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今日と明日で何かが絶対変わるから

2026年6月、人生で初めての入院、手術をした。
31歳の前厄のタイミングで。
忘れないように、書き残しておこうと思う。


大きい病院に行ってください

2025年5月、会社の健康診断で受けた子宮頚がんの検査に引っかかった。確かにここ2年くらい、健康診断と生理がかぶっており検査は出来ていなかった。その前の年に乳がんの検診で引っかかったこともあり(それは結局良性だった)、わたし全然健康じゃないじゃん…と思った。

よく分からないままに家の近くの婦人科に行き、説明をすると、この検査はうちでは出来なくて紹介状を書くので○○病院に行ってくださいと。え?あの大きい病院に?と急に怖くなった。ざっくりと検査の説明をしてくれて、痛いし出血もまぁあると言われ、さらに怖くなる。

妹が同じように異形成で病院に行っているのは知っていて、その検査で一度大量に出血があり、怖くて病院に行きたくないと言っていたのを思い出し、その検査なのかなと思った。一度怯むと、全てが止まりそうな気がしたので、その婦人病院を出た後、道で大きな病院に電話をして予約をした。雨が降っていた。


30歳、全然子ども

心配はかけたくなかったけれど、何かあってからでは遅いし母に連絡すると、一緒に病院に来てくれた。
こういう検査をしますよと説明受けて、あの怖い台に座り、座るだけで涙が出た。

2回パチンとします、と言われ、2回とも全然痛かった。痛くて、痛い!!!!!と言いながら涙が出た。終わった後は全然痛くなくて、その瞬間だけが痛かった。初めてタンポンを入れられ、自分の体から出る紐も怖かった。

母がいてくれて良かった。正直、今まで大きな病気もしたことがなく、健康に暮らしてきたつもりだったので、そもそも自分のことで大きな病院にいる事実が怖かったし、最悪の場合、がんの可能性もある未来が怖かった。

その日はお休みを取っていたので、母とケーキを食べてから帰った。母はずっと母だった。


とりあえず、何もなかった

1週間後、検査結果を聞きに行った。そしたら何もなく、炎症を起こしているだけのようです、と言われた。3ヶ月に1度の定期検診で診ていきましょうということになった。

何もなくて良かったと思いつつ、何かあったときのことを自分はちゃんと想像できていたんだろうか、とも思った。結局何もないだろうと、謎の自信があったような気もする。

そこから、9月、12月と定期検診があり、健康診断でやるような簡易のものなので痛みもない。ただ、あの台が怖いのと、終わった後の虚無感、この2つはずっとあった。


今日、お時間ありますか

2026年3月の定期検診の結果を4月3日に聞きに行った。これまで3回の検査結果を乗り越えてきたから、まぁ大丈夫だろうと思っていたら、高度異形成疑いと出て去年やったあの痛い検査をすることになった。話が変わってきたな、と思った。

1歳分、年をとって31歳になったわたしは、またあの怖い台の上で、2回痛い!!!!!!!と叫び、涙を流した。全然、泣いた。大人になっても痛いものは嫌、それにこの涙には不安も40%くらい混ざっている。

1週間後の4月10日、検査結果を聞きに行った。診察室に入ってお医者さんの一言目は「今日、お時間ありますか」だった。こんな怖い一言ないよ、と思った。

高度異形成で自然消滅することはほぼなくて、放っておくとがんになる可能性も0ではないことを説明された。円錐切除という手術をして、とってしまう方が良いだろう、ということだった。説明を受けながらまた泣いた。

タイミングが悪く、前日に恋人と別れたばっかりだった。自分から話がしたいと言い、最後にピザを食べに行き、そして別れ話をした。自分から話し出したくせに、ほとんどフラれたみたいな気分だった。多分このまま付き合っていても、最終別れるんだろうな、と予感できるようなそんな空気がずっとあり、その空気に耐えられなかった。散々泣いた、疲れ果てていた次の日の朝だった。

先生から説明を受けている間、脳内に星野源の「くせのうた」が流れてきた。流れながら、いやに冷静だな、と思ったりした。

悪いことは重なるなあ
苦しい日々は続くのだ
赤い夕日が照らすのは
ビルと日々の陰だけさ

くせのうた/星野源


恋人との別れが「入院手術」というワードで一気に塗り替えられた。こんな悪いことって続くんだ、自分のことじゃないみたい、と遠くから思っていた。


今日がライブで良かった

入院前の検査の日も決まり、大人にしては泣きすぎだろうという涙を流し、タクシーで会社まで行った。その日はずっと涙目だった。上司にお休みをもらうであろう旨を伝え、お昼のタイミングで在宅勤務に切り替えた。

家に着いてから母に電話をし、涙をこらえながら状況を説明した。電話を切った後、今日の夜何も予定ないならママのパワーを分けるためにハグしにいくよ、とLINEをくれた。泣くのをこらえてたのバレているんだろうなぁと思った。母はとにかくずっと母である。

夜はnever young beachのライブに行く予定だった。
こんな暗い気持ちでライブを楽しめるのか不安だったけれど、ライブはあまりに楽しく、今日がネバヤンのライブで本当に本当に良かったと思った。救われたと言えば軽率な感じがしてしまうけれど、その日ネバヤンのライブに行けたこと、ずっと忘れないだろうと思った。

ときには涙が流れて頬を伝うでしょ
そのぶんあなたのハートは赤く燃えるのよ
愉快な歌でも歌って、1.2の3.4で踊って
涙を笑顔に変えて、アハハのイヒヒで楽しくやろうよ

張り切っていこう
ほらほらチョチョイのチョイだよ
この世は天国 やるだけやったらいいのよ
鼻歌まじりでララララン
なんだか笑けてくるよね

幸せもほら向こうから
調子がいいねと歩いてくるかも

らりらりらん/never young beach

明日がくるなら、それだけで素晴らしいから
本当にその通りだなと思った。


この不安はわたしだけのものだから

そこから検査を受け、入院の日程も決まり、身近な人達に報告していく。

親友は手術が決まった週の日曜日の朝に電話をしてくれた。めったに電話することはないのに。そして、この後時間あるなら出かけようと誘ってくれた。親友の旦那さんと、子どもちゃんと4人で、美味しいアイスを食べに行った。恵まれてるなぁと素直に思った。

世の中には、いろんな病気があって、いろんな状況の人がいて、わたしが受ける手術は子宮を取るわけでも、今後出産できなくなるわけでもない、そんな大きな手術でもない、とは分かっている。

でも、周りにもたくさんいるし、よくある手術だからという言葉で自分の不安を片付けてしまうのは、あまりに可哀想だと思った。だって、別に大丈夫かどうかなんて、やってみないと分からないし、手術を受けるのはわたしだから。

わたしが怖いと思ったら怖い。他にどれだけたくさんの人が同じ手術を受けて、無事に終わっていたとしても、だから大丈夫になるわけではない。わたしのためにかけてくれた「まぁ周りにも結構いるよ、だから大丈夫」の言葉に少しモヤモヤした。でも、言葉をかけてくれる人の気持ちも分かるし、分かった上でモヤモヤしてるから、自分は性格が悪いなぁと思った。(もちろん、この文章が目に触れるであろうほど、わたしの身近な人に向けては言ってません…!もしかして自分のこと?なんて思わないでください!)

手術の同意書などを書くのに、その翌週母に会った。母は別れ際、人がたくさんいる梅田の真ん中でハグをしてくれた。何も言わなくても、わたしの不安はきちんと伝わっていて、何も言わずただただパワーを分けてくれた。母はずーっと母である。


家族以外のやさしさに埋もれる

手術まで日程が空いていたので、その間に読んだ本や映画で、またさらに怖くなるということもあった。

高瀬隼子さんの作品が好きで、ほとんど読んでいるのだけれど、このタイミングで「犬のかたちをしているもの」を読んだ。

主人公が卵巣の手術をしていて、主人公と彼氏をとりまく問題の話なんだけれど、これを読んで、わたしも手術をしたら、する前とした後で何かが決定的に変わってしまうのかなぁとぼんやり思った。それこそ、生理とか性的なことってどうなるんだろう、手術をしたことは絶対に忘れないし、生理やそういうことをするときは、手術のことを毎回思い出すのかなぁ、とか。そういうことから距離をとるのかなぁ、とか。それって結構、大きな変化なんじゃないかなぁと。ぼんやりと。

また、染谷将太が出ている廃用身という映画を見に行き、手術のシーンでずっしりと暗い気分になった。内容自体はおもしろく考えさせられたのだけれど、今のわたしには手術室のあの煌々と光るライトだけが、脳にこびりついた。

それでも、わたしは運がいいことに家族以外の心配してくれる人達に恵まれていた。やさしさ、ひとつひとつに胸がぎゅっとなった。

メッセージはもちろん、お見舞いに行きたいと言ってくれたり、入院中時間があるだろうからと本をたくさん送ってくれたり、お守りをくれたり、手紙をくれたり。すべてがありがたかった。これまで自分がやってきたことや、つくってきた人間関係、すべてに誇りを持てたような気がした。


完璧な日曜日

手術前の最後の日曜日、わたしはまたnever young beachのライブに行った。去年、大阪城野音のライブに行って、それが最高だったので今年も行くことにした。

去年同様、下に降りれるらしいよ、の一言で走って前へ行き大合唱。アンコールで大好きだよとみんなで歌う、幸せに包まれた空間に笑ってしまった。あまりにもハッピーバンドすぎるネバヤン、エンターテイナーな安部さんに、またもや救われた日曜日。


手術が決まってから、入院するまで、いろんなこと考えた。結婚もまだしてなくて、子どももこれから欲しいのに、こんなことが自分にふりかかるなんて思ってなかった。手術を受けたからと言って100%完治するかどうかは分からないし、でも放っておくことも出来ない。選択肢もあんまりないし、もうどうしようもない、そもそも予防とか対策とかできないこの状況が、もどかしかった。

まずは手術が無事終わり、とった箇所の精密検査の結果が良いことを祈るしかない。毎日ちゃんとご飯を食べて、ほどほどに仕事をして、ストレスなくぐっすり寝ることしかできない。でもそれで良いのだろう、と思った。

心配して声をかけてくれた全ての人に、わたしも同じように声をかけられる人になりたい、と思えた2ヶ月でした。

入院〜手術〜退院までも記録します。

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