プラシーボ効果の歴史——「私は喜ばせる」から神経科学まで
はじめに——偽薬はなぜ効くのか
プラシーボ効果とは、本来薬理作用を持たないはずの偽薬や疑似的な治療が、受ける者の症状を実際に改善させてしまう現象である。砂糖で作られた錠剤、生理食塩水の注射、単なる見せかけの手術——これらが、確かに効くのである。患者は楽になり、痛みは和らぎ、ときに客観的な生理指標までもが変化する。医学の歴史の大部分において、この現象は厄介者として扱われてきた。「本当の」薬効を測るうえで邪魔になるノイズ、臨床試験で対照群に紛れ込む誤差、あるいは気のせい——そうした位置づけである。しかしここ四半世紀の間に、プラシーボ効果は厄介者から研究対象の主役の一つへと、ドラマチックに地位を変えつつある。
そもそも、治療とは何だろうか。医師が患者と向き合い、診察し、言葉をかけ、処方を下すという一連の儀礼。錠剤の色、注射器の形、病院の白い壁、白衣の威厳。これらはすべて、薬理作用とは無関係な「文脈」である。ところが神経科学の知見が積み上がるにつれて、この文脈こそが患者の脳内に実在する化学反応を引き起こし、内因性オピオイドやドーパミンを放出させ、痛みの神経回路を変調させていることが明らかになってきた。つまりプラシーボ効果は「気のせい」などではない。それは脳の実際の働きであり、医療行為に常に付随する副産物であり、場合によっては治療そのものの主成分でさえある。
本稿では、この不思議な現象がどのように発見され、命名され、懐疑と擁護の振り子を繰り返しながら科学の対象となっていったのか、その長い歴史を辿る。中世ラテン語の祈祷詩から始まり、18世紀パリの磁気療法論争、20世紀半ばの論文革命、そして今日の脳画像研究とオープンラベル・プラシーボの臨床応用に至るまで——プラシーボ効果の歴史は、医学と心の関係を問い続けてきた人類の思考そのものの歴史でもある。
第一章 「プラシーボ」という言葉の起源——中世ラテン語からチョーサーまで
プラシーボ(placebo)という単語は、ラテン語の動詞 placeo(喜ばせる、気に入られる)の一人称単数未来形で、直訳すれば「私は喜ばせるだろう」「私は気に入られるだろう」という意味である。医学用語としての歴史よりもずっと長く、この言葉はまったく別の文脈で使われてきた。
中世ヨーロッパのローマ・カトリック教会では、死者のために捧げられる晩課(夕刻の聖務)が執り行われていた。その冒頭のアンティフォナ(交唱句)はウルガータ訳聖書の詩篇第116章第9節に由来し、「Placebo Domino in regione vivorum(我は生ある者の地にて主を喜ばせよう)」という言葉で始まっていた。この冒頭語こそが placebo である。13世紀以降、この晩課全体が「プラシーボ」と呼ばれるようになり、「プラシーボを歌う」とはすなわち死者のための晩課に参加することを意味した。
ところがここから、言葉の意味は奇妙な転回を見せる。当時の慣習として、葬儀の際には遺族が会葬者に食事を振る舞っていた。この食事目当てに、故人と縁もゆかりもない者が参列し、遺族に取り入るようにプラシーボを歌う光景が珍しくなかったという。そこから「プラシーボを歌う」という表現には、阿諛追従、おべっか、太鼓持ちといったネガティブな含意がまとわりつくようになった。
14世紀末のジェフリー・チョーサーは『カンタベリー物語』においてこの語感を巧みに使っている。「商人の話(The Merchant's Tale)」では、ヤヌアリーという老騎士が若い女性メイとの結婚をめぐって二人の助言者に相談する。一人の名はプラシーボ、もう一人はユスティニウス(正しい者)。プラシーボは老騎士の欲望に迎合し、「あなたは正しい、結婚すべきだ」と阿諛する役回りとして描かれる。また「召喚士の話(The Summoner's Tale)」では、「貴族と付き合うときは用心なさい、プラシーボを歌い『できる限りのことはいたします』と申し上げなさい」という訓戒が出てくる。さらに「教区司祭の話(The Parson's Tale)」にある「おべっか使いは悪魔の牧師である、常にプラシーボを歌っている」という一節は、この時代の語感を象徴している。
14世紀から16世紀にかけて、プラシーボは英語において「おべっか使い」「追従者」「寄生者」を意味する普通名詞としても使われた。オックスフォード英語辞典によれば、この意味でのプラシーボの最後の用例は1651年のものである。つまりこの言葉は、医学的な意味を獲得する以前に、まず宗教的な意味を持ち、次いで社会的・道徳的な意味を持ち、それから医学の世界にやってきた——という長い迂回路を辿っているのである。
第二章 医学用語としてのプラシーボ——18世紀後半の登場
プラシーボが医学用語として文献に現れるのは、18世紀後半である。英国の医師アンドリュー・ダンカンは1770年の著書『治療学の諸要素(Elements of Therapeutic)』において、「単にプラシーボが求められる場面では、材料(マテリア・メディカ)に含められているとはいえ薬の名に値しないもので事足りる」と述べた。ここでの「プラシーボ」はすでに、実質的な薬効よりも患者を「喜ばせる」ことを目的とした処方という意味を帯びている。
その後、1785年刊のジョージ・マザビー(George Motherby)著『新医学辞典(New Medical Dictionary)』第二版において、プラシーボは「ありふれた方法または薬(a commonplace method or medicine)」と定義された。初版(1775年)には存在しなかったこの項目が10年の間に辞書に採録された事実は、この語の医学的用法が広まりつつあったことを示している。
1811年には、ロバート・フーパーの『医学事典(Medical Dictionary)』に「プラシーボ——患者を喜ばせることのみを目的とし、実質的な利益をもたらすことのない薬剤の形容詞」と記された。この定義には軽蔑的なニュアンスが含まれていたが、だからといってそれが「効かない」と断じているわけではなかった点は重要である。当時の医師たちは、患者を安心させる薬が実際に症状を和らげることを経験的に知っていた。ただし、それを理論化し検証する方法をまだ持たなかっただけである。
なぜ18世紀後半という時期に、この古いラテン語が医学的意味を獲得したのか。一つの仮説は、啓蒙時代の医学が経験主義的方法を取り入れ始め、薬の真の効能とそれ以外の影響を区別する必要性を意識し始めたこと——そして、患者を慰撫するためだけに処方される「形式的な薬」に名前を与える必要が生じたこと——にある。プラシーボという言葉の医学的誕生は、医学が自らを厳密な科学として打ち立てようとし始めた、その黎明期の産物であった。
第三章 プラシーボの前史——古代から近世の医療における暗示と治癒
もちろん、言葉としてのプラシーボが現れるはるか以前から、人類の医療はプラシーボ効果に満ちていた。いや、より正確に言えば、近代以前の医療の大部分はプラシーボ効果に支えられていたと言ってよい。古代エジプトのパピルスには、ワニの糞、ネズミの皮、ハエの死骸を使った処方が記録されている。ガレノスやヒポクラテスの時代の薬物学には、今日の薬理学から見れば薬効の期待できない物質が無数に含まれていた。中世ヨーロッパの薬局方には「ミイラ粉末」——実際にエジプトのミイラを粉にしたもの、あるいはそう称するもの——が治療薬として何世紀も載り続けた。
それでも、これらの治療で患者は実際に楽になっていた。なぜか。一つには、症状の多くが自然経過で軽快すること。もう一つには、患者が治療を受け、医師を信頼し、何かが体内で働いていると期待すること自体が、症状を和らげる力を持っていたからである。17世紀の英国王が触れることで瘰癧(結核性頸部リンパ節炎)を治すとされた「王の触れ手(King's Evil)」の儀式は、この種の効果の壮大な例である。1662年の一時期、チャールズ2世は二年間で約9万2000人の臣下に触れたと記録されている。多くの者が「治癒」を報告した。
また、17世紀に広まった「共感の粉末(powder of sympathy)」という治療法も興味深い。傷を負った本人ではなく、傷を負わせた武器(あるいはそれに準ずる布切れなど)のほうに粉を塗ることで治癒が促される、とされた療法である。当然、粉末に薬理作用があるはずもないが、「治療されている」という事実は確かにあり、しかもこの方法なら傷口に不潔な手が触れることもなかったため、感染症で命を落とす確率がむしろ下がった可能性がある。近世の医療では、治療を受けないことが最善の選択である場面もしばしばあったのである。
東洋医学においても、指圧、鍼灸、湯液、祈祷、呪術が長い歴史を持ち、それぞれの文化圏で固有の治癒儀礼を形作ってきた。宗教的巡礼地であるルルドの泉、四国遍路、メッカへの巡礼——これらはすべて、信仰と期待、共同体的な支持、儀礼的な身体実践が組み合わさって、参加者の心身に変化をもたらす装置として機能してきた。近代以降の「プラシーボ」概念は、こうした古来の治癒実践を、実験室と統計の言葉に翻訳して捉え直す試みでもあった。
第四章 フランクリン委員会と史上初の盲検プラシーボ対照試験(1784年)
プラシーボ効果の歴史において、最も劇的かつ決定的な転換点は、1784年のパリで起こった。舞台は、フランスの王立科学アカデミーと医学アカデミーから選ばれた委員会による、ある奇怪な治療法の科学的検証である。その治療法の名は「動物磁気(animal magnetism)」——今日ではメスメリズムと呼ばれる療法であり、委員会を率いたのは、アメリカ公使として当時パリに滞在していたベンジャミン・フランクリン、その人であった。
メスメリズムの創始者フランツ・アントン・メスマーは1734年生まれのウィーン出身の医師で、宇宙には目に見えない磁気的な流体が遍満しており、人体の病気はこの流体の流れの滞りによって生じる、と主張していた。彼は患者に自ら触れ、あるいは特別な磁気を帯びた物体を介して、この流体を操作することで治癒が可能だとした。彼の治療セッションは劇場的であった。薄暗い部屋に数十人の患者が集まり、磁気を帯びた水と鉄粉と砕いたガラスが詰められた大きな木桶「バケ」を囲む。桶から突き出した鉄の棒を患者は患部に押し当て、互いに手を取り合って「回路」を作る。鏡が壁に並び、ガラスハーモニカの神秘的な音色が流れ、香が焚かれ、メスマーあるいは弟子が紫の絹のローブをまとって患者の身体の上に手をかざす。多くの患者が激しい痙攣——メスマーが「クリーシス(危機)」と呼んだ反応——を起こし、意識を失い、そして目覚めたときには症状が消えていると報告した。
18世紀末のパリは、理性と啓蒙の最盛期であると同時に、神秘主義と秘密結社の最盛期でもあった。メスマーの治療院には貴族、ブルジョワ、文人が押し寄せた。マリー・アントワネットも関心を示し、ラファイエット侯爵は信奉者となった。モーツァルトは喜歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』にメスマーと彼の磁石への暗示を忍ばせている。1784年までに、メスマーは動物磁気治療専門の病院建設のために34万リーヴルという巨額の寄付を集めていた。
医療界の既得権者たちはこの熱狂を危険視した。パリの医学界は彼に医師免許を与えることを拒否していたが、メスマーは既に免許を持つ弟子シャルル・デロン(Deslon)と組むことで臨床を続けていた。ついに国王ルイ16世は、この現象の真偽を科学的に検証するため、二つの王立委員会を任命する。一つはギヨタン博士(後にギロチンの導入を提唱する人物として名を残す)が率い、もう一つはフランクリンを長とし、化学の父アントワーヌ・ラヴォアジエ、天文学者ジャン・バイイ、医師ジョゼフ・ギヨタン、そして植物学者アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューらが名を連ねた。
フランクリン委員会がこの検証において採用した方法論は、その後の臨床試験のあり方を決定づけるものとなった。彼らが直面した問いは、単に「メスマーの治療は効くか」ではなく、「効くとして、それは本当に磁気流体のせいなのか、それとも患者の想像のせいなのか」であった。この問いに答えるために、彼らは二種類の実験条件を構築した。第一に、磁気をかけているが被験者はそれを知らない条件(magnetism without imagination)。第二に、磁気はかけていないのに被験者はかけられていると思い込んでいる条件(imagination without magnetism)。この対比——被験者の知覚を操作して治療の存在と想像とを切り離す設計——こそ、後世に「盲検法」と呼ばれる技法の原型であった。
具体的な実験の一つはこうである。メスマーの弟子デロンは、自分が「磁化」した一本の杏の木を指定し、この木に抵触した敏感な患者は必ず反応を示すと主張した。委員会は目隠しをした患者を連れて庭に向かい、庭園にある四本の木を次々と抱かせた。どの木もデロンは磁化していないにもかかわらず、患者は最初の木で身体に異常を感じ、二本目、三本目でさらに反応が強まり、四本目に至る前に痙攣を起こして失神した。一方、実際にデロンが磁化したのは離れた場所にある五本目の木であり、患者はそれに触れる機会を持たなかった。
別の実験では、磁気に敏感とされる女性に目隠しをして、ある施術者が近くにいないにもかかわらず「いま磁化しています」と告げたところ、彼女は目、耳、背中、腰部に熱と痛みを感じたと報告した。逆に、実際に施術者が磁化している最中に「何もしていません」と告げると、彼女は何も感じなかった。委員会はこれらの結果から、動物磁気流体は存在せず、観察された効果の正体は「想像」と「模倣」——すなわち患者の期待と暗示——であるとの結論に達した。
委員会の公開報告書は1784年8月に発表され、広く流布した(秘密版では、若い女性患者が「クリーシス」の最中に男性施術者によって性的に搾取される危険性についても記されていた)。報告書は学問的マイルストーンとして後世に評価される。生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドはこの報告を「理性の力と美への永続的な証言」と称え、「今日の無名状態から救い出し、あらゆる言語に翻訳されるべきだ」と評した。
この一連の検証において、委員たちは現代の臨床試験で「実験者効果」と呼ばれる現象にすら気づいていた。彼らは、「患者の中には、高名な科学者たちの前に出されたとき、相手が期待しているような感覚を報告してしまう者がいるかもしれない」と記し、だからこそ盲検にする必要があると説明している。1784年という年に、単盲検・プラシーボ対照・ある種のクロスオーバー設計までもが採用されていたことは、驚嘆に値する。
メスマリズムそのものは衰退したが、フランクリン委員会が打ち立てた検証手法は生き残った。1799年、英国の医師ジョン・ヘイガース(John Haygarth)は、アメリカ合衆国コネチカット州の医師エリシャ・パーキンスが発明し英国でも流行していた医療器具「パーキンス・トラクター」の検証に、フランクリンの方法を応用した。パーキンスのトラクターは一本が鉄、もう一本が真鍮でできた約3インチの二本の金属棒で、患部の上をなでることで有害な磁場を除去し治癒をもたらすと宣伝されていた。ヘイガースは金属棒とまったく同じ外観の、しかし非磁性であるはずの木製の模造品を作り、それを同じ患者に同じ手順で適用した。結果として、木製の偽トラクターも金属製の本物と区別がつかないほど同じように「効いた」。ヘイガースは、治療の効果が器具そのものではなく患者の想像力に由来することを示したのである。これは歴史上、明確に「偽薬」を実験用のツールとして設計した最初期の例の一つである。
第五章 19世紀——医原性プラシーボと懐疑主義の台頭
19世紀を通じて、医学界はプラシーボという概念と不安定な関係を続けていた。この時期の医学はまだ確固たる科学的基盤を持たず、処方される薬の多くは現代の基準からすれば薬理作用を持たないか、あるいは有害ですらあった。瀉血、催吐、下剤、水銀化合物、阿片チンキ——これらの濫用が横行する一方で、医師たちは経験的に、「無害だが患者を慰める処方」の価値を認識していた。
「医原性プラシーボ」という慣行が広まったのはこの時代である。医師が患者を安心させる目的で、薬理作用のほとんどない物質——パンの粉、澱粉、蒸留水、色づけした砂糖水——を処方することは、日常的な臨床風景の一部であった。1803年にトーマス・パーシヴァルが刊行した医療倫理書には、「無害なプラシーボ」の使用が医師の職業倫理に反しないことを擁護する記述がある。19世紀半ばのリチャード・ケイボットのような医師は、プラシーボ処方を医療実践の避けがたい一部として受け入れていた。
同時に、医学の科学化を推進する人々の間では、プラシーボに対する懐疑の目が鋭くなっていった。1830年代のパリ医学校のピエール・ルイは、数値的方法を臨床に導入した先駆者であり、瀉血が肺炎の予後を改善するかどうかを統計的に検討し、効果がないことを示した。この「数値的方法」の確立は、後のランダム化比較試験への長い道のりの始まりであった。
19世紀後半には、催眠術・暗示療法に関する科学的研究が興隆する。フランスのアンブロワーズ=オーギュスト・リエボーとイポリット・ベルネームは、ナンシー学派と呼ばれる一派を形成し、暗示こそが催眠状態における治療効果の本質であると論じた。これはパリのサルペトリエール病院のジャン=マルタン・シャルコーによる「ヒステリー患者にのみ成立する神経学的現象」としての催眠観と激しく対立したが、結果的にはナンシー学派の「暗示主義」が広く受け入れられていく。若き日のジークムント・フロイトはこの両学派を訪ねて研究し、後の精神分析の基礎形成において暗示の力を深く考察することになる。
プラシーボ概念が近代臨床研究のフレームワークに組み込まれる準備は、19世紀のこうした知的潮流——統計的思考、暗示の心理学、臨床観察の客観化——の積み重ねの中で進行していたのである。
第六章 20世紀前半——ランダム化比較試験の誕生とプラシーボの位置
20世紀初頭、ドイツ・オーストリアの医師アドルフ・ビンガー、カナダの心理学者H.K.ホプキンズ、英国の統計学者オースティン・ブラッドフォード・ヒルらの仕事を経て、臨床試験はより厳密な科学的営みへと変貌していった。1937年、英国医学研究評議会(MRC)の結核薬テストでストレプトマイシンの臨床試験が計画され、1948年に報告された試験は歴史上最初のランダム化比較試験(RCT)と広く認識されている。ブラッドフォード・ヒルが設計したこの試験では、抽選によって治療群と対照群が決定され、評価者にはどちらの群に属するかが知らされないなど、後のRCTの基本要件が具備されていた。
この時代に、「プラシーボ効果(placebo effect)」という術語が学術語彙に定着し始める。1920年、英国の精神科医T.C.グレーヴスが論文において、この表現を用いた最も早い例の一つとされる。1933年から1950年代にかけて、ハロルド・ディールやスチュワート・ウルフら米国の医師たちは、風邪、消化器症状、気管支喘息などを対象にプラシーボの効果を系統的に観察した。ウルフは1950年の論文で、プラシーボ投与によって胃酸分泌や吐き気が変化すること、さらには薬理学的に相反するはずの薬(鎮吐薬と催吐薬)が、患者の期待次第で逆の効果を示しうることを報告した。プラシーボは単なる「何もしないこと」ではなく、積極的な生理作用を伴いうる現象として意識され始めていた。
1946年にコーネル大学で開催された会議で、「プラシーボ」は初めて医学界全体の議論の俎上に載せられた。ここで発表されたO.H.P.ペッパーの報告は、プラシーボに関する事実上最初の体系的な総説とされるが、彼は「驚くべきことに、プラシーボという重要な主題を正面から論じた論文は、これまでに一本もないようだ」と述べている。わずか10年足らずの後に、この空白を埋める一本の論文が発表されることになる。
第七章 ヘンリー・ビーチャーと「強力なプラセボ」(1955年)
1955年12月24日——クリスマスイブの日——に発行された『米国医師会雑誌(JAMA)』第159巻17号に、ハーヴァード医学校麻酔学教室のヘンリー・ノウルズ・ビーチャー(Henry K. Beecher, 1904–1976)による「The Powerful Placebo(強力なプラシーボ)」と題する論文が掲載された。わずか5ページ足らずの短い論文でありながら、この一編がプラシーボ研究の方向を決定づけ、その後半世紀以上にわたって引用され続けることになる。
ビーチャーは第二次世界大戦中、従軍麻酔科医として北アフリカ戦線とイタリア戦線で勤務し、負傷兵の疼痛治療に従事した。戦場では、モルヒネが枯渇した状況で生理食塩水を注射してもなお重症兵士の多くが痛みから解放されたという観察が、彼に強い印象を残したとされる。戦後、彼はマサチューセッツ総合病院で研究を進め、「プラシーボ反応」と呼ばれる現象の定量化を志した。
『The Powerful Placebo』のなかで、ビーチャーは15件のプラシーボ対照試験のデータを統合し、術後痛、咳、不安、頭痛、薬物酔い、風邪症状など多様な症状領域において、プラシーボ投与を受けた1082人の患者のうち平均35パーセントが「満足のいく症状緩和」を示したと報告した。この35パーセントという数字は以後、プラシーボ効果を語る際の「マジックナンバー」として広く引用されていく。ビーチャーの主張の核心は、プラシーボ反応が臨床的に無視できない規模を持つこと、そしてこの事実こそが、新薬の真の効能を評価するためには二重盲検プラシーボ対照試験が不可欠であることを強く示唆している、という点にあった。
ビーチャー論文の影響力は絶大であった。1960年代以降、米国食品医薬品局(FDA)は医薬品承認審査において二重盲検プラシーボ対照試験を事実上の標準とし、この方法論が世界中の製薬産業と規制科学の骨格を形成していく。ビーチャー自身も1966年に『ニューイングランド医学雑誌』で「倫理と臨床研究」という論文を発表し、臨床研究におけるインフォームド・コンセントの重要性を強調して、医療倫理の制度化に決定的な影響を与えた。
もっとも、歴史の振り子はここから逆に振れる。ビーチャーの引用する「35パーセント」という数字には、実はかなりの解釈的脆弱性があった。1997年、ドイツの医学研究者グンヴァー・キーンレとヘルムート・キーネが発表した論文「The Powerful Placebo Effect: Fact or Fiction?(強力なプラシーボ効果——事実か虚構か)」は、ビーチャーが引用した15試験のすべてを再検討し、厳しい結論を下した。彼らによれば、ビーチャーが「プラシーボ効果」と解釈した改善の多くは、実は自然経過による自然寛解、症状の変動、平均への回帰、併用治療の影響、評価尺度の偏り、報告バイアスなど、プラシーボ投与とは独立の要因で説明可能であった。例えばある風邪の試験では、プラシーボ群の35パーセントが「症状改善」を示していたが、風邪は通常6日程度で自然軽快する病態であり、これを「プラシーボの効果」と呼ぶのは因果関係の混同だというのである。
キーンレとキーネの再分析は、ビーチャーの論文が体系的な因果推論の誤りに基づいていた可能性を示した。しかしそれでも『The Powerful Placebo』が果たした歴史的役割は揺るがない。この論文は数字の正しさによってではなく、二重盲検プラシーボ対照試験を臨床医学の標準にまで押し上げた点において、医学史を転換したのである。興味深いことに、ビーチャー自身は論文中で一貫して「プラシーボ反応者(placebo reactors)」と「プラシーボ非反応者(placebo non-reactors)」という言い方をしており、「プラシーボ効果(placebo effect)」という表現は限定的にしか用いていない。後世に彼の名とともに伝わる「35パーセントのプラシーボ効果」という定式化は、彼自身の慎重な言い回しをいくぶん単純化した形で普及したものであった。
第八章 ジョン・レヴァインと内因性オピオイド発見——「プラシーボの生物学」の誕生(1978年)
1955年のビーチャー論文から四半世紀——プラシーボ効果は、臨床試験の方法論の中に組み込まれた一方で、その生物学的正体は依然として謎のままであった。多くの医師や研究者は、これを「気のせい」「心理的な現象」として、本格的な神経科学の対象とは見なしていなかった。
この状況を一変させたのが、1978年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のジョン・レヴァイン、ニューベル・ゴードン、ハワード・フィールズが『ランセット』誌に発表した論文である。研究の舞台は、親知らずの抜歯を終えた患者たちであった。手術後の痛みに苦しむ患者に対して、研究者たちは静脈内に生理食塩水を投与し、「これはモルヒネかもしれません」と伝えた。三人に一人の患者が有意な鎮痛効果を報告した——ここまでは典型的なプラシーボ反応である。
ここで研究者たちは、秘密裏にもう一つの物質を投与した——ナロキソン。これは脳内のオピオイド受容体に結合してモルヒネなどの麻薬性鎮痛薬の作用を遮断する拮抗薬である。プラシーボで痛みが和らいだ患者にナロキソンを投与すると、痛みは戻ってきた。この現象が意味するところは明確であった。プラシーボによる鎮痛は、脳内で内因性オピオイド——エンドルフィン——が実際に放出されることによって生じているのであり、薬理学的に測定可能な生化学的変化なのである。
ベネデッティはこの研究を、「プラシーボの生物学が誕生した瞬間」と呼ぶ。それ以前、プラシーボ効果は主観的な心理現象として扱われてきた。しかしレヴァインの研究は、患者は単に「痛みを感じなくなったふりをしている」わけではなく、脳内で実際の神経化学的変化が起きていることを示した。これは後の数十年にわたるプラシーボ神経科学の扉を開く鍵となった。
1970年代から80年代にかけては、神経伝達物質研究そのものが飛躍的に進展した時代でもある。1973年のオピオイド受容体発見、1975年のエンケファリン発見、エンドルフィンやダイノルフィンの同定が相次いだ。内因性オピオイド系こそ、脳が自前で持つ鎮痛システムであることが明らかになりつつあり、レヴァインの研究はこの新しい神経科学の地平と、古くから知られていたプラシーボ現象を結びつける画期的な橋渡しとなった。
第九章 ファブリツィオ・ベネデッティと現代プラシーボ神経科学
1990年代以降、プラシーボ研究の中心人物として浮上したのが、イタリア・トリノ大学医学校のファブリツィオ・ベネデッティ(Fabrizio Benedetti, 1955–)である。ベネデッティは疼痛研究から出発し、プラシーボ鎮痛のメカニズムを薬理学的に分解する一連の研究を重ねてきた。
1995年、ベネデッティは画期的な観察を報告する。コレシストキニン(CCK)——消化管ホルモンとして知られるペプチドが、中枢神経系では抗オピオイド作用、すなわち内因性オピオイドの鎮痛効果を抑制する働きを持つことが知られていた。ベネデッティはCCK受容体拮抗薬プログルミドを投与することで、プラシーボ鎮痛の効果がむしろ増強されることを示した。これは、プラシーボ鎮痛が内因性オピオイド系の活性化によって生じ、かつCCK系によって対抗的に制御されているという、双方向の神経化学的メカニズムの存在を示唆する所見であった。
ベネデッティのチームは以後、プラシーボ効果が単一のメカニズムで説明できる単純な現象ではなく、「複数のプラシーボ効果(multiple placebo effects)」が存在することを繰り返し強調していく。疼痛領域ではオピオイド系、エンドカンナビノイド系、プロスタグランジン系が関与する。パーキンソン病では、プラシーボ投与によって線条体でドーパミンが放出されることが2001年にラウル・デ・ラ・フエンテ=フェルナンデスらによって[11C]ラクロプライドを用いたPET研究で示された。その放出量は、アンフェタミンを投与した場合の反応に匹敵する大きさであった。さらにベネデッティ自身の2004年の研究では、深部脳刺激療法のためにパーキンソン病患者の視床下核に電極を挿入した手術中に、単一ニューロン記録を行った。プラシーボを投与された患者では、視床下核ニューロンの発火頻度が約40パーセント減少し、バースト発火が非バースト発火へと移行した。この神経活動の変化は、患者の運動症状の改善と対応していた。
脳画像研究の貢献も決定的であった。コロラド大学ボールダー校のトール・ワガーらによる2004年の機能的MRI研究は、プラシーボ鎮痛が前頭前野、前帯状皮質、島皮質、中脳水道周囲灰白質など、疼痛制御に関わる複数の脳領域の活動を実際に変化させていることを示した。2005年にジョン=カー・ズビエタらが[11C]カルフェンタニルを用いたPET研究で報告したのは、プラシーボ投与によってμオピオイド受容体の神経伝達が前頭前野背外側部、前帯状皮質、島皮質、側坐核で活性化されるという所見である。プラシーボは単なる「期待」という抽象概念ではなく、具体的な受容体レベルでの神経化学的事象であることが、このような研究によって確立されていった。
ベネデッティらの研究が導き出した重要な洞察の一つは、プラシーボ効果と薬効が共通の生化学経路を利用しているという事実である。モルヒネは外因性オピオイドとしてμ受容体に結合して鎮痛をもたらすが、プラシーボも期待を介して内因性オピオイドを放出させ、同じμ受容体を介して鎮痛をもたらす。アポモルヒネはドーパミン受容体を直接刺激してパーキンソン症状を改善するが、プラシーボも期待を介して内因性ドーパミンの放出を引き起こし、同じ受容体系を通じて運動機能を改善する。言い換えれば、脳にとってはモルヒネの注射と「モルヒネを注射されたという期待」は、ある意味で等価な刺激として機能しうるのである。
さらにベネデッティは、プラシーボ反応がパブロフ型の古典的条件づけによっても形成されることを示した。例えば、被験者にモルヒネを繰り返し投与してから生理食塩水のプラシーボに切り替えると、強いオピオイド系の鎮痛反応が誘発される。別の非オピオイド系鎮痛薬ケトロラクで条件づけした場合には、プラシーボ反応がエンドカンナビノイド系を介して発現する。つまり、脳は過去の薬理学的経験を「記憶」しており、その記憶に基づいて適切な神経化学経路を再活性化するのである。条件づけによるプラシーボ反応は、意識的な期待が弱まった条件でも発現しうるため、「意識的信念」よりも深い層で脳が学習していることを示唆している。
もう一つ重要な発見は、プラシーボ効果に関与する前頭前野の機能が損なわれると、プラシーボ反応が消失するという現象である。アルツハイマー型認知症の患者では前頭前野の機能低下がみられるが、ベネデッティらの研究によれば、これらの患者では同時にプラシーボ鎮痛が著しく減弱していた。このことは、健常者における疼痛治療の効果の一部が、期待に基づくプラシーボ成分によって増幅されていることを逆照射する。薬の実質的効能を測るには、単にプラシーボ対照試験を行うだけでなく、期待そのものがどれだけ寄与しているかを評価する必要があるのである。
第十章 ヒョブヤールトソン=ゴッツァ論争——「プラシーボは無力か」(2001年)
神経科学がプラシーボ効果の実在を次々と確証していた2001年、プラシーボ研究の場に冷水を浴びせる論文が発表された。デンマーク・コペンハーゲン大学とノルディック・コクラン・センターのアスビョルン・ヒョブヤールトソンとペーター・ゴッツァによる、『ニューイングランド医学雑誌』5月24日号の「Is the Placebo Powerless?(プラシーボは無力か)」である。
彼らが採った方法は独創的かつ論理的に厳密であった。従来のプラシーボ研究の多くは、プラシーボ群と実薬群を比較するRCTから間接的にプラシーボ効果を推論していた。しかしこの方法には、自然経過、平均への回帰、ホーソン効果(観察されていること自体による行動変化)といった交絡因子を排除できないという問題がある。ヒョブヤールトソンとゴッツァは、「プラシーボ群と無治療群の直接比較」を行った臨床試験のみを対象として系統的レビューを行った。彼らは130件の試験を同定し、16件を除外した後、114件の試験(二値アウトカム32件3795名、連続アウトカム82件4730名)を分析した。
結論は衝撃的であった。プラシーボは、二値アウトカムに対しては主観的指標でも客観的指標でも有意な効果を示さなかった。連続アウトカムについては、主観的な連続変数——特に疼痛——においては統計的有意な効果が確認されたが、その効果量は小さく(視覚的アナログ尺度100ミリで6.5ミリの改善)、かつ試験サイズが大きくなるほど効果が小さくなるという関係が認められた。これは小規模試験における発表バイアスを示唆する所見であり、真の効果はさらに小さい可能性があった。著者らの結論は明快であった。「臨床試験の枠外で、プラシーボを使用する正当性はほとんどない」。
この論文は激しい論争を巻き起こした。一部の研究者は、ヒョブヤールトソンらの分析対象となった試験群がプラシーボ効果を検出するのに十分な感度を持っていなかったと批判した。多様な疾患、多様な介入、多様なアウトカムを一括りにメタ解析することで、特定の条件下で確実に存在するプラシーボ効果(例えば疼痛)が、全体の信号のなかに埋没してしまった可能性があるというのである。ヒョブヤールトソンらは2004年と2010年に対象試験を拡大して分析を更新したが、結論は概ね変わらなかった。
ベネデッティらの神経科学研究とヒョブヤールトソン=ゴッツァのメタ解析——両者は実のところ矛盾しない、というのが現在の大方の理解である。プラシーボ効果は、疼痛、パーキンソン病、うつ、不安、過敏性腸症候群(IBS)、喘息の主観的症状など、特定の症状領域では明確かつ再現可能に観察される。しかし検査値や死亡率のような客観的・長期的アウトカムでは、プラシーボ効果はほとんど、あるいは全く観察されない。この区別は、プラシーボを臨床に応用する際の境界線を示唆する上で重要である——プラシーボは「主観的な症状認知」を変えうるが、病気そのものを治癒させる万能薬ではないのである。
第十一章 ノセボ効果——プラシーボの邪悪な双子
プラシーボに双子の兄弟がいる。その名はノセボ——ラテン語の「私は害するだろう(nocebo)」に由来する。治療が害をもたらすだろうという期待が、実際に症状を悪化させる現象である。
「ノセボ」という用語を初めて学術的に導入したのは、1961年、ウォルター・P・ケネディが『Medical World』誌に発表した「The nocebo reaction(ノセボ反応)」という短い論文であった。ケネディは「プラシーボと反対の効果——ノセボ反応と呼ぶべきもの——にほとんど注意が払われていないのは驚くべきことだ」と書き、プラシーボが「被験者に備わる性質であり治療そのものの性質ではない」のと同様、ノセボもまた被験者の心理状態に由来する現象であることを強調した。ケネディの論文はしばらく埋もれ、以後25年間でノセボを主題とした論文は二本しか発表されなかったという。ノセボ研究が活性化するのは2000年以降、プラシーボ研究の興隆に並行する形であった。
ノセボ効果の臨床的重要性は甚大である。医師が患者に「この薬には吐き気、頭痛、不眠の副作用があります」と伝えると、プラシーボ投与群ですらその副作用を訴え始める。うつ病治療薬の臨床試験のメタ解析では、プラシーボ群のほぼ20人に一人が「副作用」を理由に脱落していた。スタチンのノセボ問題はよく知られており、英国では2013年のメディア報道をきっかけに副作用を懸念した数十万人の患者がスタチン服用を中止し、その結果として2000件の心血管イベントが追加的に発生したと推計されている。2022年のメタ解析では、COVID-19ワクチン初回接種後の副反応の72パーセント、二回目接種後の52パーセントがノセボ反応で説明可能であったと報告されている。
ノセボの神経生物学は、プラシーボのそれと対になる形で解明されつつある。ベネデッティらの研究によれば、不安に伴うCCKの活性化がノセボ性痛覚過敏の中心的機序であり、プログルミドのようなCCK拮抗薬によってノセボ性痛覚増強が抑制される。側坐核ではμオピオイド受容体とD2/D3ドーパミン受容体の活性が減少する。プラシーボが「報酬」の神経回路を動員して症状を緩和するのに対して、ノセボは「脅威」と「不安」の神経回路を動員して症状を増幅する——両者は対称的な、しかし独立したメカニズムとして理解されつつある。
さらに社会文化的文脈におけるノセボも無視できない。呪術文化圏で報告されてきた「ヴードゥー死」——呪いをかけられたと信じる者が実際に衰弱して死亡する現象——は、極端なノセボ現象として解釈することができる。電磁波過敏症の多くの症例は、電磁波そのものではなく、電磁波が害を及ぼすという信念によって誘発されている可能性が指摘されている。メディア報道が作り出す健康不安、医師の言葉遣い、インフォームド・コンセントの手順——これらすべてがノセボ効果を誘発しうる要因であり、「真実を全て伝える」というインフォームド・コンセントの理想が、逆説的に患者に害を及ぼす可能性があるという倫理的ジレンマが生じる。
第十二章 オープンラベル・プラシーボ革命——「騙し」なしのプラシーボは効くのか
プラシーボ効果に関する長年の前提が一つある——患者を騙さなければ効かない、という前提である。「あなたに渡すのは砂糖の錠剤です」と告げてしまえば、期待も信念も生じず、プラシーボは無力なはずだ——これが常識であった。ハーヴァード医学校ベス・イスラエル・ディーコネス医療センターのテッド・カプチャック(Ted J. Kaptchuk)率いる研究チームは、この常識を覆す実験を行った。
カプチャックは元々は東洋医学の研究者であり、1970年代にマカオで中国医学を学んだ後、米国に戻って鍼灸の臨床研究に取り組んだ経歴を持つ。彼は一貫して、「治療者と患者の関係性、儀礼、文脈」こそが治癒の中核にあるという立場から、プラシーボを「治療的遭遇(therapeutic encounter)」の科学として捉え直そうと試みてきた。2008年に発表されたIBS(過敏性腸症候群)を対象とした試験で、彼は「プラシーボ効果の構成要素」を分解する実験を行った。262人の患者を三群に分け、無治療群、簡素な対話による擬似鍼治療群、温かい共感的態度を伴う擬似鍼治療群を比較したところ、三番目の群で最も大きな改善が認められた。ここに、プラシーボ効果が「用量依存的」に働くこと、すなわち「ケアの量」に応じて効果が増すことが示唆された。
そして2010年、カプチャックのチームはさらに大胆な仮説を検証する試験を『PLoS ONE』誌に発表した。80名のIBS患者を二群に分け、片方には「これはプラシーボです。薬理作用のない砂糖の錠剤ですが、臨床研究では心身の自己治癒作用を通じてIBS症状を有意に改善させることが示されています」と説明したうえで、プラシーボ錠剤を処方した。もう片方は無治療対照群であったが、医療者との交流の質は両群で同等に保たれていた。三週間後、公然プラシーボ群は無治療群を大きく上回る症状改善を示した。IBS適切緩和尺度(IBS-AR)では公然プラシーボ群の59パーセントが有意な改善を報告したのに対し、無治療群は35パーセントであった。
この結果は研究者自身をも驚かせた。「歴史的に、プラシーボが効くには欺瞞や隠蔽が必要だと考えられてきました」とカプチャックは述べている。「しかし、プラシーボが効くかもしれないと前もって伝え、試してみませんかと提案するだけでよいかもしれないと考えたのです」。
カプチャックのこの最初の試験は比較的小規模で、期間も短かった。しかし、その後の十数年間で、公然プラシーボ(open-label placebo, OLP)を用いた試験が相次いで行われ、慢性腰痛、膝痛、癌関連倦怠感、片頭痛、更年期ホットフラッシュ、アレルギー性鼻炎、注意欠陥多動症といった多様な症状領域で、類似の結果が再現されている。2021年には、カプチャックら自身が262名のIBS患者を対象により大規模な試験を実施し、公然プラシーボが二重盲検プラシーボと同等の効果を示すことを示した。盲検化はプラシーボが効くための必要条件ではない、という結論は今や複数の研究によって支持されている。
公然プラシーボはなぜ効くのか。これはまだ論争の最中にある問題である。カプチャック自身は、プラシーボ効果が「意識的な信念」ではなく「身体化された治癒の儀礼」によって引き起こされるという見方を強めている。錠剤を飲むという行為、治療者との対話、臨床の設え——こうした儀礼的な身体実践そのものが神経系に作用し、「信じる・信じない」という命題的な次元とは独立に、治癒反応を誘発するというのである。古典的条件づけの観点から言えば、私たちは人生のなかで何千回も薬を飲み、その度に何らかの効果を経験してきた。「薬を飲む」という行為自体が、既に条件刺激として機能するのに十分な学習履歴を持っている。
第十三章 プラシーボをめぐる倫理——欺瞞・インフォームド・コンセント・治癒儀礼
プラシーボの歴史は、常に倫理的問いとともにあった。医師が患者を「喜ばせる」ために効きもしないものを処方することは、患者の知る権利の侵害ではないのか。治療者-患者関係の根幹にある信頼を損なう欺瞞ではないのか。一方で、プラシーボを処方しないことで得られたはずの治癒の機会を失わせることもまた、倫理的に問題含みなのではないか。
20世紀後半、医療倫理の制度化とインフォームド・コンセントの厳格化が進むなかで、「欺瞞的なプラシーボ使用」は原則として容認されない慣行となった。医師が「これは薬です」と偽って砂糖錠剤を処方することは、患者の自律を侵害する行為と見なされるようになった。臨床試験においてプラシーボ群を設けることは許容されるが、その際にも被験者には「あなたはプラシーボ群に割り付けられる可能性があります」と明示的に告知することが必要条件となっている。
しかしこの倫理規範は、いくつかの逆説を抱えている。第一の逆説は、医師が「副作用の可能性」を事前に詳細に説明することで、実際に副作用の発生頻度が上昇してしまう——すなわち、正直に全てを伝えるインフォームド・コンセントの理想が、ノセボ効果を通じて患者に害をもたらしうるという問題である。これは「真実を語る義務(veracity)」と「無危害原則(non-maleficence)」の衝突を意味する。情報提供の方法をどのように構成するか——「副作用の起こる確率」ではなく「副作用のない確率」を強調する、「起こりうる不快」を明示的に脱強調する、といった工夫——が、臨床倫理の新しい論点となっている。
第二の逆説は、公然プラシーボの出現によって浮上している。もし「これはプラシーボです」と明示して処方したプラシーボが効くのであれば、欺瞞の問題は解消される。プラシーボの処方は、欺瞞的医療ではなく、心身の自己治癒能力を活性化する正当な治療介入として再定義されうる。こうした視点からは、「公然プラシーボを提供しないこと」こそが、患者に対して利用可能な治療選択肢を開示しない倫理的怠慢ではないか、という議論さえ提起されている。
第三の問題は、プラシーボと補完代替医療(CAM)の境界についての議論である。鍼灸、ホメオパシー、カイロプラクティック、各種の手技療法——これらの効果の相当部分がプラシーボ機序に由来する可能性は、既に多くの研究が示唆している。しかしそれは、これらが「偽物の医療」であることを意味するのだろうか。カプチャックらの立場に従えば、プラシーボ機序は正当な生物学的治癒メカニズムであり、それを効率よく活用する文化的・技術的枠組みとしてのCAMには固有の価値がありうる。ここでの論争は、「効くとは何か」「治癒とは何か」という、医学の根本的な定義に関わる哲学的な問いに到達する。
日本の医療文化においても、プラシーボ的要素は医療実践に深く組み込まれてきた。漢方薬の処方、温泉療法、民間療法、神社仏閣での祈祷——これらは現代医学の尺度からは非特異的な介入と見なされる一方で、患者の主観的ウェルビーイングに明確な効果を持ってきた。「医は仁術」という伝統的な理念は、治療者の態度、ケアの質、治療者-患者関係の深さそのものを治療の本質とする立場であり、現代プラシーボ研究が辿り着いた「治療的遭遇の科学」と奇妙な響き合いを見せる。
第十四章 プラシーボ効果の遺伝学と個人差
プラシーボ反応はすべての人に同じように現れるわけではない。強い反応者もいれば、まったく反応しない者もいる。この個人差の生物学的基盤も、近年の研究の対象となっている。
2012年以降、カプチャックらのチームのキャスリン・ホールらを中心に、「プラセボーム(placebome)」——プラシーボ反応に関与する遺伝子群——の研究が進んでいる。カテコール-O-メチル転移酵素(COMT)遺伝子のVal158Met多型、脂肪酸アミドヒドロラーゼ(FAAH)遺伝子のPro129Thr変異、オピオイド受容体OPRM1のA118G多型などが、プラシーボ反応の個人差に関与することが報告されている。COMTはドーパミンの分解に関わる酵素であり、Met型の個体はシナプス内ドーパミン濃度が高く維持される傾向があり、プラシーボに対する反応も強いという所見が得られている。
これらの遺伝学的知見の臨床的意義はまだ研究途上だが、将来的には、個々の患者のプラシーボ反応性を予測し、それに基づいて治療戦略を設計する「プラシーボ・プレシジョン・メディシン」のような方向性も構想されている。臨床試験の設計においても、プラシーボ反応者と非反応者を事前に層別化することで、検出感度を向上させることが可能となるかもしれない。
第十五章 プラシーボ研究の現代的地平——ハーヴァード・プログラムから国際的展開へ
プラシーボが「厄介者」から「研究対象の主役」へと昇格する過程で、組織的な研究拠点の形成も大きな役割を果たした。2011年にハーヴァード医学校で創設された「プラシーボ研究と治療的遭遇プログラム(Program in Placebo Studies and the Therapeutic Encounter, PiPS)」は、その代表的存在である。カプチャックをディレクターとするこのプログラムは、神経科学、臨床試験、倫理学、人類学、哲学の研究者を横断的に集め、プラシーボ現象を単独の学問領域に収まらない学際的研究対象として体系化してきた。
欧州でも、ドイツのエッセン大学、イタリアのトリノ大学、デンマークのコペンハーゲン大学、オランダのライデン大学などを拠点に活発な研究が展開している。2017年には国際的な専門学会「学際的プラシーボ研究学会(Society for Interdisciplinary Placebo Studies, SIPS)」が設立され、二年に一度の国際会議を開催している。プラシーボ研究はもはや疼痛研究や精神医学の副次的テーマではなく、独自の専門領域を形成するに至っている。
国立衛生研究所(NIH)では「プラシーボ・プロジェクト」が立ち上げられ、プラシーボ効果の神経生物学的機序解明と臨床応用を目指した大型研究が進行中である。新型コロナウイルス感染症のパンデミック下で、ワクチンの副反応におけるノセボ寄与の定量化が急務となったこと、慢性疼痛のオピオイド危機に対するプラシーボ応用の可能性が注目されていることなど、社会的文脈もプラシーボ研究の追い風となっている。
おわりに——「喜ばせる」ことから治癒の科学へ
中世の葬儀で食事目当てに詩篇を唱えた者たちの姿から、21世紀の脳画像装置のなかで測定される内因性オピオイド放出まで——プラシーボ効果の歴史は、驚くべき射程を持つ長い物語である。その歴史は、医学が自らを理解しようとする営みの歴史そのものでもある。プラシーボは単なる「偽物」ではなく、治療行為に常に付随する影のような存在として、医学の影の部分を照らし続けてきた。
フランクリンの委員会が1784年に打ち立てた盲検プラシーボ対照試験の方法論は、今日あらゆる新薬の承認審査の基盤となっている。ビーチャーの1955年の論文は、数字の解釈において後世に批判されつつも、プラシーボ対照試験を医学の標準装備に押し上げた。レヴァインの1978年の研究はプラシーボを神経化学の対象に変え、ベネデッティ以降の研究はそれを具体的な受容体と神経回路の言葉で記述可能にした。カプチャックの公然プラシーボ研究は、欺瞞という倫理的汚名を払拭する道を開きつつある。
今日のプラシーボ研究が指し示す方向性は、いくつかの大きな問いに収斂していく。第一に、プラシーボ機序を意図的に活用することで、薬の使用量を減らしつつ治療効果を維持する「プラシーボ増強治療」は可能か。オピオイド危機への対処、慢性疼痛管理、精神疾患治療などの領域で、この問いは切実である。第二に、医療における「文脈」——言葉、儀礼、環境、治療者-患者関係——をどう設計すれば、プラシーボ機序を最大化し、ノセボ機序を最小化できるか。これは医療コミュニケーション科学の新たな課題である。第三に、プラシーボ反応の個人差を理解し、個々の患者に応じた治療文脈をカスタマイズすることは、プレシジョン・メディシンの新たな次元を開くか。
プラシーボ効果の研究が最終的に私たちに教えるのは、「治療とは何か」という問いの奥深さである。薬理学的な分子の作用だけが治療なのではない。医療が提供する文脈、物語、関係性、儀礼——これらすべてが脳と身体に実際の変化を引き起こす。それは気のせいではなく、脳の実際の働きであり、進化の過程で形作られた自己治癒システムである。プラシーボは、私たちが何千年にわたって医療と呼んできた営みの正体の一部を、鏡として映し出しているのである。
ラテン語の placebo——「私は喜ばせるだろう」——という言葉の古い意味を、私たちは今、より深い意味で取り戻しつつあるのかもしれない。治療とは、一面において、患者を「喜ばせる」ことそのものである。ただしそれは、阿諛追従のおべっかという意味ではなく、脳が持つ自己治癒能力を呼び起こす、真摯な治療的遭遇という意味において——である。
参考文献・主要情報源
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