月夜に人魚は夢を見る
🍊第65回 3つのお題(日本むかし話)
🎈お題①:「人魚が残した貝殻」
🐾お題②:「百年に一度咲く彼岸花」
⏳お題③:「月夜に光る櫛」
お題④イラストから空想した世界を書いて下さい。
月夜に人魚は夢を見る
昔、月の美しい海に、一人の人魚が住んでいました。
人魚には、自分がいつからこの海にいるのか、なぜ人魚になったのか、その記憶がありませんでした。
ただ、不思議なことがありました。
月夜になると、なぜか涙が流れるのです。
ある夜のこと。
海岸に、百年に一度しか咲かないという彼岸花が、美しく咲いていました。

人魚は地上へ上がることができません。
ただ海の中から、その花を見つめていました。
すると、真っ赤な彼岸花から一滴の雫が落ちました。
まるで、血の涙のようでした。
「あなたも泣いているの?」
人魚の胸に、いいようのない切なさが込み上げました。
「百年も待ち続けたの? 誰を待っているの?」
答えはありません。
ただ、忘れていたはずの感情だけが、胸の奥で大きく揺れていました。
その時です。
月明かりを受けて、海岸で何かが光りました。
一本の美しい櫛でした。
「その櫛も、私と何か関係があるの?」
人魚は問いかけました。
けれど櫛は、何も答えません。
ただ月夜に照らされ、静かに輝いていました。

人魚は月を見上げました。
「お願いします。たった一日でいいのです。どんな苦しみも受け入れます。もう、この命さえいりません。私は何を願っていたのか。誰かを愛していたのか。それだけでも教えてください」
人魚は心から願いました。
すると、キラキラと揺れる海面に、一枚の貝殻が浮かび上がりました。
貝殻から、さざ波のような音が聞こえてきます。
やがて月明かりの中に、一人の美しい女性が現れました。
人魚によく似ています。
けれど、その女性には人魚の尾ひれはありませんでした。
「あなたは……誰?」
人魚が尋ねると、女性は静かに答えました。
「あなたです。人魚になる前の、あなたです」
そして女性は、遠い昔の物語を語り始めました。
かつて、一人の娘がいました。
娘は一人の男性と深く愛し合っていました。
けれど、二人は結ばれることなく、男性は別の女性と結婚し、娘の前から姿を消しました。
それでも男性は、娘を忘れることができませんでした。
やがて、すべてを捨てて娘のもとへ戻ろうとしました。
しかし、その途中で命を落としてしまったのです。
娘は悲しみました。
自分もすぐに男性のあとを追おうと思いました。
その時、海の神が娘の前に現れました。
「一つだけ、あの者の命を救う方法がある」
「何でもします。どうか、あの人を助けてください」
「その代わり、お前は愛する者との記憶をすべて失い、人魚となって永遠にこの海で生きなければならない」
娘は迷いませんでした。
「それでも構いません。あの人を生かしてください」
こうして男性は命を取り戻しました。
けれど娘からは、愛する人の顔も、声も、名前も、一緒に過ごした日々も、すべて消えてしまいました。
ただ一つ。
心に刻まれた愛だけは、消すことができませんでした。
だから月を見るたび、人魚は理由も分からず涙を流していたのです。
百年に一度咲く彼岸花は、娘が男性を待ち続けた年月。
月夜に光る櫛は、男性が娘に贈ったもの。
そして貝殻は、二人がまだ幸せだったころ、海辺で男性が拾い、娘に手渡したものでした。
すべてを聞き終えた人魚は、静かに微笑みました。
「そう……。私にも、愛する人がいたのね」
涙が頬を伝いました。
でも、その涙は今までとは少し違っていました。
「もう十分です。私は十分に生きました。そして、命をかけても惜しくないほど誰かを愛したことを知ることができました。それだけで幸せです」
その夜。
百年に一度の彼岸花は、月明かりの中で静かに花びらを閉じました。
光っていた櫛も、いつの間にか消えていました。
そして人魚の姿も、海から消えていました。
それからしばらくたった、月の美しい夜のこと。
海辺を歩いていた村人が、不思議なものを見たそうです。
月明かりの中を、一組の男女が手を取り合って歩いていました。
女性の髪には、美しい櫛が挿してありました。
男性は女性の手を、決して離さないように握っていました。
二人の足元には、一枚の貝殻。
そして遠くには、季節外れの赤い彼岸花が一輪だけ咲いていたそうです。
あの二人が誰だったのか。
それを知る者は、誰もいません。
ただ――
二人を見たという者がいたのは、
後にも先にも、
たった一度だけだったそうです。
――おしまい。

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