アメリカ開拓史を学んで思った。自分の常識は、世界の常識じゃない
最近、アメリカ開拓史をPodcastで聴いている。
通勤中や移動中に流しているだけなんだけど、これが思った以上におもしろい。いや、正確には、おもしろいだけでは済まない。けっこう重い。
正直に言うと、最初のアメリカのイメージはかなり雑だった。西部劇、カウボーイ、酒場、保安官。そんな映画の切れ端みたいな印象で止まっていた。でも聴いていくと、アメリカの始まりはそんなに景気のいい話じゃない。誤解、衝突、助け合い、略奪。かなり泥くさい。人間くさい。そこが逆に引っかかった。
新大陸は「月に国を作る」レベルの事件だった

新大陸の発見って、たぶん今でいうと月に国を作るくらいの衝撃だったんだと思う。
ジャガイモもトマトもタバコも、新大陸がなければ今みたいには広がっていなかったらしい。こういう話を聞くと、世界史が急に教科書から食卓に降りてくる。昨日パスタを食べていた俺の皿にも、歴史が乗っていたわけだ。なんか急に壮大である。
しかも面白いのが、アメリカといえば馬のイメージがあるのに、馬は西洋から持ち込まれたらしいこと。勝手に「昔からいたアメリカの顔」だと思っていた。思い込み、怖い。いやほんと、歴史は静かにビンタしてくる。
つまり、自分が当たり前だと思っているものは、あとから運ばれてきただけかもしれない。この感覚、記事の最初からけっこう大事だと思った。
土地は「持つもの」なのか、「共にあるもの」なのか

Podcastを聴いていて、いちばん引っかかったのはここだった。
ネイティブアメリカンの中には、土地を「所有するもの」として捉える感覚が薄い集団もいたらしい。対して、ヨーロッパから来た人たちにとって土地は、区切るもの、支配するもの、耕して利益を生むものだった。
このズレはかなり大きい。
家を借りるか買うか、みたいな話ではない。世界をどう見るかの土台そのものが違う。こっちにはこっちの常識がある。でも相手にとっては、その常識がまったく常識じゃない。
仕事でも似たようなことがある。数字で見る人、空気で見る人、まず動く人、まず整える人。どれも本人の中では自然なのに、違うタイプを見ると「なんでそうなるの?」となりがちだ。人はわりと簡単に、自分の地図を世界地図だと思ってしまう。
でも、たぶん違う。
自分の常識は、世界の常識じゃない。
この一文だけで、だいぶ事故は減る気がする。
万物は親戚、という感覚

ネイティブアメリカンの思想の話で、かなり印象に残った言葉がある。
「我々は万物の一つであり、万物は我々の親戚だ」
いい言葉すぎる。急に詩人が出てきたのかと思うくらい、いい。
自分たちも自然の一部であって、人間だけが特別に偉いわけじゃない。木も、動物も、水も、風も、切り離された存在ではない。この感覚、今の生活をしているとかなり遠い。
現代人は忙しい。俺も忙しい。カレンダーに追われ、通知に追われ、締切に追われる。下手すると自分の心より先に、スマホの充電残量を気にしている。そんな生活の中で、自然とつながって生きる感覚は、だいぶ薄くなっている。
だからこそ、この話が刺さる。
自然から離れすぎると、人の心は硬くなる。 これはちょっとわかる気がする。
筋トレも、実は少し似ている。重量や回数を追っているようで、最後は呼吸とか重力とか、その日のコンディションみたいなかなり原始的なものと向き合っている。だから整うのかもしれない。文明の中で暮らしながら、体だけは妙に正直だ。
コロンブスの壮大すぎる勘違い

大航海時代の話も面白い。
イスラム勢力の進出でアジアの物産が手に入りにくくなり、海から行こうとした。ポルトガルとスペインが動き、そこにコロンブスが出てくる。ここまでは「なるほど、世界史っぽい」で済む。
でもコロンブス、死ぬまで新大陸をインドあたりだと思っていたらしい。
スケールのでかい勘違いである。
その結果、「インディアン」という呼び名まで残る。歴史の入口に、そんなレベルの思い違いがあるのかと驚く。でも同時に、人間ってそういうものかもしれないとも思う。見たいものを見て、信じたい前提で現実を読む。
これ、現代でもやる。
相手の話を最後まで聞く前に「つまりこういうことね」とまとめてしまう。新しい職場でも、人間関係でも、だいたいこの癖でこじれる。理解したつもりで、全然わかっていない。ある。めちゃくちゃある。
助け合いから始まったのに、奪い合いになっていく

新大陸への移住は当然ラクじゃない。海を渡るだけでも大変だし、着いてから定着するのはもっと大変だった。食料、病気、住環境、生存そのものが不安定だ。
だから移住者たちは、先住民に助けられもした。生きる知恵を学び、土地で暮らす方法を知り、タバコの技術も学んで、それが産業になっていく。
でもその一方で、略奪も起きる。支配も進む。助けてもらいながら、相手の暮らしを壊していく。
ひどい話だなと思う。 ただ同時に、追い詰められた人間の怖さも見える。
必死さは、ときに人を鈍くする。
余裕がないと、自分の痛みには敏感になる。でも相手の痛みには鈍くなる。これは国の歴史だけじゃなく、会社でも人間関係でも普通に起きる。忙しいときほど雑になるのは、わりと人類共通のバグなんだと思う。
歴史を学ぶと、自分の正しさが少し怖くなる

アメリカ開拓史をPodcastで聴いていて、最後に残ったのは「誰が正しかったか」を気持ちよく断定したくなくなる感覚だった。
もちろん、略奪や差別や支配が軽くなるわけじゃない。そこは普通に重い。
でも、その時代の人たちはその時代の前提の中で、本気で生きてもいた。だから歴史を学ぶと、過去を裁くより先に、今の自分の当然も未来から見たらズレているかもしれないと思わされる。
これ、けっこう大事だ。
会社でも、マネジメントでも、人間関係でも、自分は合理的にやっているつもりなのに、相手から見たら冷たいだけ、ということは普通にある。逆に、非効率に見えるやり方にも、その人なりの守っている価値があるかもしれない。
相手を全部理解するなんて無理だと思う。 でも、理解する前に踏み込まないことはできる。
アメリカ開拓史って、自由の国が生まれる話というより、その前に「わかり合えなさ」から始まる話なんだと思う。
だからせめて俺は、自分の常識を振りかざす前に、相手の景色を一度は想像できる人でいたい。 そのほうがたぶん、仕事も人生も少しマシになる。
それにしても、Podcastでアメリカ史を聴いて、最終的に「お前は自分の物差しを疑え」という話に着地するとは思わなかった。通勤時間、意外と深い。
いいなと思ったら応援しよう!
頂いたパワー(チップ)は、全て僕の筋肉と精神を鍛えるプロテインとサウナに変換されます。より強靭なコンテンツをお届けするための燃料にさせてください!🔥