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背中は勝手に語り出す

平面か立体か、
絵画と彫刻はそこが違う。

彫刻は見る角度によって
違うものになる。
絵画は見る人の見方で変わるが
彫刻は誰が見たって角度で変わる。

上野の国立西洋美術館の庭に
ロダンの考える人の像がある。
歩いていても外から見られるので、
タダで見ることができる。
しかし後ろからしか見えない。

レプリカではなくちゃんと本物(鋳造)

写真に撮るとしたら、
わざわざ後ろに回ったりしないので
世の中に出回ってる画像は前向きだ。
そのぶん、ちょっと新鮮である。

考える人、というタイトルを考えると
こっちの方が「そのもの」な気もする。

なんか背中が語っている。

てか、背中って何を語るのか・・

「おやじの背中」という言葉が
なぜか記憶にある。

検索してみたら、
「おやじの背中」というドラマを
TBSでやってたり、
北島三郎の歌にも「おやじの背中」
ってのがあった。

とはいえ、どちらも
言葉(イメージ)が先にあって
作られたものだと思われる。

なんとなく背中といえばおやじ、
そうみんな思ってるんである。

不思議なことに「おふくろの背中」
とは言わない。

母親は背中で語るなんていう
まどろっこしいことはしないんだろう。
真正面からガンガン来るもんだ。

今はそうでもない気もするが、
昔のオヤジは口下手だった。
別に背中で語りたい訳じゃないけど
うまく言えないから黙っていたら
結果的に周りが勝手に汲み取った、
そういうことなんだと推察する。

黙っているから伝わる、
そういうこともあるらしい。

副産物として、
伝えるつもりがないことまで
勝手に伝わってしまうんだが・・

おやじは一般的に、
語りすぎて失敗する経験を持っている。
しゃべり過ぎるとロクなことがない。
それは政治家を見ていればわかる。

だから黙っている。
黙っていたら勝手に背中が語ってしまう。

語る内容は大概はそれまでの人生だ。
若者が黙っていても背中は語らない。
積み重なった年月がないと無理らしい。

つまりおやじの場合、
歳月だけはたっぷりあるから、
何か言ってるふうに見えてしまう、
まわりが勝手にそう思ってしまう。
ある意味イメージ操作だ。

そこから感じるのはなぜか悲哀で、
黙っていると勝手に隙間風が吹くし
枯葉のひとつも舞ったりする。
小道具としてはやはり冷酒だろう。
ビールジョッキよりはおちょこが似合う。

長い時間をかけて会得した技だ。
これを使わない手はない。
背中が語るようになって初めて
やっと立派なおやじになれた、とも言える。

若い人にはまだまだ無理かな。
ぜひ「考える人」の背中を見て、
人生の悲哀についていろいろ考えてほしい。
まあほっといてもそのうちそうなるのだが。


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