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#190 "どっちか"を選ぶ人ほど、本質を見失う。

最近、「どっち派?」と聞かれる場面が増えた気がする。

AIか、人間か。
紙の本か、電子書籍か。
完璧を目指すか、とりあえず始めるか。

世の中は、何でも二択にしたがる。 でも、本当にそうなのだろうか。 我はむしろ、「どっちもだ」と考えられる人の方が、これからの時代は強いのではないかと思っている。


もちろん、「どっちも」と言えば中途半端に聞こえるかもしれない。優柔不断とも思われるだろう。

しかし、我が言いたいのは、そういうことではない。状況によって立場を変えながら、その都度最適解を探す姿勢だ。

我はこれを「デュアルスタンダード」と呼びたい。

一般的な意味とは少し違うが、二項対立を往復しながら考える知性、と捉えている。

一方だけに寄らない。しかし、真ん中に立つわけでもない。必要に応じて右にも左にも動く。そんな動的なスタンスだ。


例えば読書

「紙の本こそ正義」という人もいれば、「電子書籍で十分」という人もいる。

しかし実際には、深く考えたい本は紙で読み、検索性が欲しい本は電子で読む。その方が合理的だ。

AIも同じだ。AIだけに頼るのではない。かといってAIを拒絶するのでもない。アイデア出しはAI。最後に考え抜くのは自分。

その使い分けこそが、これから必要になる姿勢ではないだろうか。


では、なぜ我はこの考え方を大切にしたいのか。

1つ目は、変化の激しい時代だからだ。

昨日の正解が、明日の正解とは限らない。

だからこそ、「どちらが正しいか」を決め打ちするよりも、両方を理解している人の方が柔軟に動ける。

2つ目は、本質は単純ではないからだ。

世の中の問題は、「右か左か」「善か悪か」といった単純な話では語れない。

だからこそ、1つの価値観だけで判断しない姿勢が必要になる。

そして3つ目。

何より、人は極端になった瞬間に思考を止めてしまう。

「絶対こうだ。」そう言い切った瞬間、学ぶ姿勢は失われる。

反対に、「もしかしたら、もう一方にも学ぶべき点があるかもしれない。」そう考えられる人は、成長を止めない。


この考え方は、読書にも仕事にも、人間関係にも通じる。

完璧主義だけでは苦しくなる。かといって、何でも適当でいいわけでもない。6割で走り始める日もあれば、100%を目指す日もある。

大切なのは、「いつでも同じ基準」で動くことではなく、「その場に合った基準」を選び続けることなのだろう。


我が目指したいのは、静的なスタンダードではない。

状況に応じて形を変えられる、動的なスタンダードだ。

白か黒かではなく、両方から学ぶ。極論ではなく、本質を見る。「どっちか」ではなく、「どっちも」。

そんな柔らかい知性を持った人間でありたい。

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