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#10 接した者にしか判らぬ

”全てをやりたい,,
"全てを知りたい,,

そんな思いがムクムクと湧き上がってきたのは、
いつからだっただろうか。

冒頭の2つのフレーズは、書き出しを悩んでいた時に
幼馴染が突然チャットに打ち込んだものだが、
見るとこれが自分の思いを綺麗に表現している気がする。

しかし、自作の小説のアイデアをまとめていたところ、
気づいてしまったことがある。


接したことのない感情は表現しにくいのである。


表現しにくい、というよりできないに近い。

私は、ありがたいことに両親からたくさんの愛情を受けて育った。
そのうえ、自分のやりたいことに反対も受けなかったし、
これといった反抗期も無かったので、
親からの愛情、という点では表現できる、かもしれない。
(まだやったことがない)
まぁその分両親に多大なる心配を現在進行形でかけているのだが…

逆に私は、親からの反対とか、縛りとか、
はたまた親への恨みや、不満、反抗期での親からの無償の愛への恐怖を
ほとんど抱いたことがないから、
その様な親子関係での負の感情を表現するのは私にとって、とてもレベルが高い。


親から厳しく当たられていて、それに抵抗している人だったり
親からの愛情を素直に受け止められていない人、
そもそも親との関係が元からうまく行っていない人。
そもそも親がいない人…にはまだ出会ったことが無いけれど、
簡単に人と繋がることのできる、現代情報社会を利用して
それぞれいろんな事情がある人と出会って来た。

なので一応、その人たちの立場だったらと考えて
それっぽいものを作ることは出来るだろう。
しかし、それは果たしてホンモノなのか?

私にはそもそもベースが無い。
私とは違うモノやバックを持っている人の話を聞き、
そんなベースのない、ウワモノだけで、
果たして完成したモノを生み出すことは出来るのだろうか?
結局人は、自分も自分以外も、全てを理解することは不可能なのだ。


しかし、創作というのはそういうものなのかもしれない。
全てが理解できていなくても、断片的に物事を捉えて
自分の視点から表現する。
全ては分からないけれど、見たモノを自分なりに表現してみる。

それに、全てが分かることが欲しいなら、
それをゼロから作ってしまえばいいのだ。
それが創作によってできること。
それがやがて深い意味を持って、理解し難い深淵へと入っていく。
結局作ったモノは、それに収束していくのかもしれない。

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