育児という分析 21|期待を手放すのって無理じゃない?という話
育児をしていると、過度な期待を手放しましょうといったようなことが良く書いてある。
理屈はわかるが、現実とあまりにもかけ離れてるように思う。
実際に手放す必要はあるのだろうか?と私は考える。
人間は合理的なことが好きだ。
そして、親には経験値も知識もある。
そうなると親は、子供にしてほしいことができるスペックがあるかどうかを判断する術があると言える。
そして、合理的なので目に見えた不合理な失敗を経験することに対し、むず痒さを感じてしまう。
だから、「できるはず」などと期待をしてしまうのだろう。
術があるのにそれを見ないふりをするのは、かなり難しい。
合理的だから。
目の前にあるものを見ないふりするのと同じだ。
たぶん、無理だ。
これが期待を手放すというのはこういうことだと思う。
でも、「見てないよ」とは言える。
人間には、「見てないよ」というと他人からすれば見えてないことになる、という面白いものがある。
「見えるけれど見てない」という矛盾が成り立ってしまう。
期待にもそれが応用できないだろうかと思ったのだ。
「あなたならできる」
というマインドを
「あなたならできるはずだけど、できるよとは言わない」
に変換ができないかな、などと考えている。
かなり雑だが、過度な期待をしないことになってないだろうか。
「できるよとは言わない」ことで、失敗や今はやらないという選択を受け入れる余地が生まれないだろうか。
育児ほど「理論ではどうにでもなるけど、実際にできるかどうかは別の話」みたいなものはないだろうから、一つの考え方として。
