夏越のご相伴
夜店から長く伸びた腕が暖簾を持ち上げる。
「寄ってきます?」
切れ長の目を細めて、男は笑った。
祭りの中、私は余韻に浸りたくて1人で歩いていた。
提灯の明かりが列をなし、夜を温かく包んでいる。
ソースの匂い、氷の中からビールを取り出す音、遠くのお囃子……
一年に一度の祭りは、小さな頃からの懐かしさに触れ合う時間だと思う。
声をかけられたお店は、少し風変わりなものだった。
「おでん?」
この暑いのに。
男はたすき掛けした浴衣の袖を整えると、おでんの汁を小皿に入れて目の前に差し出す。
口に含むと、冷たいカツオだしの味が広がり喉を通る。
「冷やしおでんです」
「夏野菜で、熱うなった体を冷ましてもらおう思いまして」
ゆっくり語られる口調に合わせるように、目の前に並べられた夏野菜を見つめる。
ナス、トマト、オクラ、練りものに卵。
私は無言のまま、喉を鳴らす。
「く、ください!」
「おおきに。お任せにします?」
コクコクと頷くと、男は菜箸をとり陶器の器に彩りよく野菜を盛り付けた。
「どうぞ」
目の前に置かれた冷やしおでん。
写メを撮ることもなく、箸をもつと大きなナスを頬張る。
口の中に冷たいカツオだしとナスの香りがじゅわりと広がる。
二口目には生姜を乗せると、鼻に抜ける香りが増す。
手を休めることなく、トマトをかじる。
その冷たさの中に甘みと酸味が混じり、火照った体を冷ましていく。
「…美味しくて、止まらないです」
考えてみれば“いただきます”も言わずにかぶりついてしまった。
照れくさそうに笑うと、男はウチワを仰ぎながらクスりと笑う。
「いい食べっぷりでええですねえ」
「お祭りなんやし、無作法でええじゃないですか。楽しみましょ」
その言葉に安心する。
そうだ、今日はお祭りだ。
道端に並んだ店に思うままに入り、両手に焼きそば、たこ焼き、フランクフルトを持ちながら、かじりつく。
好きなものを口に入れては、もう目は次のものを探してる。
食べて、飲んで、遊んで、昔を思い出して、笑って過ごす。
私は今日、それを楽しみにきたんだ。
冷たいカツオだしを飲み干す。
「ごちそうさまでした」
満足気に目を閉じる私を、男は目を細めて笑う。
「ええ顔ですね」
「ほな、お祭り楽しんでください」
その静かな声が耳を通り抜けたと同時に、ザワザワとした祭りの喧騒が広がる。
振り返ると、私は赤い鳥居の前にいた。
店も冷やしたおでんも、あの浴衣姿もない。
鳥居の奥には、白い狐の姿が浮かんでいる。
神殿の前には油揚げと、おでんが供えられていた。
そのお社をしばらく見つめた。
「ご相伴にあずかっちゃった…かな?」
祭りを楽しんでと言われた言葉が耳に残る。
体から熱が抜けて、自然と背筋が伸びる。
私は口元に笑みを残したまま、夜店の灯りへ溶けていった。
お読みいただいて、ありがとうございました。本作はシロクマ文芸部さんの企画に参加しております。
