言語化を言語化する。
最近、「言語化」という言葉をよく聞きます。
自分の感情を言語化する。商品の魅力を言語化する。組織の課題を言語化する。優れたリーダーは、判断基準を言語化できるとも言われます。
しかし、言語化といっても、さまざまな言語化があります。何を言葉にしたいかによって、取り組み方はまったく異なります。
例えば、私は感情の言語化があまり得意ではありませんし、積極的にやりたいとも思いません。特に、子どもの頃から読書感想文が苦手でした。「この本を読んで、どう感じましたか」と聞かれても、面白かったか、面白くなかったか以上のことを、わざわざ掘り下げたいとは思わなかったからです。
一方で、構造の言語化は好きです。複雑な出来事を要素へ分け、共通点を探し、因果関係をつなぐ。「個人の能力の問題に見えるが、実際には制度の問題ではないか」「別々の出来事に見えるが、同じ構造ではないか」と考えることには興味があります。
このときには、ロジカルシンキング、リサーチ、抽象化、仮説検証などの技術が役に立ちます。
感情の言語化と構造の言語化は、どちらも言葉を使います。しかし、そこで行っている知的作業は、ほとんど別物です。
それにもかかわらず、私たちはすべてを「言語化力」と呼び、「言語化が得意な人」「言語化が苦手な人」と、一つの能力のように扱っています。
考えてみると、「言語化」という言葉ほど、言語化されていない言葉も珍しいのかもしれません。
言語化とは、一つの能力ではありません。
言葉になる前の何かを、目的に応じて扱える形へ変換する、複数の異なる技術の総称です。
言語化には、少なくとも八種類ある
何を言葉にするのか、言葉にした結果として何をしたいのかで分けると、言語化は少なくとも次の八種類に整理できます。
感情の言語化
もやもや、怒り、不安を、感情の名前と原因へ変えます。目的は、自分を理解することです。自分の反応を観察し、近い感情を並べながら少しずつ特定します。感覚の言語化
好き、嫌い、格好いいという感覚を、評価軸と判断理由へ変えます。目的は、好みを伝えることです。好きなものと嫌いなものを比較し、差分を探します。事実の言語化
見聞きした出来事を、他人も確認できる記述へ変えます。目的は、状況を共有することです。観察と解釈を分け、人数、時間、回数などを具体的に記録します。構造の言語化
複雑な出来事を、要素、関係、因果へ変えます。目的は、問題を理解することです。情報を分解・分類し、リサーチで前提を確認しながら、因果の仮説を組み立てます。概念の言語化
複数の似た事例を、共通する名前と定義へ変えます。目的は、別の場面でも再利用できるようにすることです。具体例から共通点を抽象化し、何を含み、何を含まないのかを決めます。説明の言語化
専門知識を、相手が理解できる説明へ変えます。目的は、知識を渡すことです。相手が知っていることを起点に、比喩や具体例を使って未知の内容へ橋を架けます。判断の言語化
何となくの良し悪しを、判断基準と優先順位へ変えます。目的は、選択を再現できるようにすることです。成功例、失敗例、境界にある事例を比較し、自分が何を見ていたのかを抽出します。意図の言語化
やりたいことのイメージを、目的、条件、完成像へ変えます。目的は、他者やAIを動かすことです。制約、具体例、避けたい例、評価基準を渡し、相手が判断できる状態を作ります。
すべて「言葉にする」という表面は共通しています。しかし、言葉にする前にあるものも、言葉にした後の用途も、必要になる技術も異なります。
感情は観察し、好みは比較する
「なんだか腹が立つ」と感じているとします。
ここで必要なのは、出来事を論理的に整理することではありません。自分の内側で起きている反応を観察し、感情と原因を少しずつ分けることです。
腹が立っているように感じても、実際には、自分だけ情報を知らされなかった寂しさかもしれません。正当に評価されていない不満や、同じことが繰り返される不安、自分では状況を変えられない無力感が混ざっている可能性もあります。
この言語化で有効なのは、正しい言葉を一度で当てることではありません。「怒りなのか、悲しみなのか、恐れなのか」と近い言葉を並べ、自分の反応に近いものを探していきます。
一方、「このデザインが好き」「こちらの文章のほうがよい」という感覚を言葉にする場合には、別の方法が必要です。
例えば、あるWebサイトを「洗練されている」と感じたとしても、その言葉だけでは、他人は同じものを作れません。
別のWebサイトと比較すると、一画面あたりの情報量が少ない、色数が抑えられている、見出しと本文の階層が明確である、装飾よりも余白が使われている、といった差が見つかるかもしれません。
感情を言語化するときには、自分の内側を観察します。感覚や好みを言語化するときには、複数の対象を比較します。
同じ「自分の中にあるものを言葉にする」という仕事でも、有効な方法は異なります。
事実を並べても、構造を説明したことにはならない
「会議がグダグダだった」という言葉は、状況を説明しているようで、実際には評価しか伝えていません。
事実として記述するなら、60分の予定が90分になった、参加者8人のうち発言したのは3人だった、決定事項が確定しなかった、会議後に担当者が決まっていなかった、同じ論点が三度繰り返された、と書く必要があります。
ここで必要なのは、高度な語彙ではありません。観察したことと、自分の解釈を分ける能力です。
「会議が90分続いた」は事実です。「参加者の準備不足が原因だった」は推測です。「参加者の意識が低い」は人物への評価です。これらを混ぜてしまうと、何が起きたのかを正確に扱えなくなります。
しかし、事実を並べただけでも、問題を理解したことにはなりません。
例えば「若手が育たない」という問題を考えるなら、上司が育成に使える時間、若手に任される仕事の難易度、フィードバックの頻度、失敗できる範囲、初級業務のAI代替、転職を前提とした雇用関係などに分ける必要があります。
さらに、次のように因果をつなぎます。
AIが初級業務を代替する
↓
若手が実務へ参加する入口が減る
↓
上司の判断を観察する機会が減る
↓
一人前になるための経験を蓄積しにくくなる
事実の言語化に必要なのは、観察と記録です。構造の言語化に必要なのは、分解、分類、リサーチ、因果関係、仮説検証です。
構造を言語化した結果として作るべきものは、読みやすい文章だけではありません。
現象を説明できるモデルです。
概念を作る力と、説明する力は反対方向に働く
複数の具体例から共通点を取り出し、名前を与えることも言語化です。
例えば、上司に言われた通りに動く。飲み会で上司の話を熱心に聞く。反論せずに「勉強になります」と答える。判断に迷うと、すぐ上司へ確認する。
これらを個別の行動として並べるだけでは、別の場面で使えません。共通する構造を取り出し、「これは素直さではなく、従順さである」と名前を与えることで、一つの概念になります。
概念化とは、難しい名前をつけることではありません。異なる事例に共通する構造を取り出し、何を含み、何を含まないのかが分かる定義を与えることです。
一方、すでに存在する難しい概念を、相手が理解できる形へ変えるのも言語化です。
例えば「注意残余」という言葉を説明するとき、定義をそのまま読み上げても伝わりにくいでしょう。
企画書を書いている途中でSlackへ移ると、企画書を閉じても頭の一部は前の仕事を考え続けます。そのため、Slackへの返信にも完全には集中できません。
このように具体的な場面へ置き換えると、何が起きているのかを理解しやすくなります。
概念を作るときには、具体から抽象へ上がります。説明するときには、抽象から具体へ下ります。
必要な能力は、反対方向に働きます。
抽象的な概念を作るのが得意でも、初心者への説明が苦手な人はいます。説明が上手でも、自分で新しい概念を作れるとは限りません。
どちらも「言葉を扱う能力」ではありますが、一つの言語化力としてまとめることはできません。
判断を共有するには、意図を仕様へ変える
経験者は、「この企画は弱い」「この人は伸びそうだ」「この文章は面白くない」と瞬時に判断することがあります。
しかし、その理由を説明しようとすると、言葉に詰まります。
この場合に必要なのは、文章を書く練習ではありません。過去の判断を比較し、自分が何を見ていたのかを抽出することです。
例えば「良い記事」を判断するときには、次のような基準を使っているかもしれません。
一般論に対する修正がある
読者が自分の経験と接続できる
主張を説明する構造がある
読後に物事の見方が変わる
他の記事にもそのまま使える結論ではない
ただし、成功例だけを見て理由を考えると、結果を知った後から、もっともらしい物語を作ってしまう可能性があります。
良い記事、普通の記事、失敗した記事を並べ、どこから評価が変わるのかを見る必要があります。シリコンバレーでtasteと呼ばれている判断を、他人が使える形へ変える作業でもあります。
一方、「いい感じの資料を作って」「もっと経営者目線で考えて」「親しみやすいデザインにして」という依頼を具体化するのは、意図の言語化です。
例えば「親しみやすい」を、専門用語を避ける、一文を短くする、読者を責めない、日常的な具体例から始める、暖色を中心にする、といった条件へ変換します。
ここで必要なのは、自分のイメージを長く説明することではありません。相手が判断に迷う場所を予測し、目的、制約、完成条件、評価基準を渡すことです。
判断の言語化は、自分の中にある基準を取り出す仕事です。意図の言語化は、その基準を他者やAIが実行できる仕様へ変える仕事です。
個人の感覚を言葉にできなければ、本人にしか良いものを作れません。言葉にして共有できれば、チームやAIを通じて、その判断を何度も利用できるようになります。
「言語化が苦手」では、何も診断できていない
ここまで分けると、「私は言語化が苦手です」という自己評価が、ほとんど役に立たないことが分かります。
実際には、次のどこかで困っているのかもしれません。
自分の感情を識別できない
感覚を生んでいる評価軸を発見できない
観察と解釈を分けられない
情報を分類できない
因果関係を組み立てられない
具体例から共通点を取り出せない
相手の前提知識を推測できない
自分の判断基準を説明できない
完成条件を他人へ渡せない
それぞれ、必要な練習は異なります。
感情を識別できない人にロジカルシンキングを教えても、あまり役には立ちません。複雑な問題の構造を整理できない人が、毎日日記を書いても十分ではありません。難しい話を説明できない人に語彙を増やすよう勧めても、相手の知識に合わせる能力は身につきません。
「言語化力を鍛えよう」という助言は、「運動能力を鍛えよう」と言うことに似ています。
短距離走を速くしたいのか、長距離を走りたいのか、重いものを持ち上げたいのかによって、必要な練習は変わります。すべてを運動能力と呼ぶことはできますが、そのままでは練習メニューを作れません。
言語化も同じです。
AI時代には、文章を書く前の仕事が重要になる
生成AIは、文章を整えられます。箇条書きを文章へ変え、難しい説明を簡単にし、語尾や構成を調整することもできます。
そのため、頭の中にすでにある内容を、きれいな文章へ変換する作業の価値は下がっていくでしょう。
一方、AIへ渡す前には、何を言葉にしたいのかを決めなければなりません。
感情を理解したいのか。事実を記録したいのか。複雑な現象の因果を整理したいのか。新しい概念を作りたいのか。判断基準をチームへ共有したいのか。
「若手が育たない理由を言語化して」と依頼しても、欲しいものが事実の整理なのか、因果モデルなのか、経営陣への説明なのか、育成施策の仕様なのかによって、答えは変わります。
ここを決めなければ、AIは流暢ですが、何に使えばよいのか分からない文章を返します。
AIによって文章作成が簡単になるほど、言語化の前段にある仕事が重要になります。
何を観察するのか。何を比較するのか。どこまで抽象化するのか。誰に理解してもらうのか。どの判断を再現したいのか。
言語化の価値は、文章のうまさではなく、目的に合った変換ができているかで決まります。
最初に、言語化の目的を言葉にする
「もっと言語化しよう」と考える前に、二つの問いを置いた方がよいと思います。
何を言葉にしたいのか。
言葉にした結果、何ができるようになりたいのか。
自分の感情を理解したいのか。複雑な問題を解きたいのか。相手に説明したいのか。チームで判断をそろえたいのか。AIへ仕事を依頼したいのか。
目的が違えば、完成形も方法も変わります。
「言語化力」という一つの能力を鍛えることはできません。鍛えられるのは、感情識別、比較、観察、構造化、抽象化、説明、基準化、仕様化といった個別の能力です。
私は、感情の言語化はあまり得意ではありません。一方で、構造を言語化することは好きです。
それで構いません。
すべての言語化が得意である必要はありません。自分が今、何を言葉にしようとしているのか。そのために、どの技術が必要なのかを理解すれば十分です。
言語化が足りないのではありません。
何を言葉にする仕事なのかを、まだ分けられていないのです。
