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夜桜と #シロクマ文芸部



夜桜と涼子の帯に散る桜の花びらが、何故か悲し気に見えた。私の書斎の障子を開けると月明かりの下に、ぼんやりと庭の桜が見えていた。

「ご迷惑だったのですね、私の存在が」

瞳を潤ませながら涼子は言うと、私が贈ったつげの櫛をよく磨かれた爪が光る指で畳の上についと置いた。

「迷惑⋯そんなことはないよ」
「だって⋯」

その後の言葉が続かなかった。

「どうして、貴女はそんなことを思うの?」
「貴方は、ちっとも私のことなんて好きじゃないんですもの」

また、その話か⋯
そう思うが、聞いてやらないことには涼子の気持も収まりがつかないだろう。私は文机から離れ、彼女の前にきちんと正座をして両手を着物の袖の中でこまねいた。

「何が言いたいんだい?」
「お手伝いの春美が言っていました。貴方が本当に好きなのは自分だって⋯」
「また、そんなくだらない事を信じているの?」
「だって、貴方は文壇の人達にも私のこと、紹介してくださらないし⋯いつまでたっても私は日陰の身なんですもの」
「私が好きなのは涼子だって、いつも言っているだろう?」
「じゃあ、あの子にお暇を出して」
「春美はね、身寄りもないし、此処以外雇ってくれるところがないんだよ」
「でも、あの子、私にはぬるいお茶を出すのよ。虐めるの。先生への扱いと全然違うんですもの」
「そんなことで⋯それにね、春美は書生で女中じゃないんだよ」
「もう、いいわっ」

涼子は理屈で勝てないと分かるとすぐに泣く。そんなところを最初は可愛いと思ったが、今はもう私の執筆の邪魔でしかない。

「我慢してくれないか?あの子のことを妹だとでも思って可愛がってやって欲しいんだが⋯」
「いつも私は我慢なんですね⋯」
「そんな事言ってないだろ?」
「私のこと、守ってくださるって、おっしゃったくせに」
「守る?だいたい虐められてるって証拠はあるのかい?」
「証拠?私が虐められてるって感じているのは証拠にならないの?どうして被害者を責めるのかしら」
「責めてやしないよ。証拠がはっきり分かったら、春美をクビにしてもいい」
「どうぞ、先生のご勝手に」

涼子は畳の上に突っ伏して、今度こそ本気で声を上げて泣きだした。こうなると話し合いも何もない。

「こんな男が嫌なら、やめたらいいよ」

私も渡りに船だった。これ以上は何を言っても無駄だろう。その時、襖が開いて

「先生、お茶をお持ちしました」

春美が盆にお茶を持って現れた。

「あぁ、ありがとう。気が利くな〜、春美は」
「それから小説を書き上げたんですけど、後で読んでくださいますか?」

春美は文机の上に湯気が立つ湯呑みと原稿用紙の束を置き、

「お邪魔しました。後で涼子さんのお部屋にもお茶をお持ちしますね」

それだけ言うと部屋を出て行った。涼子も泣き腫らした蒼白い顔を上げ、無言で立ち上がると私の前から立ち去った。白い足袋の足取りの心許なさが、私に一抹の不安を覚えさせたが、書きかけの原稿に向かう事の方が重要だった。
畳の上にぽつんとつげの櫛だけが残されていた。
あの時の私は、それが涼子を見る最後になるとは思ってもいなかった。



涼子が消えて二年が過ぎた頃、私は新しい恋をした。茜は屈託なく笑う明るい娘だった。それが私の家に住みついてから、涼子と同じような事を言い始めた。

「先生、私のこと好き?」
「ああ、大好きだよ」
「ウソ!住み込みの春美さんが、先生は自分のことを一番好きなんだって言ってたもの」
「私が好きなのは茜だけだって、いつも言ってるだろう?」
「それに春美さん、私を睨むの。虐められてるのよ、私」
「気のせいじゃないのかい?」

あぁ、この女も涼子と同じか⋯

こんこん⋯
襖が開くと
「先生、お茶をお持ちしました」
いつものように春美がお茶を運んできた。白いブラウスを着た彼女の胸元の膨らみが以前よりも、丸みを帯びている。随分と大人になったものだと見惚れていると茜が、ぷいと部屋から飛び出して行った。その背に向かって春美が声を掛けた。

「あ、茜さん、後でお部屋の方へお茶をお持ちしますね〜」

春美はそのまま庭先の方へ向かうと、両手で障子を開け放した。

「先生、綺麗に咲きましたね」

其処には桜の樹の下に二年程前、彼女が植えた紫陽花が、月明かりを浴びて見事に咲き誇っていた。

「うん、綺麗だ。薄桃色の中で一箇所だけ咲いている青い紫陽花が、なんとも美しい」
「うふふ⋯そうでしょう?肥料が良かったのかしらね」
「来年も咲くかな、青い紫陽花」
「ええ、先生、青い紫陽花はもっと増えますよ。私が綺麗に咲かせてみせます。うふふ」





小牧幸助さんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。


使い古された手で
ベタだったな⋯(泣)


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