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はじめに|おいしいエクスタシー

コロナ禍に入ってわけもわからぬままに外出を自粛させられ、これといった理由もないままにぬるりと世の中は"元に"戻った。 そうこうしている間に、世界のあちこちで戦争が勃発し、日本もまたその渦の中に自ら身を投じようとしているばかりか支離滅裂、各々が自らの利益を増幅させようとする人間たちの綱引きに国民が巻き込まれている。

10年も経たぬうちに、世の中はこんなにも大きく変わってしまった。 ここまでは社会の話である。

そうした社会の話とは別に、私の身にも大きな変化が起こった。 コロナ禍のはじまりから1年ほど経った2021年1月、幼い頃から憧れてきた東京から、地元・北海道に拠点を移した。その後、死戦をともに潜り抜けてきた愛猫を看取り、新たに猫と馬を迎え、家を建て、子どもが生まれた。すべてが想像もしなかったことで、自分で決めたことなのに気づけば漂着していたようで、他人の人生のように受け入れた。受け入れざるを得なかった。

妊娠・出産を経て、仕事と子育てに追われる中でさまざまな変化に見舞われたが、個人的に最も大きかった変化は、大好きだった本が読めなくなったことだった。文筆を生業にしている私にとって、とりわけ東京で暮らしていた期間は、本をよりどころにして生きてきたところがある。それが読めなくなったというのは、私にとっては大切な友人を失ったこととほぼ同義だった。

そうした喪失にとって代わるようにして、私の心の穴を埋めたのは、食と性だった。食あるいは性をこよなく愛している人がいることも、忌避感を抱いている人がいることも知っているが、私はそのどちらでもなく、本当は興味があるくせに食に頓着がないフリをしたり、「家族と性愛」をテーマとして掲げて、さも性に奔放な人間であるような立ち居振る舞いをしながらも、本当は誰よりも性の実践に臆病であったりと、私にとって食と性は、アンビバレントな感情を抱く対象だった。

しかし仕事と子育てで1日が終わる娯楽などない日々においては、食と性、睡眠が個人的な楽しみにならざるを得ない。それらに執着していったと言っても過言ではない。

庭で育てたディルを使ったポテサラをつくってバター入りとそうでないものの味を比べたり、旬のホタルイカを最もおいしく食べる方法を考えあぐねて、ホタルイカと菜の花の白和え、ホタルイカのペペロンチーノ、ホタルイカのクリームチーズ春巻き云々と、誰に食べさせるわけでもないのに1週間ホタルイカの創作料理を探求し続けたりしたこともある。

子育てと性は相入れないもののように思われがちだが、子どもが泣き暴れて手に負えないときこそ、私は性の妄想に逃げ込んだ。自分も相手もより楽しく気持ちよく過ごすにはどうしたらよいのかと考えたり、過去の思い出に身をゆだねたり。

子を寝かしつけた後、疲れ切っているけれども何らかのコンテンツに触れたいというときは、アダルトビデオをぼんやり眺めた。多くのアダルトビデオというものは良くも悪くも筋書きがある程度決まっていて、ストーリー展開も難しくない。ここはあまり共感が得られにくいかもしれないが、予期せぬ出来事が苦手な私にとっては、同じ“コンテンツ”でも映画や音楽よりも侵襲性が低くて安心する。そんなアダルトビデオを観ながら「このシナリオはあまりイケていない、私ならこうするのに」などと心の中で野次を飛ばしたりと、とかく熱心だ。とはいえ、いまの暮らしでは性を実践する場がなく、次にそうした相手や機会がいつ現れるともしれない。そんな中でよりよい性の実践を模索するという我が事ながら寂しく気色の悪い趣味なのだが、良くも悪くもひとりで完結しているのだから、誰に文句を言われる筋合いもない。

ところで食と性に執念を燃やす中で、両者の間には共通点のようなものがあることに気づいてきた。あるいは重なり合うと言うべきか。食事をしているときに、食べ物の見た目や食感を「エロい」と思うこともあれば、性的な場面で相手にかぶりつきたいと思うことも多々あったし、相手が許せば跡がつくほどに歯を立てた。肉食動物が獲物を食らうときの映像に、どこかエロティックな感覚を覚えてしまうのは、きっと私だけではない。

恋文に「食べちゃいたいくらいかわいい」と書いたのは確か芥川龍之介で、食と性の結び目については、敬愛する赤坂憲雄氏の『性食考』でも綴られているし、それ以外にもきっとあちらこちらで語られているから、食と性の重なりの探究自体はとりたてて目新しいものではないだろう。

けれども、私はその食と性の重なる場所に親密性の鍵があるような気がしてならない。先ほど「家族と性愛」を看板に掲げてきたと書いたが、私がさまざまな家族やパートナーシップの取材を重ねてきたのは、私自身が「友人」「恋人」「夫婦」といった既存の関係性にハマれなかったからだ。親密で対等な関係に憧れてきたものの、それがなんなのか、いまだにわからぬままでいるが、どういうわけなのか。食事をするとき、性を実践するとき、あるいはその重なる場所やぐるりのことに、親密のヒントが隠されている、かすかな(しかし確かな)予感がある。

私は途中で、いわゆる「家族」の探究を諦めてしまったが、それはどこまでいっても人間社会のつまらない事情に直面し、その先の普遍的な真実にたどり着けないと感じたからだ。しかし、私の中にはまだ「親密性」を探りたいという気持ちはまだ残っている。今度は食と性という隘路から、そこに確かにある鉱脈を突き当てたい。最終目的地が見えているわけではないから、単に下世話な話で終わってしまうかもしれない。

けれども、既存の「家族」を諦めた私が、それでもなお人間(あるいは非人間)との間に結び直したいと願う親密さの正体は、きっとこの肉体的な営みの地続きにある。

たとえそれが独りよがりな妄想や、一過性の快楽に終わるのだとしても、私は私の身体が指し示す予感を信じてみたい。この連載は、食と性という暗がりのなかに、かすかな光を見出すための、私の極私的な冒険である。

第1回「トマトスープ」は2026年7月6日(月)20:00に公開です。



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