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第六章 無菌室での三ヶ月と大爆笑

長女の治療は過酷を極めた。
中でも一番辛かったのは脳への放射線治療だったと後から詳細を聞いた時は胸が締めつけられた。

無菌室にはさまざまな規定があった。
見舞いは一人のみ、入室には除菌が必要で、子供は入れない。
三女がまだ乳飲み子だったこともあり、私は頻繁に見舞うことができず、代わりに遠方から夫の両親と母が来てくれた。

姑は、到着後開口一番こう言った。
「普通ならあんたの親が真っ先に来るやろ」
実母が持病の治療中ですぐに動けなかった事情を差し引いても、その一言には心が波立った。
それでも姑は朝から夕方まで長女に付き添い、その間、義父は家で待ち、私は昼食からおやつまで用意しながら、2DKの狭い部屋で三女に母乳を与える日々を送った。
息の詰まる思いをしながらも感謝していたことは間違いなかった。


ようやく実母も見舞いに来られるようになり夫の両親と入れ代わった。
この頃から始まった脳に照射する放射線治療。
病室では長女がもがき苦しみ壁を掻きむしる様子を見た母は、あまりの辛さに何度も電話をかけてきた。
その場に行けない自分を責め、母にも長女にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

手のかからない次女とは違い、三女は三時間おきの授乳が必要で、なかなか病院に行けない状況だったが、それでも時間を見つけては足を運んだ。


このとき、心に決めたことがある。
親としてできることは精一杯やろう。
もし万一のことがあって別の世界に旅立つことになっても、
「生まれ変わってもまたこの親のもとに生まれたい」
と思ってもらえるように――
そのためには、楽しい思い出をできるだけたくさん作ろうと考えた。
病人としての特別扱いはやめ、他の姉妹と同じように接する。
そう決めた瞬間から、不思議と自然に笑えるようになっていった。

長女の一言一言にツッコミを入れる。
最初はしかめっ面をしていた長女も、慣れてくると負けじとツッコみ返してくるようになった。
こちらはボケるしかない。ツッコまれ、ボケる。
そのやり取りが可笑しくてたまらなくなる。
変なダンスをしたり、替え歌を歌ったり、爆笑に次ぐ爆笑を重ねた。


ある日、いつにも増して盛り上がっていると、ドアをノックする音がした。立っていたのは婦長だった。
「少し静かにしてもらえますか」
隣の病室でも、同じように深刻な状況と闘う子供たちがいる。
当然の注意だった。
「ごめんなさい」
と謝りながらドアを閉めた瞬間、振り返って娘に舌を出してみせると、長女は思わず吹き出した。
こんなふうに、私たちはよく笑った。
その笑いが功を奏したのかどうか、長女は三ヶ月で無事に退院することができた。

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