グルーヴは認知症予防になる?~なぜ「音楽 × 医学」 なのか(第3回)
※※この記事は私の個人的な視点と妄想まじりの考察です。 イヤホンでこの曲を流しながら読むと、書いてあることがそのまま“体感”として入ってきます。Michael Jackson - Rock With You (Official Video - Upscaled)

第3回:なぜ「音楽 ×医学」は進まなかったのか
~音楽家の身体知が見過ごされてきた理由~
あなたが好きな曲で『鳥肌が立つ瞬間』は、実は脳が興奮している証拠です。
前回までは、「グルーヴしているとき、脳は良い状態にある」という最新の神経科学の話を見てきました。
では、ここで自然に浮かぶ疑問があります。
「こんなに面白くポテンシャルもあるのに、なぜ音楽と医学の連携はあまり進んでこなかったのか?」
この疑問を“音楽側”と“医学側”から考えてみます。
❶大まかな背景:
「健康改善=身体を使う運動⇒スポーツ」という先入観が強すぎた
これは医学界・音楽界・そして社会全体に共有されている認識と言えるでしょう。
身体を使う → スポーツ
科学的研究 → スポーツ医学
トレーニング → アスリート。この構図が強すぎて、
「演奏も身体を使う高度な運動である」
という発想がそもそも生まれにくかった。
しかし実際には、楽器演奏はスポーツ以上に複雑です。
指先の数ミリ・数ミリ秒の制御と、予測と修正、他者と音を通じたリアルタイムの対話と感情表現を同時に行う。
これは脳科学的には“超高難度の運動”です。
しかし、音楽界自身がその「身体性」を十分に意識してこなかったため、医学との接点が生まれにくかった側面があります。
❷ 音楽側の理由:
「音楽=感性・芸術」という価値観が強すぎた
日本では特に、
音楽は感動、音楽は芸術、音楽は感性の領域、という価値観が強く
その結果、
メロディー分析、コード進行、和声学、作曲理論といった“音の構造”に偏りがちになり、音楽の持つ身体性が十分に語られてこなかったように思います。
❸医学側の理由:
「良いグルーヴとは何か」を定義できないため、測定もできないと思い込んでいる
医学側にも一つ大きな壁があるように思います。
それは、
「良いグルーヴとは何か」を医学者自身が定義できない
という点です。
医学の研究は、
明確な定義、測定可能な指標、再現性のあるデータ
を必要とします。
しかし、グルーヴは音楽家の身体感覚に依存する概念です。
医学者はこの“身体知(経験から得た「100分の1秒単位のタメ」や「共演者の呼吸を察知する予読」を判断する能力)”を持っていないため、
何を良いとするのか、どのズレが快感を生むのかどこから崩れるのかが分からない。
心拍数や脳波は測れるが、それが『良いノリ』の結果なのか、単なる『緊張』なのか区別がつかない。その結果、
「気持ちいいグルーヴは主観だから測れない」
という思い込みにつながってしまう。
しかし実際には、測れないのではなく、
“何を測ればいいか分からない”だけなのです。
■ では、どうすればいいのか
グルーヴの定義と判定をミュージシャンに任せればいい
ここが私の提言したい一番のポイントです。
医学者はグルーヴを定義できない。
医学側が困っているのは、“測定方法”ではなく“基準”です。
しかし、ミュージシャンは定義できる。
どのタイミングが気持ちいいか、どのズレがノリを生むか、どこから崩れるか、どの瞬間に快感が生まれるか。
■まとめ:新しい連携のフロンティアへ
現在、脳科学の進歩と社会のニーズが重なり、音楽の可能性を広げる土壌が整いつつあります。
音楽を「(激しいスポーツに比べ)全身への過度な負担が少なく、幅広い世代が取り組みやすい、脳に直接的に働きかける運動」と定義し、音楽家が長年培ってきた「身体知」を、医療や科学の文脈へと“橋渡し”する。
次回は、「音楽家の主観は、科学が持たない最高のセンサーである」という視点から、“グルーヴの判定を音楽家に任せる”という新しい連携モデルをさらに深掘りしていきます。
■1回〜5回までをひとつのマガジンにまとめました。 よろしければ、こちらから通しで読んでみてください。
※本記事は筆者の経験と考察に基づくものであり、医学的助言を目的としたものではありません。音楽と医学の関係を考えるきっかけとしてお読みください。
