夜桜に朧月 2|シロクマ文芸部
奇妙な、女だった。
夜桜を背に現れる。
毎夜毎夜、もう暖簾を下げようとするとそれを見透かしたように、
もし、飴を一文だけ頂きとうございます。
と消え入るような声でいう
髪を結うてはおらず、黒髪を髪紙縒りにて背中でくくっている。身に纏う白袷に、よくみると桜花の色味がある。歳はまだ若い。前髪に隠れてその容色はつかめぬが、その顔色は紙のように白い。食が足りてないのかもしれぬ。
白水の主人は、それを不憫におもい、握り飯も用意した。竹皮に一文ぶんの晒飴も準備していた。
果たして女やってきた。
そして判で押したかのような、毎夜の口上を述べた。
「ほれ、これも持っていかんね」と主人は、握り飯の竹皮包みを渡そうとする。しかし彼女は首を振って押し留めた。
「飴だけで結構でございます」
「それでは腹にも溜まりますまい」
「いえ、わちきには充分でございます」
そうやって会釈をする姿に、ぞくりとするような色気がある。
そうして六度の夜を過ごした。
主人は今夜もくるものと、やはり飴包みを準備していた。
しかしながら姿を現さない。暖簾も既に店内に収めてしまった。
いやいやどうして。
女の訪来を愉しみにしていたらしい。
残念に思い、店を錠前をかけていると背に声が降りかかる。
もし・・もし・・相すみませぬ。もうお代がないのです。ですが飴を一文ぶんだけお恵みを頂きとう存じます。
主人は殊にその口調に哀れを感じて、わざわざ懐に置いていた飴を手渡した。道すがらに出合えたら、とも考えていたのだ。深くお辞儀をして謝意を述べた女は、夜闇に溶けようとしていた。
彼は考えた。
今日は首尾よく店も畳んでいる。
跡をつけてみよう。それでどんな住居なのか、確かめてみよう。
そんな卑小な囁きに突き動かされた。あの女性に懸想してしまっているのかもしれぬ。妻を喪って寡夫生活を続けてきた。年甲斐もなく、とは思ったが、彼女の後姿を追っていった。
春先の湿った空気のせいか、朧な月が宙天にかかっている。満月を過ぎたばかりなので、足元まで見渡せるほど明るい。
彼女の白袷が月明りを浴びて、濡れたような輝きを見せている。
四辻を超えて寺町通りに進んでいく。
流石にここは人家も少なく、独り歩きには穏やかではない。気づかれまいと距離を暫く置いた。
その背がすっと大門に呑まれた。
駆けだしてその大門を見ると、巍々山光源寺とあった。
いよいよ剣呑な空気がそこにある。だが主人の足は、篝火に誘惑される羽虫のように境内に入り込んだ。恐る恐る石段を踏んで本堂へ向かう。本堂の左手に黒々と墓石が並んでいる。
その石積みの向こうは、土饅頭が並んでいる。
主人は震える足をそこへ向けた。
真新しい土饅頭がある。
乳房のように張っているそれに、潜り込もうとしている白袷の切片を見た。慌ててはならぬ、厳しく自戒して店主は暫く耐えた。
そこから足裏を引き剝がすようにして、その場を立ち去った。
男はそんな昔話を語った。
橘醍醐はそれを聞き、いたく満足した。
「して、出てくるのはその飴幽霊なのか?」
男は軽く会釈をした。
「へえ、実はこの話には続きがございます。その光源寺ですが、例年の盆明けにその、幽霊の絵のお披露目がございます。それはもうおどろおどろしい図なのですが、やはり一目見たいという若衆もおりますばい」
「其処元は見たことがあるのか」
彼は小首を傾げて頬を掻きながら、あたしぁ、臆病なもんでと肩を竦めた。

