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「シンシン アンド ザ マウス / SINSIN AND THE MOUSE」感想

※映画ネタバレ、原作ネタバレありの感想です。

シンシンアンドザマウス、6/27に新宿の舞台挨拶行ってきました。
2回目の鑑賞だったからか「なるほど、そうだったのか!」と解像度が上がりました。
1回目は事前情報を入れずに鑑賞。
2回目はパンフレットを見た上で鑑賞。
2回目鑑賞後に、原作を読みました。
原作を読むとさらに作品の内容が鮮明になります。
映画を見た方は是非原作も読んでみてください。


◆冒頭の公園とラストの公園、エンディングテロップ中に聞こえる清掃車の音楽が示唆する余白

映画の冒頭に登場する公園シーンと、ラストの公園シーン。
1回目鑑賞時は、こう見ていました。
冒頭の台湾公園→ちづみが台湾でシンシンに出会う前。
ラストの公園→日本に帰国し、日常を取り戻したちづみが日本の公園にいる姿。
ラストの公園は、日本の公園によくある遊具で遊ぶ親子連れと、「お母さん!」と日本語を話している子供の声が聞こえてきます。
なので日本の公園なんだな、と。
その後、暗転してテロップ中に聞こえる、中国語で何か言っている声(子供の声に聞こえました)と清掃車の音楽。
「あ、ちづみは帰国したんだ。日本の公園で台湾旅行を思い出してるんだ。清掃車の音楽はちづみの回想の中の音楽だ」と思ったんです。
と同時に、
「え?!ちづみとシンシンはその後どうなった?旅の中のひと時の出会いで終わったの?お互いそれっきりなの?それとも違うの?どうなったのーーー?!」と思っていたんです。
いやだって、シンシンとこれっきりなんて寂しすぎるじゃないですか。
でもキャッチコピーには「明日へと続く、さようなら」と書いてある。
二人は再会するの…?
そんな気持ちを抱えたまま、パンフレットを読んだ上で2回目鑑賞。
で、気づいたんです。
「あれ!?冒頭とラストの公園シーン、そしてテロップ中の『音』は、我々視聴者に残された余白?それならば、その余白を存分に楽しまなくては!」と。
(冒頭とラストに、対比のように登場する公園シーンには絶対なにか意味があると思うんです。
ならばその対比と余白を探りたいな、と)

もしシンシンとちづみが「これっきり」ではなかったら、
テロップ中に聞こえる清掃車の音楽と中国語は、
ちづみが再び台湾を訪れているって想像してもいいわけだし、
なんなら渋谷に住んでいるシンシンとは日本で会うこともできるわけだから、ちづみが日本帰国後公園で待っている時に台湾を思い出し(清掃車の音楽)、そこへ「おまたせ」とシンシンが現れる想像をしてもよいわけだし。
ラストの公園シーンとテロップ中の『音』で無限に想像が広がるんです。
(ヲタクはそれを「妄想」と呼ぶ)
ありがとうございます、余白…。

ところで、テロップ中に(テロップ直前だったかも)聞こえてきた中国語はなんて言っているんだろう。とても意味があるような気がする。
どなたか中国語が堪能な方、教えてください。

◆キャッチコピー「台北で出会ったのは、明日へと続く、さようなら」が意味するもの

私は単細胞なのですっかり文字通りにとらえておりました…。
さようならってことは、シンシンとちづみは「旅先のひと時の出会いだったんだ」と思い込んでいました、1回目鑑賞時までは。
でも2回目鑑賞時、この「さようなら」には、もっと色々込められているんではないか、と。
ちづみの、母を亡くした喪失・日常をなかなか取り戻せない焦心。
シンシンが抱える生い立ち故の孤独。
ちづみは「何物でもない、小さい自分」に魅力を見出してくれたシンシンに救われ、
シンシンは、ちづみに、子供の頃に自分の孤独を癒してくれていたねずみの姿を見出した。
つまり、二人は出会ったことで、それぞれが抱えていた「孤独」と「さようなら」できたから、「明日へと続く」のではないかと。
ちなみに原作は、シンシンとの今後に期待を寄せるちづみで終わっています。

◆キャスティングが良い。特に不倫するお父さんの見事なまでの解像度

曾敬驊くんも、岸井さんも、藤原さんも、余さんも、みなさん全員良かったです。
特にお父さん。
ビジュアル、物腰、服装、話し方…。THE・不倫するお父さんなんです。
あぁ、この人不倫しそうと思わせる雰囲気を出しているのが素晴らしかった。
もしかしたら、このお父さんには結婚前から女性関係があったのでは…
そんな想像すら浮かんでしまった。
お母さんとちづみが共依存のような関係だったのは、お父さんの存在・離婚が大きく関係していると思うのですが、
出演シーンは短いながら、お父さん役の飯田基佑さんの存在感に説得力がありました。

◆グイグイ来る男、シンシン

映画の中のシンシンも、なかなかにぐいぐい来る男ではありますが、原作のシンシンのグイグイっぷりはワンアップしております。
原作のシンシン、ちづみの服を脱がせたいと思ってるって言ってますからね、大胆だな!シンシン。
でも、下心丸出しではなくちゃんと清潔感あるジェントルだし、子供の頃に孤独を癒してくれたねずみが具現化した形で目の前に現れた、そんなニュアンスのことをシンシンは言っている。
この清潔感とジェントルな部分は、まさに曾敬驊だなと思いました。
私は映画を見てから原作を読んだので、シンシンのセリフは曾敬驊が話す日本語で脳内再生されました。
曾敬驊の日本語は、噛めば噛むほど味が出るするめのような味わい深さがあります。

◆曾敬驊が話す日本語が生み出す、シンシンの人物像

初見の方は、曾敬驊が話す日本語に「膨大な量の日本語のセリフを(しかも、日常的に話す日本語とは少し違う独特な会話運びのセリフ)覚え、感情を乗せるのは大変だったに違いない」と感じたのではないかと思います。

あの話し方は演出でもあります!

パンフレットに
【シンシンがちづみに語りかける日本語もまた、意図的にネイティブのような話し方にはしなかった。「上手くなりすぎたら、あの2人の間にある独特の空気は生まれなかった」と監督は言う】

と書かれています。

パンフレットを見た上で、2回目をじっくり鑑賞しました。
すると、
シンシンの生い立ち、置かれた環境、日本にも台湾にも居場所を見出せない静かな孤独。
それがあの話し方に現れているんです!
そして曾敬驊の細やかな演技。
母国語ではないセリフを話すハンデを、目線や仕草に感情を散りばめることで昇華し表現しています。
「シンシーン!」と叫びたくなります。

私の1番のお気に入りシーンは
後半ちづみの荷物を預けに行ったシンシンが
「おまたせ」と現れるところ。
街の喧騒を排除した演出の中、ふわっと現れるシンシンの声。
劇中で「人は声から忘れる」とありますが、きっとちづみはシンシンの声を忘れないんじゃないかな。
そして二人のこれからは、シンシンの声で再び動き出すのではないかな。

曾敬驊の声にはそう言う説得力と癒しのリズムがある。

#シンシンアンドザマウス
#曾敬驊
#ツェン・ジンホア

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