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_kei_
『時間迷子』
「やっぱりこの道、まちがってるんじゃない?」
「ナビ、ほんとに合ってる? やっぱりこの道、まちがってるんじゃない?」
助手席の美咲がそう言ったのは、もう30分ほど細い山道をぐねぐねと走り続けたあたりだった。スマホの地図は、まだ目的地まであと10キロと表示していたが、舗装もあやしいこの道に、心細さは募るばかりだった。
「戻ろうか」と言いかけたとき、ふいに視界がひらけた。車の前に広がるのは、小さな湖。そのほとりに、一軒の古い茶屋がぽつんと建っていた。
「……ちょっと、休憩していこっか」
茶屋の中はひんやりとしていて、柱時計が静かに時を刻んでいた。品書きは一つだけ、「水出し珈琲」。黙ってそれを頼むと、年配の女性が無言で出してくれた。
味は、驚くほど澄んでいた。まるで水そのものが記憶を語っているかのように。飲み終えるころには、なんとも言えない静けさが心に降り積もっていた。
「こんな場所、ナビにあったっけ?」と、美咲がつぶやいた。
外に出ると、さっきまでの山道は影も形もなく、代わりに広い舗装道路がすっと伸びていた。
目的地の温泉宿に着いたのは、予定より少し早いくらいだった。フロントで「この近くに湖と茶屋があったんですけど」と尋ねると、女性スタッフは首をかしげた。
「そのあたり、湖は埋め立てられてもう30年以上前に……茶屋なんて、私、生まれてから一度も聞いたことありませんねぇ」
部屋に戻り、写真を確認しても、湖の景色はどこにも残っていなかった。けれど――
「ねえ、このコースター、茶屋のやつだよね?」
手元には、見覚えのある布製のコースターが一枚。そこには、薄くにじんだ文字でこう記されていた。
「また道に迷ったら、お立ち寄りください」
