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【墓碑を巡ろう①】藩のメンツを守った、名も知れぬ5人の若者 福岡市博多区

~寛政年間に黒田藩から身を挺して村を守った5人の若者たち~

事件が起きたのは、寛政年間(1789~1801)の寛政12年(1800)。江戸では、11代将軍徳川家斉のもとで松平定信が寛政の改革を推し進め、時の天皇光格天皇の実父へ尊号を幕府の許可なしに送り、幕府と朝廷との間で溝が深まっていた時代。一方、黒田藩領内の博多松原(今の地下鉄箱崎線馬出九大病院前とJR吉塚駅の間と推定される)では、芝居小屋で酒に酔った武士が狼藉を働いた。そんな武士を勇敢にも芝居小屋から若者たちがたたき出した。もちろん酒に酔って狼藉を働いた武士は切腹。しかしながら、ここで話は終わらない。藩としては、どうにかして武士を叩き出した若者たちを捕まえなければならない。防犯カメラもない時代に信頼できるのは目撃情報。しかし、その目撃情報が乏しいとなると、どうするか?そうだ、犯人をでっちあげればいい。目撃情報として挙がっている「松林の方に逃げた」から、堀口村を連想したのか、黒田藩は堀口村に次のように脅しをかける。「犯人を差し出さなければ、村もろとも焼き払う」さあ、このように藩から圧力を受けては、堀口村としても泣く泣く犯人をでっちあげるしかない。誰も名乗りたくない状況の中、村を救うため5人の若者たちが名乗りを上げる。新右衛門(21歳)、与右衛門(20歳)、弥吉(19歳)、次八(15歳)、豊助(18歳)。この若者たちは、推定無罪で、黒田藩のメンツを守るという理由で命を奪われ、遺体は帰ってこなかったそうです。この痛ましい歴史を後世に伝えるとともに、散った5人の若者を供養するために碑が立てられたそうです。

寛政義民 松原5人衆の碑


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