身の程知らずな私の未来への第一歩――迷いの山で原木キノコを育てる
「SDGs」という、どこか他人行儀で綺麗な四文字を見るたびに、胸の奥がちくりと痛む。
未来のためにできること。持続可能な社会。教科書に並ぶ大層な言葉を前に、私の心はいつも冷ややかな問いを突きつけてくる。
「では、お前は何のために生きているんだ?」と。
人の為にと語れば、それは優しさを装った「偽り」に思える。
自分の為にと叫べば、それは他者を顧みない「傲慢」に思える。
社会の為にと大義名分を掲げれば、ちっぽけな人間一人の「身の程知らず」だと自嘲してしまう。
何を選んでも正解が見当たらない思考の泥沼の中で、地域の里山に入り、クヌギやコナラの原木を使って自然の中で多くのキノコ類を育てる活動をしている。

3人の有志から始めたこの活動も、今では30名以上の会員(メンバーシップ)に支えられるまでになってきた。私たちの独自ブランド「安芸乃国 神楽原木舞茸」マークは、この活動の旗印だ。

手入れを失い、資源が過剰で、新陳代謝を止めてしまった日本の里山。それを保全するために原木キノコの自然栽培にこだわる。
世間は「立派な社会貢献だ」と分かりやすい箱に入れたがるかもしれない。しかし、私の内側にあるのはそんな高尚な利他主義ではない。
山に入り、重い原木を運び、植菌するが、誰の役にも立っていない。

人は、意味を求めたがる生き物だ。生きている理由、働く理由、誰かを救う理由。けれど、山に生い茂る木々や、原木から顔を出すキノコを見ていると、「何かのため」なんて一切考えていないことに気づかされる。彼らはただ、与えられた環境の中で、淡々と命を循環させているだけだ。
偽りでも、傲慢でも、身の程知らずでもいい。聖人君子として未来を作るわけではない。割り切れない孤独を抱えたまま、それでも今を生きるしかないのだ。
この里山活動は地球を救う正義ではなく、この里山と辛うじて繋がる泥臭い実験である。
綺麗事のSDGsは、もういらない。
私は今、この原木キノコを「究極のひろしまおでん」というテーマの中で、関わる人の尊厳を守る地域福祉活動へと昇華させるべく、哲学思考実験を重ねている。
必要なのは、矛盾を抱えたままでいいから、できる範囲で未来を思考し、実践し続けること。
これからも、迷いの山の中で、静かな命の循環を考え続けていく。
#未来のためにできること #究極のひろしまおでん #スキしてみて #思考は現実化する
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