#0003:夢を手にした現実
子供のころの夢は「先生になること」だった。
中学、高校、大学、と進学してからも、漠然とその夢だけは持ち続けていた。
社会人になってからもぼんやりとしたイメージは残っていて、
新入社員研修の際の「10年後の自分はどうなっているか?」という課題でも取り上げたように記憶している。
ずっと、自分がなりたいと思っている「先生」の姿はぼやけたままだった。
学校の教師や塾講師、家庭教師といった「先生」になりなかったのかもしれない。
ただ、実際にはその道を歩むことはなかった。
私が選択したのは、一般的な企業のサラリーマンだった。
社会人になって20年が経過しようとしている。
20代の時は、自分が如何に無知で無学で経験不足であるのかを思い知らされた。
30代までは、求められる理想とかけ離れた自身の能力不足を小手先の付け焼刃で何とかしていた。
40代に入ってからは、もともと狭い視野を無理やり広げてタスクをこなしていくようになった。
与えられた予算と作業実態との間で折り合いをつけながら、
時に顧客との調整が必要な案件について提案する方針内容を検討し、
最終的に合意した範囲内で品質向上と低コスト化の両立を目指す必要があった。
「先生になること」という夢を見失い、そんな夢を思い出す機会もなくなった。
現実はあまりに辛く苦しい出来事ばかりで、「この人生には夢も希望もない」と感じ始めていた。
だが、ふとした行動がきっかけで、あることに気がついた。
情報整理をする際に、自身の抱えているタスクを一度ノートにすべて書き出してみたのだ。
箇条書きで作成したリストのタスクは、90%が自分の作業。
残り10%程度が同僚や後輩社員のサポート業務で、一見した時は「自分の作業量が多い」という見解だった。
物足りなさを感じたため、このリストを「実際にその業務に割いた時間」という別の観点で再分析を行ってみた。
また、同僚や後輩社員のサポート業務については、
「対応後に、他メンバーが自力で進められるレベルまで問題解決/方針決定ができたか?」
という、Yes/Noで記載できる判定基準を設けた。
その際に、全く別の解析結果が出た。
タスクの量で言えば、作業全体の90%が自分の作業である。
割いた時間は全体の20%にも満たない。当然計画通りには進まないが、期限だけは守れていた。
同僚や後輩社員のサポート業務は、タスクの量で言えば作業全体の10%程度だ。
一方で、私はこの「サポート業務」に全体の80%以上の時間を割いて対応を進めていた。
そして、そのすべてのタスクで「他メンバーが自力で進められるレベルの問題解決/方針決定ができた」という判定になった。
解析結果に、自分でも驚いた。
私は「他メンバーのヘルプ/サポートをするための要員として雇用されている」わけではない。
私に与えられた業務は、「製品の品質を、可能な限り低コスト化した上で、一定の範囲において保証するための評価試験全般の設計」である。
自身のタスクは、限界を迎えるトップスピードで、且つ品質を向上させた状態で、ギリギリとはいえ期限内に終わらせている。
残りの時間はすべて、同僚や後輩を助けるために全力で対応している。
それを、残業等で稼働を上げることなく、定時内で進めることができていた。
上記の結果にたどり着いたとき、正直にこんな思いを抱いた。
「『先生になること』という夢は、まだ燻ぶっていて、その灯は消えていない」
「この夢は、むしろ今まさに現実が手にしているものなのではないか」
「先生」という言葉の定義は、私の中でずっと曖昧なままだった。
しかし、「先生」という存在が、
誰かに何かを教え、導き、少しずつ成長していく様を見守り、
最後には自分の元から羽ばたいていくところまでを見届ける
という役割であるならば、私の現実はいつの間にか夢を手にしていて、
今も子供のころの漠然とした願いを叶え続けているのかもしれない。
