AI時代には、すべての人にリーダーシップが必要になる
AI時代には、人間にしかできないコミュニケーション能力が重要になる。
最近、こうした主張をよく見かける。
AIは文章を書き、コードを作り、情報を整理できる。しかし、人の感情を理解し、信頼関係を築き、組織を動かすのは人間の役割である。だからこれからは、巻き込み力や調整力、共感力といった能力の価値が高まる、という議論である。
しかし、私はそうは考えていない。
少なくとも、リーダーシップの本質はコミュニケーション能力ではない。
リーダーシップとは、
目的に向かって能動的・主体的に行動し、何としても前へ進めようとする意思である。
人を巻き込むことも、利害を調整することも、分かりやすく説明することも重要である。しかし、それらは目的を達成するためのHowにすぎない。
コミュニケーションが必要ならコミュニケーションを使う。AIを使った方が速ければAIを使う。一人で進められるなら、一人で進めればよい。
目的を前進させるために必要な方法を選び、実行し、結果を見て次の行動を変える。その一連の能動的な働きかけがリーダーシップである。
リーダーシップは、意思決定でも責任でもない
リーダーシップについて語るとき、意思決定や責任を引き受けることが、その中心に置かれることも多い。
しかし、これらもリーダーシップそのものではない。
意思決定は役割である。
サッカーの試合では、選手全員がその瞬間ごとに意思決定している。パスを出すか、ドリブルするか、シュートを打つかを、監督に確認する時間はない。
一方で、チーム全体の作戦は監督が決める。選手起用を決めるのも監督である。
誰が何を意思決定するかは、役割と権限の設計によって決まる。意思決定をする人が、そのままリーダーであるとは限らない。
責任も同様である。
試合に負けた責任は、監督にあるかもしれない。選手個人にあるかもしれない。チーム全体にあるかもしれない。会社であれば、最終責任は経営者や役職者が負うことも多い。
責任の所在は、ガバナンスやオーナーシップの問題である。
リーダーシップとは、意思決定権を持つことでも、失敗したときに責任を取ることでもない。
意思決定権がなくても、目的を前へ進めることはできる。最終責任を負わなくても、自分の担当する対象に能動的に働きかけることはできる。
反対に、大きな意思決定権や責任を持っていても、受動的に役割をこなしているだけなら、リーダーシップを発揮しているとは限らない。
この点は、AI以前もAI以後も変わらない。
なぜリーダーシップはコミュニケーション能力だと思われてきたのか
これまで、仕事は人間による組織を前提としていた。
何かを実現するためには、他者に説明し、協力を得て、役割を分担し、利害を調整する必要があった。大きな成果を出すには、多くの人を動かさなければならなかった。
そのため、優れたリーダーとして目に入りやすかったのは、人を惹きつけ、人を動かし、組織をまとめる人だった。
その結果、
リーダーシップとは、人を動かす力である
と理解されるようになった。
しかし、これは人間中心の組織で観察されてきたリーダー像を、リーダーシップの定義そのものだと考えてしまった結果ではないか。
人を率いるには、人間関係を扱う能力が必要である。
だが、人間関係を扱う能力と、物事を前へ進める意思は同じものではない。
コミュニケーション能力が高くても、目的に対して受動的な人はいる。反対に、口数が少なく、人を惹きつけるタイプでなくても、自分の技術や仕事を能動的に前へ進める人もいる。
伝統工芸の職人が、誰にも指示されずに技術を改良し続ける。研究者が、一人で未知の問題を追い続ける。エンジニアが、既存のやり方に満足せず、新しい方法を何度も試す。
彼らは必ずしも組織を率いてはいない。
しかし、何かの先頭を走っている。
先頭を走るのは難しい
車を運転する人なら、前に車がいるときと、自分が先頭を走るときの違いが分かるだろう。
慣れない山道を走るとする。
前に車がいれば、その車の速度やブレーキのタイミングを参考にできる。カーブが急なのか、道幅が狭くなるのかも、前の車の動きからある程度予測できる。
フォロワーでいる方が圧倒的に気楽である。
一方、自分が先頭で、後ろに車が続いていると状況は変わる。
どの速度で走るか。どこで減速するか。道を間違えていないか。後続車を詰まらせていないか。
前に誰もいないため、自分で状況を読み、進み方を考えなければならない。さらに、後ろに人がいることでプレッシャーも生まれる。
リーダーシップとは、この先頭を走る行為に近い。
誰かの指示や前例を追うのではなく、目的に対して、自分で次の一手を考えて進む。
前に道が見えているから進むのではない。進みながら道を見つけるのである。
なぜ、これまでも全員にリーダーシップが求められてきたのか
すべての人にリーダーシップが必要だという考えは、AI時代になって初めて出てきたものではない。
リーダーシップを持つ人が多い組織は、単純に運営しやすい。
たとえば、会社の飲み会の幹事を考えてみる。
出欠確認のアンケートが送られてきたとき、リーダーシップのある人はすぐに回答する。
飲み会自体に強い関心があるからではない。
幹事が参加人数を確定しなければ店を予約できないこと、何度も催促するのは無駄であること、同僚が飲み会の調整に必要以上の時間を使うのは会社にとって好ましくないことを理解しているからである。
自分が何をすれば、全体がスムーズに進むのかを考えている。
反対に、全員が受動的であれば、幹事は何度も回答を催促しなければならない。返事をしなかった人から、後になって店や日時について文句を言われることもある。
これは飲み会に限らない。
会議の事前資料を読む。 依頼された確認を早めに返す。 問題を認識したら共有する。 自分の担当外でも、全体が止まりそうなら声をかける。
全員が目的を理解し、能動的に動けば、組織を動かすための調整コストは大きく下がる。
だからこれまでも、すべての人にリーダーシップが求められてきた。
全員を管理職や意思決定者にしたいからではない。
フォロワーである場面でも、目的に対して能動的であれば、組織全体が円滑に動くからである。
AI時代に変わること
AI時代になっても、リーダーシップの定義は変わらない。
目的に向かって能動的・主体的に行動し、何としても前へ進めようとする意思である。
変わるのは、リーダーシップを持つ人と持たない人の差である。
AIは、能動的な人に圧倒的な力を与える。
分からないことがあれば、すぐに質問できる。自分の知識レベルに合わせて説明してもらえる。コードを書き、資料を作り、調査し、設計し、思考を整理できる。
以前は、何かを学ぶにも、作るにも、大きな摩擦があった。
専門書を探し、読み、理解できない言葉を調べ、それでも分からなければ詳しい人を探す必要があった。プログラミングでエラーが出ても、どこが間違っているのか分からず、何時間も止まることがあった。
AIは、その摩擦を大きく下げる。
すると、好奇心が強く、能動的に動く人は、何度でも学び、作り、失敗し、改善できるようになる。
知識が増えれば、より高度な問いを立てられる。問いの質が上がれば、AIから得られる支援も高度になる。そして、さらに難しいことへ挑戦できる。
この差は、AIの操作技術の差ではない。
AIを使って積み上げた、
思考力。 専門性。 創造性。 制作経験。 試行錯誤の回数。
の差である。
AIは、能動性を能力へ変換する速度を劇的に高める。
平均点は上がるが、差は縮まらない
AIによって、誰でも一定水準の文章やコード、企画を作れるようになる。
その意味では、多くの人が底上げされる。
しかし、平均的なものを作れることと、能動的に取り組むことは別である。
「こんなアプリを作りたい」とAIに伝える。AIが動くものを作る。それを見て満足して終わる。
これは、表面的には創造しているように見える。
しかし構造的には、Netflixで面白そうな作品を探して再生し、見終わることと大きく変わらない。AIが生成したものを受け取り、消費して終わっているからである。
リーダーシップのある人は、そこで止まらない。
なぜ使いにくいのか。 本当に解決したい問題は何か。 もっと良い方法はないか。 自分が作りたかったものは本当にこれなのか。
そう考え、何度も作り直す。
AIは多くの人を平均点まで引き上げる。
一方で、平均点で満足しない人の上限をほぼ取り払う。
したがって、平均は上がっても、差は縮まらない。むしろ能動的な人と受動的な人の差は、これまで以上に広がっていく。
AI時代には、リーダーシップがキャリアの前提になる
リーダーシップを持たない人の仕事が、すべてなくなるわけではない。
指示された仕事を正確に処理する役割も残るだろう。
しかし、10年後、20年後にも高い価値を生み出し、それに見合う報酬を得たいのであれば、リーダーシップは一部の管理職だけの能力ではなくなる。
これから、すべての人が人間を率いるわけではない。
しかし、すべての人がAIを使いながら、自分の担当する目的を前へ進めることを求められる。
そのとき必要なのは、人を惹きつけるカリスマ性ではない。巧みな話術でもない。大きな意思決定権でも、最終責任を負う立場でもない。
自分から問いを持つこと。 自分から学ぶこと。 自分から試すこと。 結果に満足せず、次の方法を考えること。 目的を達成するまで前進を止めないこと。
AIは、どれだけでも手を貸してくれる。
しかし、AIには「これを何としても実現したい」という意思はない。
AIは走れる。だが、自ら先頭には立たない。
だからAI時代には、すべての人にリーダーシップが必要になる。
人を動かす人がリーダーなのではない。
意思決定する人や責任を負う人が、必ずしもリーダーなのでもない。
目的に向かって、自ら先頭を走り始める人がリーダーなのである。
