マルチタスクが得意に見える人は、マルチタスクをしていない
仕事が速い人は、いつも複数の仕事を動かしている。午前中に企画書をまとめ、会議で別案件の意思決定をし、その場で部下へ指示を出す。午後には顧客から届いた質問へ回答し、翌週のプロジェクトに必要な調査も依頼している。
いくつもの案件が同時に進んでいる。返信も早い。話しかけると、それぞれの案件の状況をすぐに説明できる。
傍から見ると、頭の中で複数の仕事を同時に処理しており、「この人はマルチタスクが得意なのだ」と感心する。
マルチタスクに見えるものは、全部同じではない
そもそも「マルチタスク」という言葉を整理しよう。外からは同じように見えても、実際には性質の異なる行動が混ざっている。
大きく分けると、次の四種類がある。
自動化された行動と、別の行動を組み合わせる
二つの知的作業を同時に行おうとする
まとまりのある単位で、仕事を順番に切り替える
複数の案件を、工程として並行させる
例えば、歩きながら会話する、慣れた家事をしながら音声を聞くといった行動は、一方がかなり自動化されている。二つの行動が使う認知資源も完全には重ならないため、条件によってはある程度の並行処理ができる。
一方、会議を聞きながらSlackを返すのは、これとはまったく違う。会議の理解にもSlackの返信にも、言語理解、ワーキングメモリ、判断、文章生成が必要になる。同じ認知資源を奪い合うため、二つを同時には処理できない。
実際に起きているのは、会議を聞き、Slackへ注意を移し、返信を考え、再び会議へ戻るという高速な切り替えである。
残りの二つも、同時処理ではない。午前中に企画書を作り、午後に別の案件へ移る人は、その瞬間には一つの仕事しかしていない。A案件を顧客の回答待ちにし、B案件を部下へ依頼し、自分はC案件を進める人も、本人の注意は一つの仕事に向いている。
外からはすべてマルチタスクに見える。しかし、頭の中で起きていることはまったく違う。
科学が否定しているマルチタスク
「人間はマルチタスクができない」
科学的な研究が主に示しているのは、次のようなことである。
二つの意識的な知的作業は干渉しやすい
タスクを切り替えると、処理速度が落ち、ミスが増えやすい
次の仕事を事前に知っていても、切替コストは完全には消えない
未完了の仕事から離れると、前の仕事に注意が残りやすい
一方が十分に自動化されていれば、干渉が小さくなる場合がある
つまり、科学が否定しているのは、複数の案件を持つことではない。まとまりのある単位で仕事を切り替えることでもない。
問題なのは、二つの知的作業を同じ瞬間に処理しようとすることである。
会議中にSlackを返す人は、会議とSlackの両方を高度に処理しているのではない。Slackを返している間は、会議に実質的に参加していない。
聞こえているかもしれない。しかし、発言の背景を理解し、議論の流れを保持し、自分の判断を作るところまではできていない。
会議中にSlackを返せることは、マルチタスク能力が高い証拠ではない。
会議に参加していない時間があるだけである。
仕事ができる人は、この種のマルチタスクを常態化させない。集中力で乗り切ろうとせず、そもそも二つの知的作業が重ならないようにする。
仕事が速い人は、タスクを切る場所がうまい
複数の仕事を抱えていれば、仕事の切り替えは避けられない。重要なのは、切り替えをなくすことではなく、切り替える場所を選ぶことである。
企画書を数行書くたびにSlackを確認すると、戻るたびに「何を考えていたのか」を復元しなければならない。これは仕事を進めているのではなく、同じ文脈を何度も読み込み直している状態である。
仕事が速い人は、次のような区切りまで進めてから別の仕事へ移る。
仮説を一つ文章にする
競合比較を一つ完成させる
論点を三つに整理する
確認事項を相手へ送る
次に判断する内容を特定する
時間が来たから切り替えるのではない。頭の中の作業状態が安定し、再開できる地点まで進めてから切り替えるのである。
未完了の仕事を頭の中に残さない
仕事は、毎回きれいに完了するわけではない。相手の回答を待つこともあれば、翌日まで考えたいこともある。
未完了の仕事から別の仕事へ移ると、前の仕事に注意の一部が残る。これは「注意残余」と呼ばれ、次の仕事のパフォーマンスを下げることがある。
だから、仕事が速い人は中断するときに現在地を残す。
どこまで終わったか
何が決まったか
何が残っているか
次に何をするか
誰の何を待っているか
「企画書の続き」と書くだけでは足りない。「競合三社の価格を比較し、月額価格案を一つ選ぶ」と書く。
これなら、次回は状況を思い出すところからではなく、次の行動から再開できる。
仕事が速い人は、たくさんのことを覚えているのではない。
覚えておかなくてもよい状態を作るのがうまい。
考えなくてよい仕事を増やす
マルチタスクが得意に見える人は、繰り返す作業や判断も自動化している。
会議後には決定事項、担当者、期限を書く。依頼を受けたら成果物と締切を確認する。メールは結論、理由、依頼事項の順に書く。同じ確認作業はチェックリストにする。
こうしたテンプレートや判断基準があれば、毎回ゼロから考えなくてよい。
仕事が速い人は、すべての仕事を高速で考えているわけではない。考えなくても処理できる部分を増やし、本当に考える必要がある仕事だけを一つずつ処理している。
あえて仕事を寝かせる
企画や文章作成では、一つの問題を考え続けるより、いったん別の仕事をしてから戻ったほうがよい場合もある。
心理学ではインキュベーション効果と呼ばれ、一度問題から離れることで、発想の固定化が弱まり、新しい考えが生まれやすくなることがある。
ただし、三分考えてSlackを見ることは、仕事を寝かせているのではない。単に集中が切れているだけである。
仕事を寝かせるには、先に十分考え、現在地と次の論点を記録し、戻る時期を決める必要がある。
仕事が速い人は、切り替えないのではない。
無意識な切り替えを減らし、意味のある切り替えを使っている。
自分ではなく、仕事を並列化する
複数の仕事を進めるには、相手へボールを渡す速さも重要である。
仕事には、顧客の確認、上司の承認、他部署の調査、部下や委託先の作業を待つ時間がある。仕事が速い人は、相手が動くために必要な情報を早く渡す。
自分がC案件を進めている間に、A案件では顧客が確認し、B案件では部下が作業する。本人は一つのことしか考えていないが、仕事全体は同時に進んでいる。
ただし、雑な依頼を早く投げればよいわけではない。情報が不足して何度も往復すれば、全体のリードタイムは長くなる。
大事なのは返信の速さではない。
相手が次の工程を始められる状態まで仕上げ、早く渡すことである。
マルチタスクを避けるから、多くの仕事ができる
マルチタスクが得意に見える人は、二つの難しいことを同時に考えているわけではない。
彼らがしているのは、次のようなことである。
干渉しにくい行動だけを組み合わせる
タスクを再開しやすい単位に切る
切り替える前に現在地を記録する
繰り返す作業や判断を自動化する
考えるべき問題は意図的に寝かせる
相手が動ける状態を早く作る
本人の注意は、一つの仕事に向いている。しかし、周囲を含めた仕事の工程は複数同時に進んでいる。
仕事が速い人は、マルチタスクが得意なのではない。
マルチタスクを避ける工夫がうまいから、多くの仕事を進められるのである。
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