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綺麗なジャイアンは好きですか?

先日、書く部の部会(オンラインチャット)で「すっぴんで全裸のような文章を書きたい」という話題が出た。飾らない。取り繕わない。よく見せようとしない。そんな気持ちをのせた記事を書きたい。

ずっと、もっと脱ぎたい。すっぴんの自分を出すにはどうしたらいいのかと考えていた。すぐ自分を綺麗にしたがる。化粧をして、服を着てかっこつけたがる。

だけども、1日たってふと気づいた。
わたしって、綺麗なジャイアンだったんじゃないかって。

ドラえもんに「きこりの泉」という話がある。

泉に、鉄の斧を落としてしまって、女神さまがでてきて金ですか?銀ですか?…というお話、知ってますか?それをモチーフにしてて、よくばったジャイアンが落ちゃって、女神に「これですか。」と綺麗なジャイアンをみせられ、「いいえ、もっと汚いほう。」というと、ごほうびに綺麗なジャイアンをもらってしまうというアレ。

出典:藤子・F・不二雄『ドラえもん』第36巻「きこりの泉」(小学館)


綺麗なジャイアンは、かっこいい。やさしい。礼儀正しい。たぶん、友だちになるならこっちのほうがいい。いつも(汚いほう)のジャイアンは、いじわるだ。強欲だ。スネ夫のものをすぐ取り上げるし、のび太をいじめる。歌がびっくりするほど下手なのに、みんなに聴かせたがる。それなのに、情にもろくて、妹思いで、映画になるとやたら頼もしい。欠点だらけなのに、なんだか愛らしい。

わたしの中に、綺麗なジャイアンと汚いジャイアンがいる。外にいるときは、綺麗なジャイアンの出番が多い。

人にやさしくしたい。できれば機嫌よくいたい。誰かを応援したい。人を傷つけたくない。嫌なことがあっても、できれば自分の中で一度消化してから話したい。noteでも、たぶんそうだ。

「音羽しーな」として文章を書き始めたころから、綺麗なジャイアンをたくさん舞台に立たせてきた。でも、それは装っていたというのとは、少し違う。綺麗なジャイアンも、わたしだった。誰かに喜んでもらえたらうれしいし、人のいいところを見つけるのも好きだ。楽しいことを考えていたいし、できれば誰かの力になりたい。だから、今まで見せてきたわたしが偽物だったわけじゃない。

ただ、綺麗なジャイアンは、好かれやすい。

「今日、誰が表に出ますかー?」となったら、たぶん毎回オーディションに受かる。「とりあえずビール」のように、「とりあえず綺麗なほう」って言われる。

一方、汚いジャイアンはというと、呼ばれない。だって、「ずるい!」とか言う。「わたしだって褒められたい!」とも言う。「寂しい!」「やだ!」「なんであの人ばっかり!」「わたしも見て!」なんてことも言う。嫉妬する。拗ねる。欲しがる。比べる。めんどくさい。すごくめんどくさい。

だから今までは、そいつが出てくると、「はいはい、気持ちはわかった。ちょっと楽屋で待っててね」と引っ込めていた。

綺麗なジャイアンがいない日は、幕を開けなかった。

楽屋でずっと待っていた汚いジャイアンに出番はなかった。いじけるジャイアンをなだめていた。

だけど、この一年くらい、わたしは少しずつ汚いジャイアンを出演させてる。まだ寂しいまま書く。嫉妬したまま書く。答えが出ていないのに書く。「こんなこと思っちゃうんだよね」と、そのまま出してみる。

お客さん、帰らないだろうか……。期待を裏切らないだろうか。

公開ボタンを押すとき、少し怖い。

「音羽しーなって、そんなこと思う人だったんだ」と思われるかもしれない。今まで好きだと言ってくれていた人が、「なんか思ってたのと違う」と離れていくかもしれない。

綺麗なジャイアンを好きになってもらえたのだから、綺麗なジャイアンを出していればいい。そのほうがずっと安全だ。綺麗なジャイアンを褒めてもらえれば、もちろんうれしい。だって、それもわたしだから。

だけど、ときどき舞台袖から声がする。

ずるいと思うわたしも。嫉妬するわたしも。寂しくて「やだやだ」と言っているわたしも。人に認められたいわたしも。誰かに選ばれたいわたしも。愛されたいわたしも。

こっちは、出ちゃダメなの?

たぶん、わたしは綺麗なジャイアンの化粧を落としたいわけではない。服を全部脱ぎ捨てて、「こっちが本当のわたしです」と言いたいわけでもない。綺麗なジャイアンも本当のわたしだから。ただ、いつもオーディションで落としてきた、もうひとりのわたしにも、舞台に立たせてやりたいのだと思う。

綺麗なジャイアンも出す。汚いジャイアンも出す。どちらかを「本当のわたし」にするのではなく、どっちもわたしとして見てもらいたい。

そして、ここからがたぶん、一番汚いところなのだけれど。わたしは別に、「嫌われてもいいから、ありのままの自分をさらけ出そう」なんて、かっこいいことを思っているわけじゃない。嫌われたくない。できれば好かれたい。

綺麗なジャイアンだけじゃなく、汚いジャイアンまで出して、それでも「しーなさん、好きですよ」「しーなさん、面白い」と言ってもらいたい。愛してほしい。欲深い。めちゃくちゃジャイアンである。

でも、たぶんそれが、今のわたしがやってみたいことなんだと思う。

綺麗なところを見せて好かれるだけじゃなくて、格好悪いところも、めんどくさいところも、まだ答えの出ていないところも見せて、それでも誰かとつながっていられるのか、試してみてる。

汚いジャイアンが拍手をもらえると、泣きそうになる。

もしかしたら、お客さんからすれば、どっちのジャイアンでも変わりないのかもしれない。気づかないかもしれない。

汚いジャイアンを出したら嫌われる。そんなふうに自分で勝手に作っている枠の、もう少し外側へ行ってみたい。綺麗なジャイアンの出番を減らす必要はない。これからもきっと、たくさん舞台に立つ。でも、舞台袖でずっと待っていたもうひとりにも、脇役じゃなくて主役をあげてみたい。

ダブルキャストで。

「今日は、どっちのジャイアンだろう」

そんな風に思ってもらえたら

どっちのジャイアンも、愛してもらえたらうれしーな。




ただのはるさんが、この記事を読んで書いてくれました。まるでお手紙のよう。もうはじめの数行から涙が…。しあわせすぎた。汚いジャイアンも、出していいんだ。

いいんだよね。うん。


みなさん、いろいろ書いてくださってうれしーな💛なので、マガジン作ってみました😊


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