息子を信じると決めた日

正直なところ、私は息子たちをあまり信じていない。
だって、やると言った宿題はやらないし、平気で嘘をつくし、私のことを舐めているし(舐められる親が悪いと言われればそれで終わりだけど)。とはいえ、目に入れても痛くないほど可愛いので(本当に入れたら痛すぎるけど)、多少の嘘は成長と信じ、多めに見てきた。彼らの人間性は信じているけれど、彼らの言葉がすべて本当だとは思っていないと言ったほうが、正しいかもしれない。
今日は、次男の中学の入学式だった。
彼は緊急事態宣言中に小学校の入学を迎えた世代で、マスクを外すことに抵抗があり、小学校六年間はマスクをつけて生活していた。一人、二人とマスクを外していく中、頑なに顔のほとんどを隠し続ける息子に私はやきもきし、どうやったら他の子と同じようにマスクを外して、元気に外で遊んでくれるのだろうかと頭を抱えた。
勉強が嫌いで、宿題もしなかった。「やった」と言った夏休みの宿題が、半分ほど白紙の状態で押し入れから私の頭の上に落ちてきたときには、予想外の展開すぎて思わず笑ったほどだ。低学年の頃は、帰宅後や休みの合間を見て一緒に宿題をやったりもしたけれど、宿題に心から嫌悪感を示す彼の態度を見て、もういいかなと疲れ果ててしまった後の結末だった。
とはいえ、マスクも宿題も「仕方ない」と諦めつつも、どうしても私の中でしこりとなって残っていた。どうにかならんもんかなかぁと。
だから嫌がられるだろうなと思いつつ、いつだって声掛けをしてしまう。
「マスク、外したら?」
「宿題、終わった?」
返ってくる答えは、大抵が「うるさい」で、「ですよねー」と心の中で小さく落胆した。
小学六年生の冬だった。
「マスク、外したら?」
「中学生になったらね」
「宿題、せんと?」
「中学生になったらね」
「そうなん? そんなすぐにできるわけないんやし、今から練習しといたら?」
「ちゃんとするって」
口を尖らせて私から目をそらす息子に、私は「ふーん」とつまらなさそうに返事をした。口だけだろう、と。やるなら、今すぐにでもすればいいじゃないか、と。
そして、今日が中学校の入学式だった。
制服に身を包んだ息子は、今まで頑なに外さなかったマスクには見向きもせず、玄関に向かった。
「宿題、終わったと?」と尋ねると、「終わった」と答えた。続けて、「答えは見てないけんね」と笑う。
「おぉ、すごいやん」
私は軽く笑うと、パールのネックレスをつけて、息子と一緒に家を出た。中学校までの道なりでは、どうしても友達に出会う。マスクを外したことをからかわれたりしないだろうかと、少しばかり心配になった。彼の行動を誰も笑わないでほしい。心を折らないで欲しい。横を歩く息子が少し顔を伏せる度、胸がキュッと締め付けられた。
入学式を終えた帰り道、「誰かになんか言われた?」と尋ねると、「言われた」と笑いながら話す息子の顔を見て、私は胸をなでおろした。
「マスク、もう捨てていい?」
「まだ捨てんでいいやろ」
「必要な分だけは残しておくけん」
帰宅後、私は息子が使っていたウレタンマスクをゴミ箱に捨てた。マスクを外させるのは私のわがままだったのではなかろうかと、そう悩み続けていたモヤモヤを彼が解放してくれた気がした。
「あー、スッキリした。昼ごはん何食べる?」
「びっくりドンキー!」






夫にノンアルコールビールを頼み、私はこっそりビールの大を頼んだ。あまりにでかいビールジョッキが届いて、三人で顔を見合わせて笑った。
飲めるくらい柔らかいハンバーグを「美味しい!」と嬉しそうに頬張る息子を見て、私まで嬉しくなった。
「本当にマスク外すと思わんやったし、宿題ちゃんとすると思わんかったわ」
私が笑うと、
「外すって言ったし、宿題もやるって言ったやん。小学校の時はする必要がなかったけん、せんやっただけやし」
そう言って、息子は笑った。
息子が守らなかった約束は、きっと私が良かれと思って彼に強制的に約束させたことだったのかもしれない。彼は自分がしなければならないと思ったことは、やることができるのだろう。もっとちゃんと息子を信じようと心に決めて飲んだビールは、いつもより大人の味がした。
