渋谷の劇場で彼女が絶望した理由。映画『ネタニヤフ調書』とテレビマンの敗北感
1. 劇場に漂う、静かな「拒絶」
ドキュメンタリー映画特有の短いエンドクレジットが終わり、劇場の明かりがついた。
その瞬間、僕は自分の隣に座っていた若い女性の姿に釘付けになった。
彼女は、震えながら、もう何も映っていないスクリーンを見つめていた。
その目は、単なるショックを超えた、何か得体の知れない「恐怖と絶望」に凍りついていた。
まるで、はじめて見るホラー映画を見終わったばかりの少女のように……。
昼下がりの渋谷イメージフォーラム。
彼女と、そして僕の心を壊したのは
『ネタニヤフ調書(=原題:The Bibi Files)』
という名のドキュメンタリー映画だ。
「ビビ」というのは、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの愛称だ。
イスラエルでは「ベンヤミン」を「ビビ」と言い換える習慣があるらしい。
なんと愛らしく、親しみやすい愛称か。
しかし皮肉なことに、「ビビの素顔」は、あまりに凄まじく、どす黒かった。
映画は、ネタニヤフとその妻サラの汚職疑惑を巡る、本来なら日の目を見るはずのなかった尋問映像を柱に構成されている。

もちろん、こんなもの、世に出ていいはずがない映像だ。
しかし、誰かがそれを、この映画のスタッフに託した。
おそらくは尋問を担当した警察官の誰かが、二人のあまりの厚顔無恥さに義憤に駆られ、どうしても世間に公表したくなったのだろう。
つまり、この映画はそうした「違法なリーク映像」で作られている。
当然、本国イスラエルでは上映禁止になった。
そしてイスラエルの盟友・米国でも、大手メディアが直前で放送をキャンセルし、ウォール・ストリート・ジャーナルすらレビューを拒否したという。そんな「封印された真実」が、いま日本の暗がりで、細々と僕たちの目を見開かせているのだ。
2. 「湿り気ゼロ」の名優と、雪だるま式の腐敗
尋問室のビビ(ネタニヤフ)は、まさに名優だった。
映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンら大富豪から、数千万円相当の高級葉巻やシャンパン、宝飾品を受け取っていたとされる「ケース1000」。
あるいは、通信大手に便宜を図る見返りに、自分に有利な報道をさせた疑いなど、無数の証言者が、具体的かつ矛盾のない証言をする尋問映像が多数使われている。
見せ場は、その「証拠音声」を、取調官がネタニヤフ本人に聞かせる場面だ。
彼の目の前で、かつての親友が、ビジネスパートナーが、側近が、彼の犯罪を理路整然と語っている。
普通なら、人間としての「揺らぎ」が出る。目が泳ぐ、言葉に詰まる。
だが、ビビは違う。
彼は平然と、あまりに自然に、こう言い放つのだ。
「嘘だ」「これも嘘」「よくもこんな嘘を」「君ら(尋問官)も、よくこんなデタラメを信じられるな!」
次第に激昂し、机を叩きながらわめき散らす一国のトップ。
しかし、信じられるもなにも、一人ひとりバラバラに尋問された証言者が、ここまで整合性のある証言をしているのだ。疑う方がおかしい。
だが、そんな理屈はビビには通じない。
それぞれの証言がカッチリと噛み合うと、今度はこう言い放つのだ。
「みんなで口裏を合わせやがって。これは私を陥れる巨大な陰謀だ」
彼は理解しているのだ。
尋問室のカメラは自分の証言を記録する目ではなく、いつかこの映像を見る支持者へ向けた「スタジオのレンズ」であることを。
そこには日本的な「恥」の概念や、湿り気のある葛藤など微塵もない。
あるのは、湿り気ゼロの「鋼鉄の自己保身」だけだ。
自分こそが「正義」であり、自分を追及する者は全て「国賊」である。
この論理のすり替えを、彼は息を吐くようについた嘘の中で、完璧な「演技」として完結させてゆく。

パンフレットには、アレックス・ギブニー監督のこんな言葉が書かれている。
「最初は(葉巻やシャンパンといった)“小さな汚職”から始まった。だが、その責任から逃れようとする執念が、雪だるま式に巨大な不正へと膨れ上がっていき、やがて数万人の命を奪った」
一番驚いたのは、ネタニヤフが尋問室で『ゴッドファーザー』のセリフを引用して見せたことだ。
「友は近くに置け、敵はもっと近くに置け」
これは、ハマスという敵に秘密裏に数千億の援助をしていたことを尋問官に突っ込まれた時の言葉だ。
(つまり、不倶戴天の敵とされる「ハマス」さえ、近くに置き、手懐けたほうがいいという意味だ。信じられないだろうが、映画ではネタニヤフが議会も通さず、裏ルートでハマスに資金援助していたことにも触れられている。この事件については、あまりに意味がわからないだろうから、その詳細は後日触れることにする)
3. 鋼鉄のクイーン・サラと「エプスタインの影」
さらに正視に耐えなかったのは、ネタニヤフの妻・サラの姿だ。
取調官を罵倒し、金切り声で特権を主張する。
「私たち夫婦は不当に攻撃されている!」
「私たちが外国へ行くと、国賓として拍手で迎えられるのよ!」
「こんなに国を守ってる夫に、ありもしない罪を着せて、あんたたちは恩知らずだ!」
尋問官に口を開く隙を与えないほど叫び続けるその姿は、まさに傲慢さが服を着て歩いているかのようだった。
ここで僕は、以前noteに書いた「トランプのエプスタイン・ファイル逃れ」を思い出さずにはいられなかった。
ギブニー監督が指摘するように、ビビとその妻の行動は、ロシアのプーチン、そして米国のトランプといった為政者たちと驚くほど似通っている。
彼らは共通して、自分たちの「個人的な罪」から目を逸らすために、司法制度を破壊し、社会を分断させ、国家の危機を演出する。
ビビにとっては、2023年10月7日のハマス攻撃による惨劇さえも、皮肉なことに、「これで裁判を延期できる」という生存本能の道具になったと映画は看破しているのだ。
パンフレットの中、映画評論家の町山智浩氏と対談した製作総指揮のアレックス・ギブニー氏は、こう語っている。
ギブニー:
まず、ネタニヤフはイスラエルの司法改革で裁判所を弱体化しようとした。さらに他にもいくつもの政治的工作をしていたが、2023年10月7日にハマスの攻撃が起こった時、彼は腹を決めていた。紛争をできる限り長引かせなければならないと。首相の座にある限り、国家緊急事態なら裁判を延期することができるからね。権力を持つ者がやりがちな恐ろしい話だよ。汚職の罪から逃げるために悪行を重ねていくんだ。
町山:
つまりネタニヤフは自分の生き残りだけのために戦争を続けたわけですね。
ギブニー:
そう、それこそが真実だ。ハマスの攻撃にイスラエルが反撃したのはしかたがないが、それをここまで引き延ばすのはあり得ない。もはや戦争とすら言えない。なぜなら、圧倒的に強いイスラエル軍にとってハマスなんか演習の標的みたいなものだからだ。ネタニヤフには人質の奪還や停戦交渉するチャンスがいくらでもあったのに、やろうともしなかった。大事なのは権力の維持だけだった。権力を守ることが何よりも大事で、それを人命より優先させた。権力を守るために、ネタニヤフは人権にまるで関心がない極右勢力、スモトリッチとベングヴィルとまで手を結んだ。
ちなみに、2026年4月現在のガザ保健当局および国際機関の最新報告をまとめると、2023年10月の衝突開始からの死者は累計で4万3,000人〜4万5,000人超に達している。
その大半が女性と子供であり、さらに瓦礫の下に埋まったまま遺体も回収できていない「行方不明者」が数万人規模でいると言われている。これを合わせると、実質的な犠牲者はもっと膨れ上がるはずだ。
映画では、もう二度と目を覚まさない子どもの遺体や、親たちの慟哭も容赦なく描いている。
また、イランとイスラエルの直接衝突による死者数も、軍関係者や民間人を合わせると数百人規模の犠牲が確認されている。シリアやレバノンといった周辺国での「代理戦争」も含めると、イラン系の武装組織や民間人の死者は数千人単位にのぼる。
つまり、一人の男の保身という矮小な動機のために失われた命は、すでに5万人近くに上っているのだ。
隣の席の女性が震えていた理由は、おそらくそこにある。
「言葉が通じない相手」が、自らの虚栄心と生存本能だけでミサイルのボタンを握っている。
その救いようのない現実が、「自分の生きているこの時代に繰り広げられている」ことに、彼女は恐怖し、絶望したのだ。
4. テレビマンの敗北感と、それでも綴る「一行」
僕たちは、日々もどかしさを抱えながら仕事をしている。
テレビニュースという枠組みの中では、基本、「警察発表」や「政府の公式見解」をベースにせざるを得ない。
「〜と発表しました」「〜と述べています」
その一見中立な言葉の裏側で、真実はアイロンをかけられ、平坦にされ、肝心な「毒」が抜かれていく。
だが、この映画が暴いたのは、そのアイロンがけされた「表の顔」の下にある、泥にまみれた剥き出しの「業」だ。
「高級葉巻とシャンパンから始まった嘘が、雪だるま式に膨らんで、数万人という人々の死につながった」
この言葉こそが、公式発表が決して伝えない、ドキュメンタリーだけが辿り着ける真実の肌触りだ。
正直に言えば、映画館を出た僕は、作り手として圧倒的な敗北感を感じていた。
なぜなら、この映画にはイスラエルのテレビ局「チャンネル13」の調査報道記者であり、人気キャスターでもあるラヴィブ・ドゥルッカー氏が堂々と登場し、ネタニヤフを糾弾していたからだ。
製作総指揮のギブニー氏は言う。
「彼はイスラエルで長年活躍する調査ジャーナリストで、とても勇敢だ。実際、ネタニヤフ政権から攻撃されて解雇されそうになったが、スタッフが一丸となって『彼を解雇するなら私たち全員辞める』と反対して、彼を守ったんだ」
かってない長期政権を誇り圧倒的な力を持つネタニヤフからの圧力を、仲間が守った……。
これは、絶望的な国にさした、一条の光だ。
ならば、日本のテレビにも出来るだろうか。
イランへの攻撃が続くこの瞬間にも、この映画の特集をゴールデンタイムで流すことが…
キャスターに「これは国家の戦いではなく、個人の延命工作です」と叫ばせることが…
せめて、「そうかもしれません」でもいい。
考えてはみるが……。
今の日本のテレビに、その「劇薬」を飲み干す覚悟はあるかと言われると、心許ない。
何より、自分の心が一番ブレーキをかけている。
裏取りは? ファクトチェックは?
今回のように内部告発として世に出たリーク映像に、裏取りなどできるはずもない。
ましてや、今やAIでいくらでもフェイク動画が作れる時代だ。
この尋問映像がフェイクでないと、誰が断言できるのか……?
そう考えると、塞ぎ込むことばかりだ。
けれど、僕は、あの劇場の明かりがついた瞬間の沈黙を、彼女の怯えた目を、一生忘れない。
公式発表の行間に隠された、醜悪で、しかし否定しようのない「人間の真実」をどう描き出すか。
この映画から受け取った「意味ある毒」を、かならず握りしめていようと思う。
トランプの「エプスタイン文書隠し」に関しては、以下の記事をお読み下さると幸いです。
