氷室冴子『シンデレラ迷宮』『シンデレラ ミステリー』佐々木広治の読書随想
氷室冴子といえば、ある程度の齢の方であれば懐かしい名前だろう。少女小説の大御所で、一般誌でも活躍され、早世された。
少女小説における萩尾望都、花の二十四年組にあたる書き手、と私は見ているがどうだろうか。
氷室冴子『シンデレラ迷宮』。
『白雪姫』『白鳥の湖』『いばら姫』『ジェイン・エア』『カルメン』『ロミオとジュリエット』『竹取物語』等々、のパロディーと見ることの適う。というより、狙った作品。
踊り子のオディール、暁の国の姫君ゼランディーヌ、ソーンフィールドの奥方、どこぞの王妃。目が醒めると、利根は見知らぬ広い部屋で、見知らぬそれら女性らに見つめられていた。女性らの名を見て早、ピンときた人もいるだろう。
大枠で見れば、利根の内なる課題、問題がテーマとなっている。モティーフとしては。
再読し、初読では読みとれなかったものの発見される。今や吐いて捨てる程氾濫した異世界転生の枠に入れられるも、並みの異世界転生なんぞ足元に及ばぬ深淵、恐ろしさを湛え。一昔前の少女小説の軽やかな、軽薄ともいえる文章ではあるが。そう、深淵、恐ろしさに気づかされもしたもので。
今でもあるのか、少女のもつ白馬の王子さまを望むことを揶揄うものがあるが、そういう男性側にも・・・・があると鋭く指摘するところも。
もう一面私が汲みとるのは、小説というもの、小説をふくむ物語というものの成り立ち、というのだろうか、物語とは読み手により完成するわけだが、その読み手の問題、受けとり方についても言及されているともとれ、そういう部分でも興味深く読めた。
難をいえば、表現だとか言葉遣いに古くささがある。致し方なしか。古典というにはまだまだ若いわけであるし。自閉症というものへの無理解もあるし。自閉症ではなく、引きこもりとすべきだろう。当時は引きこもりという言い回しのなく、誤ったイメージではあるがそうとしか、端的には表現できなかったのだろうか。たが、それらがあっても、凄みの妨げには、ならない。
『シンデレラ ミステリー』。
『シンデレラ迷宮』の続編。万里という親友ができ充実した生活を送っていたはずの利根が、またもや異世界に転移してしまう。ということは、鬱屈し吐き出せない、自認できないものがあるからだろうと自覚する。そして異世界ではジェインが行方不明となっていた。ジェイン失踪の謎を解くことが、即ち利根の抱えた鬱屈を解くことになる。
前作よりすっきり読みやすくなっている。それは利根の成長ということにあるのだろうと解することの能う。ふと夏目漱石の『こころ』を連想させられる。ならべて見たとき、本著のほうが心理への照射といい、重複するだろうか人間描写といい、話の作りといい、上だと私は思った。非常に複雑なことを、何気なくかろやかに描きだしている。ために何でもないことのように読みすごしてしまいそうだが。
氷室冴子は最近リバイラルされ再注目ているらしい、確かにその価値はある。本著についてひとつ付記すると、それは『こころ』を越えると私の見るところでもあるが、心の成長、そして成長の一段階の卒業、を描いたものでもあるということ。誰しもがとおるであろう、ささやかなようでいて大きな過程。
