気づくまで、約五秒。
舌先がびりっと痺れる。声を出す間も無く、その瞬間に全てが爆ぜた。
内臓が風船のように膨れ上がったのか、身体中の骨が木っ端微塵に砕けたのか。あるいは、脳みそだけが弾けているのかもしれない。まだ痛みはない。真っ先に痛覚が死んだのだろう。
体が浮遊している感覚だけがある。これは意識が漂っている、もしくは、体が浮いているのかもしれない。
次の瞬間、浮いている体がぐるりと回転した。
天井を見つめていた視線が、ゆっくりと壁にうつる。ホテルの薄汚れた壁紙の、継ぎ目の糊が剥がれていた。喫煙可の部屋は、大抵汚い。隙間から視線を感じる。鳥肌が立った。痛覚はなくても、肌の感覚があることに胸をなでおろす。もしかすると、視線を感じたのは気のせいかもしれない。壁の隙間に人間がいるわけがない。
古いブラウン管のテレビ画面の中で、砂嵐が舞っている。テレビも消さずに眠っていたらしい。そういえば電気もつけっぱなしだ。それにしても、眠っていたはずなのに、舌先が痺れたのはなぜだろうか。口の中に、何かを入れられたということか。
髪と瞳が綺麗な女を、連れ込んだことは間違いない。バーで誘ったらホイホイついてきた尻の軽い女だ。肌の感覚も覚えている。悪くなかった。張りつくような弾力に、そのまま指を埋めたくなる快感を感じた。いい夜だった。アルコールで記憶は所々飛んでいるが、動物のように貪り合ったのは久しぶりで、全身が悦んでいた。
あの女はどこだ。
腕まくらをしてやったら、腕が痺れた所までは覚えている。この夜中に部屋を出たのか。乱れに乱れたシーツが目に入った。女はいない。シーツが赤く染まっている。鮮やかな赤。それが血だと自覚した途端、夢から覚めたように全体重を感じ、勢いよくベッドの上に落ちた。
「ぐぅ」
唸り声をあげる。痛い。うつ伏せになった体を、必死の思いで仰向けに戻す。体に痛覚が戻ってきた。おそらく、爆ぜたのは体の中だ。口の中の粘膜が、鉄の味を拾い上げた。薬を盛られたのか。何のために。女との出会いは、偶然ではなかったということか。
天井を見つめていた視界の中に、女の顔が入り込んだ。
「あなたとモーニングコーヒーを飲んでみたかったのに……。残念ね。覚えている? 大学生の時、バレンタインに告白されたの。冴えない女の子がいたでしょ。あなたが、おとしものを偶然拾って届けてあげた。ただ、それだけだったのに、その子は恋をして。少しだけ付き合ってくれたよね。一ヶ月くらいだったかな。そしてすぐ振ったでしょ。合わなかったからって、優しく振ってくれたのはよかったのに。次の年度の学祭のカップルコンテストで、別の女と出ていたのを見て、二股をかけられてたって知った時は驚いた。あなたって本当に嘘つきよね。本命がいるのにいろんな子に手を出して。それを責め立てたら、サークルの合宿の時に、プールに投げ落とされたときは恥ずかしかった。あれは私の黒歴史。あれから私、努力して綺麗になったの。あなたを見返したくて。少しだけ女優の仕事もしたのよ。私の演技うまかったでしょ? でも、私の中の怨念はどうしても晴れなくて……」
女はそう言うと、嬉しそうに笑った。上からぬらぬらとした液体が、ゆるりと落とされる。嫌な臭いがした。女は、ベッドサイドテーブルに置いていたライターを握る。摩擦音が部屋に響いた。
「じゃあね」
オレンジ色の火が、ゆっくりと近づいてくる。
みくまゆさんとコッシーさんの #チャレがや杯2026 に参加しています!
13のお題のワードの中から2つ以上を使って、エッセイや小説を書くという企画だったので、面白そうだから全部ぶちこんじゃえーと、入れてみました!
楽しい企画をありがとうございました〜!
