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AIで思考を外注しても良い。ただし理解は外注しない。

「AIを使っても、自分の頭で考えることを放棄してはいけない」

最近、よく聞く主張である。さらに強く、「AIに思考を外注すべきではない」とも言われる。

もちろん、AIは間違える。もっともらしい嘘もつく。出力を無批判に受け入れることには明確な危険がある。

しかし、「AIに考えさせること自体がよくない」という主張は、1年後には「電卓を使わず、自分で計算すべきだ」と言うのと同じくらい時代遅れになっているのではないか。

問題は、AIに思考を外注することではない。

理解と統制まで外注することである。

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人間は、以前から知的活動を外部化してきた

人間は、記憶を本やメモに、情報探索を検索エンジンに、計算を電卓や表計算ソフトに外部化してきた。専門家に分析を依頼することも、個人の外にある知能を利用する行為である。

AIもその延長にある。

人間が自力でできる計算を電卓に任せるように、調査、比較、要約、仮説生成、文章化をAIに任せればよい。それによって作業を高速化し、人間一人では扱えなかった情報量や複雑性を扱える。

重要なのは、誰が処理したかではない。最終的に何を理解し、何を実現できたかである。

電卓を使っても、計算の意味は理解する

電卓を使うとき、すべてを暗算できる必要はない。

しかし、足し算と掛け算の違いも分からないまま、表示された数字を使うのは問題である。式が間違っていれば、電卓は間違った式を正確に計算するだけだからだ。

AIも同じである。

AIが長い調査や複雑な推論を代行しても、人間がその結論を理解できていればよい。すべての工程を自分で再現する必要はないが、少なくとも、結論の意味、前提、事実と推測の区別、成立しない条件、自分の目的に照らして採用すべきかは理解している必要がある。

保持すべきなのは、AIと同じ作業を繰り返す能力ではない。

AIの出力を評価し、現実の問題に接続するための理解である。

思考する場所が変わる

AIを使うことで、人間の思考がなくなるわけではない。思考する場所が変わる。

AIが情報収集や文章化を担えば、人間は何を調べるべきかを定義し、回答を比較し、前提の欠落を見つけ、結論を修正し、複数の知見を統合する。

これは思考の放棄ではない。

思考の実行者から、思考プロセスの設計者・編集者・監督者への移行である。

重要なのは、すべての工程を自分の手で行うことではなく、目的に向かって、人、道具、情報、AIをどう組み合わせるかである。

ただし、電卓とAIは完全には同じではない

電卓は、入力された式を計算する。一方、AIは何が問題なのかを定義し、情報を選び、論理を組み立て、結論まで提示する。

そのため、AIの流暢な文章は、理解していなくても理解したような感覚を生みやすい。

また、作業を自分で行う過程に価値がある場合もある。文章を書くことで論理の穴に気づき、曖昧な概念を区別し、自分の意見が形成されることがある。

AIによって省略した工程に、どのような認知的価値が含まれていたかは考えなければならない。

問題は、AIを思考に使うかどうかではなく、どのように使うかである

Anthropicがプログラミング学習を対象に行った研究では、AIを利用した参加者は、AIを利用しなかった参加者よりも、その後の理解度テストの成績が低くなる傾向があった。

ただし、AI利用者が一律に学習できなかったわけではない。

AIに説明を求め、追加の質問を行い、概念を確認し、一部を自分で実装していた人は、AIを使いながら高い理解を維持していた。AIを完成品の生成機として使った人と、理解を形成するための対話相手として使った人で、結果が異なっていたのである。

したがって、AI利用は二種類に分けて考えた方がよい。

一つは、代替としてのAIである。

AIに答えを作らせ、人間はそれを受け取って使用する。目的が単純な成果物の取得であれば、これでもよい。しかし、利用者の内部には知識も判断基準も残りにくい。

もう一つは、拡張としてのAIである。

AIに複数の仮説を生成させ、反論を求め、前提を確認し、別の視点と比較しながら、人間自身の認識を更新する。こちらでは、AIは人間の代わりに思考するのではなく、人間がより広く、深く、速く思考するための装置になる。

両者の違いは、AIが作業を行ったかどうかではない。

AIの出力を通じて、人間の中に理解や判断基準が形成されたかどうかである。

自分で同じことができる必要はない

AIに任せた作業を、人間が同じ速度と規模で再現できる必要はない。それではAIを使う意味がない。

必要なのは、何を入力し、どのような処理を期待し、出力をどう評価し、どこで失敗する可能性があるかを理解することである。

個別の作業能力はAIに移ってもよい。

しかし、作業を構成する概念と、結果を信頼するための基準は、人間側に残さなければならない。

AI時代に守るべきもの

AI時代に守るべきなのは、「何でも自分一人で考えること」ではない。

守るべきなのは、何を問題とするかを決めること、AIの出力を理解し検証すること、そして結果を現実の行動へつなげることである。

思考の実行は、積極的にAIへ外注すればよい。情報を集めさせ、比較させ、仮説を出させ、反論させ、文章を書かせればよい。

ただし、AIが作った結論を、自分が理解していないまま使用してはいけない。

手放してよいのは、調査、計算、生成、整理といった処理である。

手放してはいけないのは、問い、理解、検証、目的、そして現実を動かす主体性である。

何をAIに考えさせ、その答えをどう理解し、どのように現実へ接続するかを、自分で考え続けることである。

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