第1話 記録係カイル・スクライブ | 魔力ゼロの記録係、誰も読めない討伐記録で街を救う【創作大賞2026 応募作品】
【あらすじ】
魔力ゼロと判定され、騎士にも魔導士にもなれなかった青年カイル・スクライブ。
自分に価値を見いだせない彼に残されたのは、王立討伐隊の戦いを記録する裏方の道だった。
初めての派遣先は、灯台の港町ファルーチェ。魔物を倒しても被害は止まらず、記録と証言には小さな矛盾が残る。
カイルは治癒師エリナや街の人々の声を聞き、誰も読めなかった討伐記録に隠された真実と忘れられた過去へ近づいていく。
戦えない彼にできるのは、見ること、聞くこと、書くことだけ。
だが、その記録はやがて人々の願いをつなぎ、街を救う力へ変わっていく。
第1話 記録係カイル・スクライブ
執務室の夕陽が、羊皮紙の角を黄金色に染めている。

カイル・スクライブは羽根ペンを握り直した。六年間、同じ角度で握り続けた形が、指の皮膚に刻まれている。
かつて震えていた指先は、今は揺るがない。乾いた音を規則正しく立てて、ペンは紙を走る。
『東区第三班、負傷者三名。軽傷二名。重傷一名。』
窓の外では討伐士たちの歓声が遠くに渦巻いている。だがカイルは聞き逃さない。
昨日の酒場で「雑役だ」と馬鹿にされた言葉も、今は微塵も響かない。彼は確かに魔法を使えない。魔物の前に立つこともできない。だが——。
カイルは机の上の革製手帳を開いた。古い革の匂いが、湿った埃の香りとともに立ち上る。
四年前、森の演練場で教官が告げた言葉が、その匂いに引き出されるように蘇る。
「お前の目は、勝利だけじゃなく、真実を見ている」
指先で摩耗した表紙の質感を確かめた。
あの時見つけた「自分にしかできないこと」は、今や確かな誇りとなっていた。カイルは再び筆を走らせる。
『遺体回収済。家族へ通知。戦死認定。』
倒れた下級兵士の名前。十九歳。魔力がなく、囮となって死んだ青年。カイルは丁寧に文字を刻んだ。
羊皮紙の繊維に沁み込む黒いインクは、六年後も、六十年后も、この名前を残す。誰かが見れば、彼がここに生きて、ここで死んだことが記録として残る。
胸の奥に小さく張るものがある。熱くはない。静かだ。だが確かな。——これが自分の場所だという、確信。
カイルは筆を置いた。
その時、軽い音。胸ポケットから何かが滑り落ち、石畳に転がる。乾いた紙が床に触れる音。
視線がゆっくりと下へ向かう。
焦げ付いた茶色い焼け跡。赤い否定の印。
『王立騎士養成学校 不合格』
その瞬間、六年前の測定室の空気が黄昏に侵入した。
白い壁。青白いタイル。中央の水晶。
十三歳の自分が震える手を伸ばす。
指先が水晶に触れた——冷たい。何も起こらない透明な沈黙。
「……次」
教官の声。肩を叩かれ、ふらりと後ろへ。不合格の紙切れを渡される。
銀色の留め具はない。赤い刻印だけが紙に沁み込んでいる。
廊下の笑い声。
「はは、魔力ゼロかよ」「何も出来ないじゃん」「お前、何ができるんだ?」
何ができるんだ?
唇を噛んで血の味をした。歯がカチカチと鳴る音が、今も耳の奥にある。
——記憶が切れ、現在に戻る。
カイルはしゃがみ込み、床の不合格通知を拾い上げた。
六年間、逃げ惑いながら拒絶しつつ、それでも離さず持ち続けた紙切れ。
指先が、再び痙攣した。
今の自分ではない。 現在のカイルの意志とは別に、身体に刻まれた過去の恐怖が、条件反射のように指を震わせる。
六年前の測定室で凍えた時と同じ。水晶の冷たさを思い出すたびに、消えない震えが筋肉を這う。
魔導士養成学校の不合格通知が届いたことも思い出し、カイルは頭の中で苦々しく思った。
だが、カイルは眉ひとつ動かさなかった。震える指で茶色い紙を掴み、立ち上がる。
机の上には未開封の封筒が置かれていた。
赤い蝋印が、沈みかけた夕陽を受けて輝いている。差出人は王立記録官本部。ファルーチェ港町——沼地に隣接する国境の街への調査命令書。
未知の魔物が出現し、従来の記録が通用しない現場。彼の能力が、初めて本格的に試される場所だ。
隣には、【未開封の初級魔導入門】が六年間同じ場所にある。白い表紙に埃が厚く積もり、背表紙の紐は未だ解かれていない。
カイルは不合格通知を丁寧に四つ折りにした。
震えがまだ指に残っている。胸ポケットの奥へしまう。
隣に、もう一枚の紙——薄い金色の留め具がついた王立記録官学校の合格通知。
二つの紙が、重なる。
そして、彼は懐に深くしまった古い革製の日記帳を取り出した。
七歳の時、死んだ騎士の手から引き剥がした、血で濡れた紙片を模して作ったもの。
今も、仕事の拠り所。読み返す度、あの言葉が蘇る。
『私はここで死ぬ。だが君は生きて。どうか、覚えてくれ。私たちが、何のために戦ったかを。誰も歌わない、私の名を——』
カイルは今の手帳と、あの日記帳を並べて見た。
現在のページには黒いインクで整った文字。
あの日のページには、錆びた茶色の血痕で滲んだ文字。違う紙。違う筆。だが、重なるものがある。
『誰も歌わない名を、記録に残す』ということ。
カイルは未開封の魔導書を手に取った。重い。六年間の「もしも」の重み。指先が表紙に触れる——まだ、微かに震えがある。
——開かない。
カイルは本を、一段上の棚へ移動した。届かない場所。もう必要ない場所。
代わりに、彼は懐に入れた。
手入れの行き届いた記録帳。予備のペン。そして、あの無名の騎士の言葉を模して作った、古い革製の日記帳。
窓の外で、夕陽がさらに傾いた。部屋の奥が青みを帯び、机の上の封筒がより深い赤に光る。
カイルは窓際に立ち、まっすぐ前を見た。
六年前、ここから逃げ出し、森の中で膝をついた時、空は同じようにオレンジ色だった。
だが、今は違う。あの時は地面に向かって泣いていた。
今は、まっすぐ前を見ている。
机の上の封筒が、最後の光を受けて輝いている。明日への扉。新たな証明の場。
カイルは席に戻り、羽根ペンを握り直した。羊皮紙の余白に、確かな音を立てて、彼は記録を続けた。
六年間、開かなかった「魔力」の扉は、もう触れない。
でも、ここにある記録帳は、開かれている。空白のページが、風にめくれそうになる。
カイルは、初めて——明日への扉が、開く音を聞いた。
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