可能性が出て来たのである!!

どこか大きな町に出れば食料が見つかるだろうが、電車が1週間に1本しか走っていない。首都のハルツームに戻ろうと思ったら、1週間後の電車でまた2泊3日だ。首都到着は10日後である。いずれにせよ飢える……。

そこで、なんとなく日本人5人で集まり、食べ物ないねどうしようか、みたいな会議が始まった、その時………、私は心の中で、「カロリーメイトを持ってることは内緒にしておこう」と、考えていた。
私は、非常用食料としてバックパックにカロリーメイトを1箱(4本入り)忍ばせていたのである。日本を出る時から入っているのでもうとっくに粉々になっているだろうが、粉々になっていようがカロリー量は変わらない。
本当に食料がなくなってどうしようもなかったら、私はこっそり1人でカロリーメイトを食べようと考えたのである。
一応言い訳をするとこの直前に私は激烈な食中毒に襲われており(詳細はこの本「アフリカなんて二度と思い出したくないわっ! アホ!!」に書いてあるよ)、5人の中で明らかに自分が一番体が弱っているので、病人を思いやる観点からも私のカロリーメイトは私が1人で食べる権利がある、と思ったのである。そもそも私の所持品だし。
まあ簡単に言うと、日本人みんなで助け合わなければいけない場で、私は食糧を隠し持ち、いざとなったら1人でこっそり食べようと考えていたわけだ。

するとその時、ある女性……ウララさん(日本人旅行者の1人)が、「私たち、クッキーならひと箱あるよ」と言った。

5人のうち2人は当時私と同じ年くらいのカップル旅行者だったのだが、その女性の方、ウララさんが、「私たち、クッキーならひと箱あるよ」と言ったのだ。
その「クッキーあるよ」は、もちろんただ自分たちがクッキーを所持しているという報告をしただけなわけではなくて、「クッキーがあるから、みんなで食べれるよ」という意味のクッキーあるよである。
私とは真逆で、ウララさんは貴重な食糧であるクッキーを自分たちが持っているということを公表し、そしてみんなで分けようと言っているのだ。

私はそれを聞いて、ズガーーーン!!!とショックを受けたのである。
もしかしたら何日も食べ物が手に入らないかもしれない、もしかしたら食糧がないせいでこの中の何人かは死ぬかもしれない(いやそれほどではないだろうが)、このなかなかの窮地において、ゲス野郎の私は自分だけ助かろうと食糧を隠したのに対し、彼女はたとえ自分の取り分が5分の1に減ることになろうとも、貴重な食糧をみんなで分けようとしているのだ!!

私は心の中でガクッと膝を折り、スーダンの砂漠に突っ伏したのである。
自分が恥ずかしいと思った。自分が小さい人間だとは常々思っていたけど、ここまでストレートに小ささを突きつけられるとあらためてショックであった。
仲間と一緒にピンチに遭遇した時、私はピンチだからなんとか自分だけでも助かろうと思い、彼女はピンチだからこそみんなで苦しみを分け合って乗り越えようとしたのである。
「自分探しの旅」とはよく言うが、私という男は探しても探しても発見が不可能なほど小さな、ミニマムな人間なのだという悲しい事実を、私はスーダンの砂漠の彼方で気付かされたのであった。

「人を許せるかどうか」も器の大きさであるし、ライバルを応援できるのもピンチの時に人を助けられるのも、やはりその人の器の大きさを示す行動であると思う。
私は幸い自分の器の小ささを痛感する出来事に何度も出くわし、「こんなことではいかん、自分も見習わなければ」と反省させてもらえているが、それをふまえて器のサイズが少しくらい成長したのかというと、それはよくわからない。
裏切り者を許すことは私は一生できない気がする。それはもう諦めよう。でも他のことではせめて大人として平均的な大きさの器くらいは持てるように、あまり恥ずかしい行動はしないよう、まあほどほどに、がんばりたいと思っている。



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