【データのちから 142話】見えない世界を「歩く」技術:AIとの対話が拓くGoogleストリートビューの新境地
この記事で次のようなことを伝えたいです。
AIは単に情報を「説明」するツールから、一人ひとりの疑問や興味に合わせてくれる「対話パートナー」へとその役割を変えつつあること。
最先端のAIも、人間とは異なる独特の「思考のクセ」を持っており、私たちには自明なルール(例えば仮想と現実の区別)を時として見落とすことがあること。
参考文献
Froehlich, J. E., Fiannaca, A., Jaber, N., Tsaran, G. V., & Kane, S. (2025). StreetViewAI: Making Street View Accessible Using Context-Aware Multimodal AI. In The 38th Annual ACM Symposium on User Interface Software and Technology (UIST '25).
見えない世界を「歩く」という体験
Googleストリートビュー。誰もが一度は使ったことがあるのではないでしょうか。自宅のPCやスマートフォンの画面上で、世界中の街角をまるで実際に歩いているかのように散策できるこのサービスは、旅行の計画を立てたり、知らない場所への行き方を調べたりする際に欠かせないツールです。しかし、この便利なサービスには、ひとつの大きな壁がありました。それは、すべてが「見る」ことを前提に作られているという点です。膨大なパノラマ画像で構成されるストリートビューの世界は、視覚に障害のある人々にとっては、その入り口さえ見つけることが難しい、閉ざされた空間でした。
この、誰もがアクセスできるはずのデジタル空間に存在する「見えない壁」を取り払うために、Googleの研究者たちが開発したのが「StreetViewAI」です。これは、最先端のAI技術を駆使して、視覚に頼らずともストリートビューの世界を自由に探索できるようにする、画期的な試みです。この研究は、単にアクセシビリティを高めるだけでなく、私たち人間とAIとの未来の関係性を考える上で、非常に興味深い示唆を与えてくれます。
StreetViewAIとは何か? - AIとの対話で街を歩く
StreetViewAIは、単に画像に写っているものを音声で読み上げるだけの単純なソフトではありません。それは、「文脈を理解するAI」「キーボードによる自在な移動」「自然な会話」という3つの要素を巧みに組み合わせた、まったく新しいナビゲーション体験を提供するものです。

街路景観マッピングツール「StreetViewAI」
(a) ユーザーは場所を検索・選択でき、(b) AIベースの説明を起動でき、(c) 仮想世界で探索しながら、マルチモーダルAIエージェントと風景や地域地理について会話できます。
まず、このシステムの心臓部であるAIは、「マルチモーダルAI」と呼ばれ、単に画像を認識するだけではありません。ユーザーがいる場所の緯度経度、向いている方角、近くにあるお店や建物の情報といった、さまざまな種類の情報(文脈)を統合的に理解することができます。これにより、AIは単に「車が写っています」と説明するのではなく、「あなたは今、北向きに立っていて、左手15メートル先にカフェがあります」といった、具体的で実用的な情報を提供できるのです。
ユーザーは、キーボードの矢印キーなどを使って、この仮想空間を自由に移動できます。右を向けば「東を向きました」と音声が流れ、一歩前に進めば「約10メートル前進しました。新しい住所は〇〇です」と教えてくれます。そして、このシステムの最も特徴的な点が、AIとの「対話」です。ユーザーはいつでもマイクを通じてAIに話しかけ、知りたいことを自由に質問できます。「このカフェの入り口はどこ?」「外に座る場所はある?」「目の前の道路は広いの?」といった具合です。
この仕組みによって、視覚に障害のあるユーザーは、初めて訪れる場所の様子を自宅で安全に予習したり、ふと気になった外国の街並みを自由に散策したり、これまで不可能だった「仮想の旅」に出ることができるようになりました。
実験でわかった、AIとの意外な付き合い方
研究チームは、このStreetViewAIを11人の視覚障害者に実際に使ってもらい、その可能性と課題を探る実験を行いました。そこで明らかになったのは、開発者の想像を少し超えた、人間とAIとの興味深い関係性でした。
ユーザーは「説明」より「対話」を求めた
実験が始まる前、多くの人はAIが自動で風景を説明してくれる「AI Describer」機能が主に使われるだろうと予想したかもしれません。しかし、結果はまったく逆でした。実験全体を通して、この自動説明機能が136回使われたのに対し、ユーザーが自ら質問する「AI Chat」機能は、なんと917回も利用されていたのです。
これは、人々がAIを一方的に情報を提供してくれる機械としてではなく、自分の興味や目的に合わせて、必要な情報を引き出せる対話の相手として捉えていることを示しています。
実際にユーザーがAIにどのような質問を投げかけたのか、その一部を見てみましょう。下の図は、917件の質問を内容別に分類したものです。

ユーザーからの質問で最も多かったのは「空間的な位置関係(Spatial orientation)」に関するもので、全体の27%を占めました。次いで「オブジェクトの有無(Object existence)」が26.5%、「景色の説明要求(Description requests)」が18.4%と続きます。これらは、ユーザーが仮想空間内で自分の位置を把握し、周囲の環境を理解しようと積極的にAIに問いかけていた様子を示しています。
最も多かったのは「バス停はここからどれくらい離れてる?」「建物の左側には何がある?」といった空間的な位置関係を問うものでした。次いで「公園にベンチはある?」「自転車置き場は見える?」のように、特定のものが存在するかどうかを尋ねる質問が続きます。
これらの質問は、AIからの画一的な説明を待つのではなく、「自分がいま知りたいこと」をピンポイントで解決しようとする能動的な姿勢の表れです。ある参加者は「尋ねれば尋ねるほど、もっと多くのことがわかる」と語っており、AIとの対話そのものを楽しんでいる様子がうかがえます。この結果は、今後のAIサービス開発において、ユーザーにいかに「対話の主導権」を渡せるかが、成功の鍵になることを教えてくれます。
賢いAIが見せた、人間とは違う「思考のクセ」
実験を通して、StreetViewAIのAIは86.3%という高い正答率を記録し、その能力を証明しました。参加者からも「まるで誰かに遠隔で案内してもらっているようだ」と、その性能を評価する声が上がりました。しかし、その賢いAIが、時折、人間から見ると少し不思議な、あるいは興味深い「思考のクセ」を見せることがありました。
仮想と現実の混同
ある参加者が、目的地のレストランについて「もっと近づけますか?」と尋ねた時のことです。AIは自信を持って「はい、もっと近づけます」と答えました。しかし、実際にはストリートビューの画像はその場所が終点で、システム上それ以上進むことはできませんでした。
これは、AIが「現実世界で人間が物理的に歩いて近づけること」と、「ストリートビューのデータ上を仮想的に移動できること」を混同したために起きたエラーでした。AIは、目の前の画像に道が続いているのを見て「物理的には可能だ」と判断しましたが、自分が「ストリートビュー」というデータ上の制約がある仮想空間でナビゲートしているという大前提を、一瞬忘れてしまったのです。
この一件は、AIが膨大な知識を持ち、複雑な問いにも答えられる一方で、私たち人間が暗黙のうちに理解している「世界のルール」や「置かれた状況の制約」を完全には把握しきれていないことを示す、象徴的な出来事と言えるでしょう。
データソースの矛盾と人間の信頼
StreetViewAIが情報を得る源は、主に2つあります。一つは、Googleマップが持つ正確な地理データベース(住所や店舗情報など)。もう一つは、AIがストリートビューの画像を見て推測する情報です。前者は非常に信頼性が高いですが、後者はAIの解釈に依存するため、時に間違う可能性があります。
実験中、この二つの情報源が食い違う場面がありました。例えば、ある参加者のケースでは、地理データは「目の前にメキシコ料理店がある」と示しているのに、AIは画像を見て「いいえ、近くにメキシコ料理店はありません」と答えてしまったのです。
しかし、ここでさらに興味深いのは、こうしたAIの間違いを経験したにもかかわらず、実験後のアンケートで、参加者の多くがAIの応答を「正確だった」と高く評価していたことです。

7点満点の評価で、POI(特定地点)調査タスクにおけるAIの正確性(How accurate)の平均点は5.7点、ナビゲーションタスクでは5.5点でした。AIが時々間違いを犯したにもかかわらず、参加者が比較的高い評価を与えていることがわかります。
ある参加者は「(AIが間違っていたかは)私には見えないので、本当のところはわからないけれど、かなり正確だと思う」と語っています。これは、AIが非常に流暢で人間らしい言葉で応答するため、人々がその内容を無意識のうちに信じやすい傾向があることを示唆しています。AIとの付き合いが深まる未来において、私たちはAIから提供される情報を鵜呑みにせず、その情報の出所を意識する「健全な懐疑心」を持つことが重要になるかもしれません。
この研究が拓く未来 - 「どこにでも行ける」アクセシビリティへ
StreetViewAIは、これまで多くの人々にとって閉ざされていたデジタルの風景への扉を開きました。参加者からは、「もしこれが製品として使えるなら、今すぐにでも使いたい」「これが世に出れば、多くの視覚障害者がとても喜ぶはずだ」といった熱意のこもった感想が寄せられました。
ある参加者に「もしこのツールがなかったら、どうやってこれらの情報を手に入れますか?」と尋ねたところ、彼は「手に入れられない」と、きっぱり答えました。他の多くの参加者も「誰か他の人に頼るしかない」と答えており、この技術が彼らにとって、他者に依存することなく自立して情報を得るための、いかに強力な手段であるかを物語っています。
この研究が示す未来は、視覚障害者のためだけのものではありません。AIと対話しながら仮想空間を探索するという体験は、例えば運転中にハンズフリーで周囲の情報を得たいドライバーや、あらゆる人が日常的に使う次世代の音声アシスタントへと応用できる可能性を秘めています。
StreetViewAIの挑戦は、技術がどのように社会のバリアを解消できるかを示す力強い実例であると同時に、人間とAIがこれからどのような関係を築いていくのかを映し出す、一つの鏡のような存在です。AIはもはや、私たちが命令を下すだけの道具ではありません。私たちの知覚を拡張し、世界を新たな視点から探求させてくれる、対話の相手となりつつあるのです。
