はじめに|土曜日、ショッピングセンターのベンチで
土曜日の午後、あなたはベンチに座っている
土曜日の午後。たとえば、あなたはショッピングセンターの通路にあるベンチへ腰を下ろし、ポケットからスマートフォンを取り出します。家族の買い物が終わるのを待っているのかもしれない。友人との約束まで時間があるのかもしれない。あるいは、買い物の途中で、自分自身を少し休ませているだけかもしれません。誰かを待っている人も、自分自身を休ませている人も、ここには等しく居場所があります。「特にすることはないけれど、ここにいる」。そんな時間を過ごしたことのある人は、きっと少なくないでしょう。
自分には、いま買いたいものがありません。必要なものがあれば、最近はオンラインで探すことも増えました。商品の種類は多く、価格も比較できる。注文すれば、自宅まで届けてくれます。わざわざ店へ行かなくても買い物ができる時代です。正直に言えば、今日は家にいてもよかったのかもしれません。それでも家を出て、館内を少し歩き、いまはここでひと息ついています。特別な目的があったわけではありません。「今日はショッピングセンターへ行こうか」。そんな何気ない一言で、一日が始まりました。
スマートフォンから顔を上げると、目の前を小さな子どもが楽しそうに歩いていきます。大きな買い物袋を持った二人が、次にどこへ行くか話している。少し離れた場所には、同じように誰かを待っている人がいます。館内には音楽が流れ、飲食店の方から料理の香りが漂ってくる。外は暑かったのに、ここは少し涼しい。急いで歩く人もいれば、目的を決めず、ゆっくり歩く人もいます。
いま、あなたが何気なく座っているそのベンチも、実は、どこに置いてもいいわけではありません。以前、私が働いていた施設で、ベンチの位置を少し見直したことがあります。人が立ち止まりやすい場所と重なり、その周辺だけ通路の流れが少し滞っているように感じたからです。そこで、ベンチを数メートル移してみました。大がかりな工事をしたわけではありません。ただ、置く場所を少し変えただけです。それでも、人が通りやすくなり、周囲の混雑の感じ方も変わりました。
ベンチは、ただ「疲れた人が座るため」に置かれているのではありません。休みやすいこと、人の流れを邪魔しないこと、店舗への出入りを妨げないこと、そして座った人が落ち着いて過ごせること。そんなことを考えながら、位置や向きが決められ、ときには営業が始まったあとにも調整されていきます。けれど、座っている人が、そのことを意識する必要はありません。「ちょっと休もうかな」と思ったとき、そこに自然と座れる場所がある。そのくらいが、ちょうどいいのだと思います。
いま、あなたは何かをしているわけではありません。買い物をしているわけでも、誰かと話しているわけでもない。ただ、ベンチに座っている。それなのに、この時間は思っていたほど嫌ではありません。家で一人、ソファに座ってスマートフォンを眺める時間とは、どこか違う。誰かとは別々に過ごしていても、同じ建物の中にいる。周りには人の気配があり、何となく街の中にいると感じられます。
「あと、どれくらいかな」と思いながらも、急いで帰りたいわけではありません。誰かが戻ってきたら、カフェへ行くかもしれない。もう少し休んだら、夕食の買い物をするかもしれない。予定にはなかった店を見つけて、ふらりと入るかもしれない。何が起きるかは、まだ決まっていません。それでいいのです。
あなたはいま、ショッピングセンターのベンチに座っています。用はない。買いたいものもない。それでも、ここにいる。この本は、そんな時間を過ごしたことのある、すべての人のために書きました。
では、なぜ、その時間は少し嫌ではないのでしょうか。なぜ、何もしていない時間が、少しだけ心地よく感じられるのでしょうか。私は、そこには二つの「自由」があるからだと考えています。一つは、「孤独ではない一人」になれる自由。もう一つは、次に何をするかを決めなくてよい、「予定からの解放」です。
一つ目は、「一人でいながら、誰かとつながっている」という自由です。周りには、たくさんの人の暮らしの気配があります。目の前を通り過ぎる人。笑いながら歩く家族。待ち合わせをする友人同士。ベビーカーを押す人。大きな荷物を抱えた人。誰とも会話をしていなくても、そこには確かな活気があります。
一人でいたい日もあります。けれど、完全に誰ともつながっていない場所より、誰かの気配を感じられる場所の方が落ち着くことがあります。一人でいるけれど、孤独ではない。誰かと同じ空間にいながら、無理に会話をしなくてもいい。近くの店からは店員の声が聞こえ、遠くでは子どもの笑い声がする。静かすぎず、かといって誰かに何かを求められるわけでもない。そのほどよいにぎわいが、気持ちを少し緩めてくれます。
同じ建物の中では、いくつもの違う時間が流れています。休日を家族で楽しむ人。映画が始まるまでコーヒーを飲む人。学校帰りに友人と会う学生。仕事帰りに夕食を買う人。散歩のように館内を歩く高齢者。旅行先で偶然立ち寄った人。訪れた理由も、過ごし方も違います。それでも、互いに邪魔をしない距離で、同じ場所を共有しています。
二つ目は、「予定から解放される」という自由です。誰かが戻ってきたら何をするか、あるいは休んだあとにどこへ向かうかは、その場で決めればいい。何となく歩く。少し立ち止まる。予定になかった店をのぞく。疲れたら休む。仕事や家事では、私たちはいつも予定を立て、次にすることを考えています。だからこそ、何かを成し遂げなくてもよい時間、すぐに答えを出さなくてもよい時間が、少し心地よく感じられるのでしょう。
もちろん、ショッピングセンターは、お店の商品やサービスを利用していただくことで成り立っています。売上がなければ、店も施設も続いていきません。それでも、来館した人の時間が買い物だけで埋め尽くされているわけではない。誰かを待つ。少し休む。次にどこへ行くか考える。人の流れを眺める。そうした「何もしていないように見える時間」も、この場所で過ごす大切な一部なのです。
館長として見てきた、何気ない一日
私は25年以上、さまざまな商業施設の現場で働いてきました。都市型の施設、地域の日常を支える郊外型の施設、広い地域から多くの人が訪れる大型施設。営業、販売促進、リーシング、リニューアル、施設運営に携わり、複数のショッピングセンターで館長を務めてきました。現在も現役の館長として、開店前の静かな館内から、休日のにぎわい、閉店後に翌日の準備が始まる時間まで、毎日の現場に立っています。
長く現場にいると、利用する人には何気なく見える一日が、数えきれないほどの小さな仕事に支えられていることが分かります。店頭でお客様を迎える販売員。料理をつくる飲食店のスタッフ。床を磨き、ベンチを整える清掃スタッフ。安全を見守る警備員。空調や照明、電気や水を守る設備の担当者。案内をする人、商品を届ける人、催しをつくる人。開店前から準備する人もいれば、閉店後に翌日を整える人もいます。
たとえば雨の日、入口に吸水マットを敷く位置や広さを少し見直すだけで、人の流れが変わることがあります。傘をたたむ人が一か所に重ならず、後ろから入る人が進みやすくなる。清掃スタッフが床を確認しやすくなり、滑る危険も減らせる。ほんの小さな調整ですが、現場を歩いていると、こうした違いに何度も気づかされます。大きな設備や華やかな企画だけが、居心地をつくっているのではありません。
暑い日には、入口から入る外気や館内の人の多さを見ながら温度の状況を確認する。案内板の前で立ち止まる人が増えれば、表示が分かりにくいのではないかと考える。座る場所がいつも空いていれば、「十分に用意できている」と安心するのではなく、風が直接当たっていないか、周囲の視線が気にならないか、そこに座りにくい理由がないかを考える。現場には、数字や図面だけでは分からない答えがあります。
先ほどのベンチのように、少し位置を変える。入口のマットを少し動かす。案内サインの向きを見直す。館内を歩いて、違和感のある場所を探す。そうした小さな調整の積み重ねが、利用する人にとっての「なんとなく快適」をつくっています。そして、お客様がそうした仕事を強く意識せず、一日を過ごせたなら、それは私たちにとってうれしいことです。運営の仕事は、仕組みを見せることではありません。その先で、人が安心して、自分の時間を過ごせる状態をつくることだからです。
その中で、ずっと感じてきたことがあります。ショッピングセンターは、「モノを売る場所」という一言では語れないということです。そこには、人が集まり、人が働き、人が待ち、人が休む時間がある。何かを買った日だけでなく、何も買わずに帰った日にも、その人なりの時間があります。
だから、この本では運営の裏話だけでなく、その仕組みの先にある「人の時間」を見つめたいと思いました。なぜベンチが置かれているのか。なぜ館内には音楽が流れているのか。なぜフードコートに家族が集まるのか。便利な時代に、なぜ私たちはわざわざ外へ出て、人のいる場所へ向かうのか。その理由を、身近なショッピングセンターから一緒に考えていきます。
読み終えたとき、いつもの場所が少し違って見える
この本を読み終えたとき、いつものショッピングセンターが、少し違って見えているかもしれません。館内の仕組みや運営の裏側に詳しくなることだけが目的ではありません。次に訪れたとき、これまで通り過ぎていたものへ、ほんの少し目が向くこと。それが、私の願いです。
なぜ、ここにはベンチがあるのだろう。なぜ、買いたいものがない日でも、ここへ来ると少し気分が変わるのだろう。目に見える店や商品だけでなく、その場所を支える仕事と、そこに流れる一人ひとりの時間が見えてくるかもしれません。
すべてを観察し、施設を評価しながら歩く必要はありません。ただ、次の休日に入口で一度立ち止まり、いつもより少しゆっくり周りを見る。家族や友人を待つ時間を、すぐに何かで埋めずに過ごしてみる。気になった店へ、予定がなくてものぞいてみる。その程度で十分です。
何年かたったあと、「あの頃は、よくみんなであそこへ行ったね」と話す日が来るかもしれません。そのとき思い出すのは、買った商品だけではないでしょう。何を食べるか迷ったこと。誰かの長い買い物を待ったこと。予定になかった店へ入ったこと。同じ場所を、一緒に歩いたこと。何でもない出来事が、その時代の家族や友人との風景になっていきます。
次の休日、あなたはまた、いつものショッピングセンターへ行くかもしれません。同じ入口から入り、同じ店の前を通り、同じベンチに座る。用はない。買いたいものもない。それでも、そこへ行く。
景色は以前と変わっていなくても、見え方は少し変わっているかもしれません。いつもの場所が、これまでより少しだけ大切に見える。その理由が、読み終えたあなたに見えている。この本がそんな小さな変化につながれば、現在も現場に立つ館長として、これ以上うれしいことはありません。
