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息子を「普通」に育てようとしていた私が、それを手放すまで


今でこそ、

一般的な子育てルートから外れた生活を送っている我が家だけど、

最初からこんなふうになることを想定していたわけじゃない。


「普通ルート」を完全に手放す覚悟ができたのは、

息子が幼稚園の年長になった頃だった。


それまでは、

息子が他の子どもとは、違う様子であることを目の当たりにしつつも、


「上手くやればなんとか普通のルートに乗れるはず」

「まだ普通の子どもに混ざっていくことができるはず」


と可能性を捨てきれずにいた。

普通の「ママ友付き合い」もそれなりにあった。


今日は、私が子育ての「普通」を手放すまでについて、

書いていこうと思います。


①最初の違和感は、言葉にならない不安だった



息子が言葉で初めて登園拒否を表明したのは、
保育園に通っていた2歳のころ。

彼は生後4ヶ月から保育園に入園しており、すでに園生活は3年目だった。


0歳の頃からずっと続く、登園後の機嫌の悪さに加えて、

「オバケが出るから保育園に行きたくない」

と言い出した。


私はその発言を聞いたとき、

彼の「漠然とした強い不安」を感じ取った。


「これがイヤ、あれが嫌い」という具体的な不満ではなく、

「なんとなくとても不安」なのだろうなぁと。


次第に、

登園後には暴れて私に噛み付いたり、攻撃的に振る舞うようになった。


この保育園が息子には合っていないのではないか


私はそう考えるようになった。


情緒不安定な息子の様子に、

自分の仕事をセーブして、息子を安心させたい。

そう思うようになった。

②「安心」を用意すれば、うまくいくと思っていた



そこで、保育園の2歳児クラス卒業と同時に、

息子を別の幼稚園へと転園させた。


幼稚園は入念に探して、

「安心」を第一方針に掲げる、手厚い園を見つけた。


園の教育方針が一貫していて、

先生は声を荒げて叱ることなく、

子どもが嫌がる活動を、無理に強要させるようなこともなかった。



この園ならきっと息子も馴染んでいけるはず。

そんな期待が高まった。


ところがこの園でも、

入園から日を追うごとに、息子の登園拒否は激しさを増していった。


園での息子は、いつも身体を硬らせ、ほとんど何も話さなかった。

家で見られるようなイキイキとした笑顔は、

いつになっても封印されたままだった。


ほとんどの子どもが、

普通に園生活を楽しめるようになってきた冬ごろ、

私と息子は限界に達していた。


冬休み明けの登園日。


「今日は絶対に登園させる」と、意気込んでいた私の隣で、

息子は「お腹が痛い」と泣き出した。


次第に顔が真っ青になり、酷く苦しそうだった。

ただ事ではないと感じて、急いで小児科へと走った。


結果的には、特に大きな病気ではなく、
ちょっとお腹が張っていた程度だったらしい。

その日のうちに腹痛は治ってしまった。

だけど、

「お腹が猛烈に痛くなった」というのは、嘘でもなんでもなくて、


明らかに彼の身体からのSOSだった。


そしてこの頃には、

自分は、他の子がしている遊びを一緒にしても、楽しくないんだよ

と、はっきり発言するようになっていた。



もう息子は限界なんだ。



そう思うと、無理やり息子の腕をつかんで園に連れていくことが、

もう出来なかった。


担任の先生からの、

お子さんは園生活を楽しんでますよ

という言葉も信じられなくなった。


そこで、担任ではなく園長先生に、相談する機会を設けてもらった。



園長先生との面談で渡されたのは、

息子が写っている、たくさんの写真だった。

他の園児に混じって電車ごっこの列に加わっていたり、

周りの子と、一緒にポーズを取っているような写真もあった。


そして、担任の先生と同じように、

「園生活を楽しんでいる様子だから、安心して連れてきて」

と声をかけられた。


私はひどく困惑した。


本当に息子は園生活を楽しんでいるのか?

私が彼を甘やかしているだけなのか?

無理やり連れて行き続ければ、いつか解決するのか?


何もかも、わからなくなって、涙が止まらなかった。


③どこへ行っても、息子は変わらなかった



繰り返される登園拒否と機嫌の悪さで、

私は疲れ切っていた。


もう力ずくで登園させる気力が残っておらず、

かといって、家で一日中息子と過ごすことも、辛かった。


実母に電話をして、しばらく帰省してもいいかと聞くと了承してくれたので、

息子を連れて新幹線に飛び乗った。


母は事情をわかってくれたが、困惑していた。


息子が産まれてから、実家には何度も顔を出していた。

母は、息子が私にベッタリで、四六時中離れず、意志がとても強く、

手がかかる子である
ことを、よく知っていた。


育児の大変さと、登園させられないことについて、

理解はしてくれたが、

かといって長居されると困る…といった様子だった。


父は、私の育児の苦労を、あまり理解していなかった。


「高齢な親に甘えて、ラクをしに来ている」

そんなニュアンスの発言をされ、口論になり、

「なぜちゃんと幼稚園に連れて行かないのか」と責められた。


実家の近くに暮らす姉からも、的外れなアドバイスをされ、

身内にも理解してもらえないことに、傷ついた。


普段から生活を共にしていない人に、

息子の問題を理解してもらうのは、無理だ
という諦めもあった。


私自身も何が正解かわからなかったし、

丁寧に言葉を尽くしてわかってもらおうという気力は、

もう残っていなかった。


この時期に、夫がお笑い芸人の仕事を辞めて就職したため、

通勤しやすい場所への引越しを考え始めていた。


このまま幼稚園に在籍していても、進展すると思えず、

思い切って引越しと共に、転園することにした。

次の園は、0歳から年長まで、総勢で15名ほどの超小規模園に決めた。

部屋は一つだけ、メンバーもいつも一緒。


今度こそという期待と、

また無理かもしれないという諦めが、

半々だったと思う。



そして結果的には、

息子はここでも、入園した年の秋頃から、

猛烈に登園を拒否するようになり、

冬には荒れ狂う息子を見ながら、

「やっぱり」という絶望感に襲われた。


そして息子が登園したくないのは、

園の質の問題ではないんだ
と確信した。


④集団に入れないのではなく、入らない子だった



なぜかはわからないけど、

息子は集団に入ること自体に強い抵抗感があり、

皆と同じように振る舞うことを好まない人なんだと、

気付かざるを得なかった。


あからさまな強要ではなく、自然な形だとしても、

大人から与えられる活動に、素直に参加することはなく

大人の期待に沿うような発言や態度は、絶対にせず

わざと場違いな振る舞いをして、

周りの反応をうかがっているようだった。


みんなが一致団結して臨む運動会のリレーを、突然スキップで完走して、

アンカーの子を怒り泣きさせたこともある。


親戚の集まりなどでは、場違いな態度をとることがないことからも、

空気が読めないのではなく、

むしろ、その場の空気をビンビンに感じていて、

そこに収まるまいと抗っているように、私には感じられた。



いくら叱っても、倫理的に諭しても、

息子の園での行動が変わることはなかった。

そこまで息子の様子を観察してきて、私は悟った。

こいつ、ほんまもんの変わり者なんだ…。しかも意志が強すぎる



年長になる頃には、

これ以上息子に「普通」を強要することは無理だと感じていた。


「普通」ではない子に、

「普通」に振る舞うことを強要し続けたら、

この子はきっと壊れてしまうだろう
と思った。


だってまだ5歳なのに、

「自分じゃない人間として生きる」

なんて酷すぎる
し、

第一、この子は死んでも「普通」にはならないだろう。


⑤「普通」を諦めた日から、新しい育児が始まった



「周りに合わせるのではなく、この子にあった方法で育てる」


普通の道を諦めて、私はそう決心した。

絶望していた頃より、気持ちがラクになった。

だって、イバラの道を一緒に切り拓いていかなきゃならないんだから、

絶望なんてしている場合じゃない。


普通の道に希望は無くなったけど、

イバラの道になら、希望はあるかもしれない。

それを全力で探しに行く。




子どもの頃は優等生だったことも、

幼児教室の講師として育児を教えてきたことも、

「普通」のママ友との付き合いも、


私が積み上げてきた小さなプライドは全部崩れて、

ただ「変わったやつの親」としての育児が始まった。

一般の育児論は、山ほど読んできた。

でも、そこに我が家の正解はない。

ただひたすら、息子を観察し続けて、

息子が伸びたい方向の可能性を探る。

決意は固まった。

だけどやっぱり初めての育児。

すでにHPは削られまくってる。


どんなにキツくても、子育てに「待った」はない。



イバラの道は、やっぱりイバラの道だったのだ。




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