知らない街なのに気張らずにいられた。マカオで見つけた「やさしさ」の正体
旅先で、はじめての感情を味わった。
マカオ旅行からの帰り。空港でまもなく飛行機にのります、と列にならんでいたとき、急に感極まってきた。口角をゆるめたら、涙がこぼれてしまいそうだった。
でも、とっても不思議な気分で。
なぜかというと、「帰りたくない!」「またすぐ来たい」みたいなマカオロスが起きているわけではなかったから。
それに、旅の帰りに感極まるのは、人生で初めての経験だったから。
マカオは素敵なところだった。旅行自体も楽しかった。けれど、十分満喫できたから、「また来るか」と言われたら、すぐにYESとはいえない。
では、なぜなのだろうか。
必死に頭を巡らせてたどり着いた先にあったのは、マカオという街が持つ「やさしさ」だった。
人との距離感が、心地いい

人との距離感が、ちょうどよかった。
場所にもよると思うけれど、コンビニの店員さんもお土産屋の人も、人によって対応を変えることはない。
まず、どんなときにも中国語で話しかけられる。どんなにこちらが日本語で話しているのをわかっても、だ。
そして、中国語は話せないと伝えると、たいていの人は何も無かったかのように、そのまま英語に切り替えてくれる。淡々と、対応してくれる。
バスに乗ったとき、ICカードが上手く反応してなかったときは、「もう1回タップよ」的なことを中国語で教えてくれた人もいた。

これのどこが距離感が良かったのかというと、たぶん、特別に扱われなかったから。
観光客だからってすごく親切にするわけでもなく、言語がわからないからって冷たくあしらうわけでもない。「ただそこにいる人」として扱ってくれたように感じたのが、心地よかった。

即座に英語に切り替えてくれた
すこし観点はずれるけれど、日本のおもてなしは心から尊敬する。特に、海外と日本のディズニーを比べると、顕著に違いが見えてくる。いつになっても夢の国を夢のままに感じさせてくれるのは、そこにいるキャストさんたちのおかげだと思う。

別の国に行ったとき、特別視されるのが嫌だというわけではない。あまり観光客がいない場所や、日本から来た人が少ない場所では、"旅行者"として扱われることもあるかもしれない。
けれど、特別視されたとき、そこにいるのは観光客である自分だ。外側から来た人なんだ、と無意識にそんな意識が自分の中に生まれる。
ところが、マカオという場所ではそんな意識が生まれなかった。国籍や言語関係なく対等に接してくれたおかげで、街に溶け込めたような気がした。
観光するために来たのだし、観光客であることには変わりはない。外側の人間であることも事実。
けれど、それを気にすることがないくらい、ただあの場所にいられた。いさせてくれた。それがすごく、心地よかった。

ただそこの空気を感じていられた
○○人とか、男女とか、○歳とか。人をラベルで分けるのがなんだか苦手な自分だからこそ、ただの人間として気張らずにいられたのがありがたかった。
知らない味なのに、なぜかほっとする

はじめましてのマカオだったにもかかわらず、旅中に出会った味覚には、どこか馴染みがあった。
海外に行くと、だいたい味覚のサプライズがおこる。すっごく身体にやさしそうな色のスープが激辛だったり、おいしそうな見た目をしておいて無味だったり。
「なるほど~。これがここの味かぁ」なんて思いながら食べているのが、いつものことだ。
しかし、マカオではそうならなかった。
どの料理も、和食や日本の洋食を食べ慣れている私の舌には、よく合う味。ポルトガルと中国の味覚が混ざっているものもあるようだったけれど、とにかくどれも味付けがやさしい。

日本の洋食屋でも出てきそう

控えめの甘さが病みつきで、2日で3個食べました

スープを全て飲み干したくなるほど
刺激が少なくて、身体がじわじわと満たされていくのを感じた。海外の食べ物はなんだか合わないと漠然と思っている人には、マカオおすすめなんじゃないかな、と勝手に思う。
違うものが、違うままいる

マカオはとっても多様性のある街。東京23区の約20分の1程度と、面積的にはとっても小さい。にもかかわらず、3泊4日(実質観光したのは2日間)で、4~5の街を訪れたような気分になった。
カジノホテルがずらり並ぶきらびやかなエリアが現れたと思ったら、徒歩15分ほど歩けばローカルグルメが並ぶ街なみが広がっている。


一瞬で違う国にきてしまったかのような錯覚におちいる。
それに、ポルトガル風の建物が並ぶ世界遺産の歴史地区のなかに、ポップなキャラクターのマスコットが置かれている場所も。ちいかわ・ハリーポッター・きかんしゃトーマスがともに並ぶ店も見つけた。

観光と暮らし、中国とポルトガル、古いものとトレンドのもの。
違うものが、違うまま共存している。
最初そういった光景をみたときは、衝撃だった。なぜ、なぜ、なぜ……!が膨らむ。
ところが、数日だけでも滞在していると、だんだんと不思議な組み合わせにも目が慣れてくる。そういうものだ、と気づいたら受け入れていた。
なんでも受け入れる「やさしさ」なのかもしれない

どこから来た人にも対等に接するように、違う文化のものを同じ場所においておくように。
この街は、違いを違いとして分けていないのかもしれない。
違いはあっていい。あるものだ。
でも、それを分ける必要なんてないじゃない。
どれもいいんだから、みんな一緒でいいんよ。
そんな空気を、この街から感じた。
マカオという場所というよりも、この街がくれたやさしさ・愛おしさにロスを感じていたのかもしれない。

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