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カンボジア🇰🇭の話、を聴く

セタリンさんからお手紙もらったの、と母から連絡がありました。
カンボジア人で半世紀以上日本にいるペン・セタリン氏とは、かれこれもう40年位のおつき合いになります。

実は私、生まれてすぐに母と一緒に支社立ち上げの為にプノンペンに駐在している父のところへ飛び、3歳になる少し前まで住んでいたようです。
ようです、と書いたのは残念な事に一切の記憶が無いから。多分あともう少し、例えば兄のように帰国時4歳児だったら多少の記憶が残っていたのではないか、とも思います。

が、帰国を先延ばしにしなかったのは父の会社の賢明な選択でした。
もう少し後だったら家族全員、生きてはいなかったと思います。

カンボジアで内戦が勃発し、クメール・ルージュによる大虐殺が始まったからです。

クメール・ルージュとは、かつて存在したカンボジアの政治勢力、および武装組織の俗称。 「クメール・ルージュ」という俗称はノロドム・シハヌーク時代、反サンクムの極左過激派を指してシハヌークがつけた呼称である。その後、カンボジア内戦でカンプチア共産党を初めとする諸政党を粛清したポル・ポトが率いる派閥と同義語となった。

Wikipediaより

詳しく知りたい方はこちらをどうぞ⬇️

https://www.sridonline.org/j/doc/j201807s03a02.pdf


現在ペン・セタリン氏は私の実家がある街に住んでいて、カンボジア料理店も営みながら日本とカンボジアの架け橋になるお仕事をずっとされています。


こちらがそのカンボジア料理店


町田にカンボジア料理の店が出来たと知った両親が駐在時代を懐かしく思い、彼女が経営するこのお店、アンコール・トムへ家族で初めて食事に行ったのが40年近く前になります。

お店で色々話をしていたら、私たち家族が駐在していた家の前に建っていた小学校に彼女が通っていた事が判明。滅多にないないご縁ですね。
以来、八十年代からのお付き合いが途切れることはありませんでした。

母が教えるフラワーアレンジメントの教室に彼女が通っていた事もあり、今でも「先生、先生」と母を慕って下さり、また私の事も事あるたびに気にかけて下さっていました。

2005年に旅した時の写真


🪷

前置きが長くなりましたが、母がセタリン氏から受け取った連絡は八王子で講演会がある、というもの。

八王子国際協会のパンフレット

今現在私のいる所(佐渡の家ではありません)からは2時間位かかるのですが、なかなかない機会なので八王子駅で母と待ち合わせ、一緒に行く事にしました。

セタリン氏の代表作は『私は水色のシマウマ』


おそらく大部分の日本人が持っているイメージとは違う、カンボジアも描かれています。

そこからの抜粋も幾つか紹介されていました。

カンボジアは、長いこと人々が飢えるという事を知らず、米、魚介類、果物、木の実など自然の恵みに満ちた国でした。

私は「水色のシマウマ」より

多分大部分の方が「ええ⁉︎」と思ったのではないでしょうか。
そうらしいのです。母もよく「リトル・パリ」と呼ばれている本当に美しくて豊かな国だったのよ、と私に言っていました。

2005年に旅した時の写真


♦︎カンボジアで、ポルポト政権が5年続き、私は両親はじめ直接の家族10人のうち6人を失いました。

私は「水色のシマウマ」より

中国の文化大革命と似ていますね。知識層が先ず排除されたようです。ご家族が学校の先生だったり高学歴だったので…という話は以前から聞いていました。日本に留学していたセタリン氏は本当に幸運だったとも。
極端な例ではメガネをかけてると「アイツは頭が良さそうだ」と連れて行かれ、戻って来ることはなかったそうです。

ちょっと暗い話になってしまったので🙃 カジュアルな部分から

♦︎カンボジアでは姓を呼ぶのかえって失礼で、名前の方で呼びます。

私は「水色のシマウマ」より

これは私も初耳でした!
私たちはずっと親しみを込めて「セタリンさん」と呼んでいましたが、正解だったようです。

理由については

ご先祖様の名前を勝手に気安く呼ばないでほしい

との事でした。
中国も本名の代わりに字名(あざな)で呼ぶ、とかありますものね。常識ってやはり国によって違うもの。

2005年に旅した時の写真


♦︎クメール人は性格的に日本人によく似ているところがあるように思います。自己主張が上手ではありませんし、態度が控えめなのです。

私は「水色のシマウマ」より

ご著書を書かれたのは20世紀なので、多少変わっている所もあるでしょうが、分かります。タイ人やベトナム人、中国人とも違う感じがします。

2005年に旅した時の写真


日本人をどう見ているか、という質疑応答の時に出た話ですが…

現在、中国の資本がカンボジアに大量に入っているのは周知の事実ですが。
それについてはあまり快く思っていないカンボジア人が多いようです。

ざっくり、何故かと言えば

・技術はもらえない
・人材育成はしない
そもそも中国人は法律を守らない

セタリン氏談


基本的に本国から人を派遣して工場を作り、生産し、輸出、という形を取るのでカンボジア人を育てて次世代に繋げる、という事には全くならないようです。

借金漬けになっているようですが、返せないので将来的に国を割譲するのでは、という国民の懸念も

それでも受け入れるのは何故か。
何故、カンボジア上層部は中国からの申し出を快く受け入れるのか。

…リベートがあるからです。国の為にならなくても、自分たち一族の懐は肥えますから

セタリン氏談

カンボジアの与党政治家は基本的に世襲制のようで(以下略

日本は技術を教えてくれて人材育成してくれ、後々のカンボジアの為になるように事業をしてくれるので、日本人にもっとカンボジアに進出してほしいと思っている、との事。

聞いた事のある話だなぁと思ったら、日本の台湾での植民地政策についての講義を受けた時も現地の方の、そんな話を聴きました。先人の行いに感謝ですね。

母と色んな事を考え、話しながら帰途に着きました。

🍴

難しい話は置いておいて…

少しでもカンボジア料理にある方、町田近くにいらしたら是非に!
ヘルシーなものも多いし、美味しくて食べやすいですよ!

https://www.unhcr.org/jp/60307-interview-restaurant-angkorthom.html


そして現在、カンボジア旅行も安くて良いホテルに泊まれるようです。
私と家人は20年前に行きました。

タム・ロープは
百聞不如一見!
川下りで
川辺


寺院周辺


お決まりの像とのチュー😘スポット

ざっとだけ書こうと思ったら2300字の長文に。
最後までお付き合い頂いた方、ありがとうございました。

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