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東海吹奏楽コンクールを聴いて―それぞれの音楽が響いた一日


8月30日、ホクト文化ホール。
第81回東海吹奏楽コンクール高等学校A部門を聴きに行った。
少し前まで、自分が東海大会まで聴きに行くとは思っていなかった。
きっかけは、30年以上ぶりに足を運んだ高校吹奏楽コンクールの地区大会だった。
高校時代、私自身も吹奏楽部に所属していた。
久しぶりに母校の演奏を聴いてみよう。
最初は、そんな気持ちだった。
ところが地区大会で高校生たちの演奏を聴いているうちに、すっかり高校吹奏楽の世界に引き込まれてしまった。
県大会は聴くことができなかった。
だから私にとっては、
地区大会の次が、いきなり東海大会。
全国大会の常連校も出場する舞台である。
正直、「どんな音がするんだろう」と楽しみにしていた。
そして一日を通して演奏を聴いた後、強く思った。
東海大会には、ひとつの「正解の音」があるわけではなかった。
それぞれの学校に、それぞれの音楽があった。




東海大会という舞台


会場に入り、ステージを見る。
地区大会と同じ吹奏楽コンクールでありながら、やはりどこか空気が違う。
ここまで来るために、それぞれの学校が地区大会や県大会を勝ち抜いてきた。
愛知、静岡、岐阜、三重、そして長野。
それぞれの県を代表する高校生たちが、同じステージに立つ。
でも、実際に演奏が始まると、「強豪校だから」「全国常連だから」という肩書き以上に、学校ごとに音楽の表情がまったく違うことに気づいた。
そこが、とても面白かった。

身体に届いてくるような音


ある演奏では、ものすごい迫力を感じた。
ただ大きな音が鳴っているということではない。
一つひとつのパートがまとまり、その音の塊が客席へ向かってくる。
それでも音楽は荒くならない。
まとまりを保ったまま前へ進んでくる。
身体に直接届いてくるような音。
吹奏楽という音楽が持っているエネルギーを、改めて感じさせられた。

響きそのものに耳を奪われる


一方で、音が鳴った瞬間、その響きそのものに耳を奪われた演奏もあった。
木管、金管、打楽器。
それぞれの音色が重なり合い、一つのサウンドになっていく。
迫力とはまた違う。
ずっとその音を聴いていたくなるような感覚だった。
同じ吹奏楽でも、これほどまで音の表情が違うのか。
東海大会を聴いていて、何度もそう思った。

一つになった音から生まれるグルーヴ


そして今回も、強く感じたものがあった。
一体感。
同じ楽器でも1st、2nd、3rdと役割が違い、それぞれが違う音を演奏している。
それなのに、一つのパートがまるで一人の奏者のように聞こえる。
そして、それぞれのパートが重なり合い、バンド全体が一つの大きな流れを作っていく。
私は普段、ロックやファンクなどを聴くことが多いからなのかもしれない。
その一体感を、
「グルーヴ」
のように感じた。
吹奏楽にこの言葉を使うのが正しいのかは分からない。
でも、それぞれの音が噛み合い、一つの大きなうねりになっていく感覚。
それは確かにあった。
そして、それもまた一つの吹奏楽の魅力なのだと思う。

20校あれば、20通りの音楽がある


一日を通して聴いていると、次第に「どこが上手いのか」ということを考えなくなっていった。
もちろん、コンクールだから審査がある。
金賞、銀賞、銅賞。
そして全国大会への代表が決まる。
それはコンクールとして必要なものだと思う。
でも、客席で音楽を聴いている自分にとっては、それとはまた別の楽しさがあった。
ある学校には力強さがある。
ある学校には繊細さがある。
音の美しさに惹かれることもあれば、演奏全体の一体感に引き込まれることもある。
自由曲の世界観に引き込まれることもある。
20校あれば、20通りの音楽がある。
どれか一つが正解というものではない。
それぞれの学校が、自分たちの音楽を信じてステージに立っている。
一日聴いていて、それがとてもよく伝わってきた。

結果表だけでは分からないもの


演奏がすべて終われば、結果が発表される。
その瞬間、喜ぶ学校もあれば、悔しい思いをする学校もあるだろう。
コンクールなのだから、それは避けることができない。
でも、客席で一日演奏を聴いた後に結果表を眺めていると、そこに並ぶ「金」「銀」「銅」という文字だけでは表せないものがあるように感じた。
ステージに立つまでに、どれだけ練習してきたのだろう。
個人練習。
パート練習。
合奏。
うまくいかなかった日もあったはずだ。
音が合わなかった日。
思うような演奏ができなかった日。
仲間と意見がぶつかったこともあったかもしれない。
それでも一つの目標へ向かって、毎日楽器を吹き続けてきた。
そして、その先にあったのが東海大会というステージだった。
結果表には、そこまでの時間は書かれていない。
でも演奏を聴いていると、その積み重ねまで音の向こう側にあるような気がした。

「東海大会に出る」ということ


30年以上前、自分も高校生として吹奏楽コンクールに出ていた。
だからこそ、今になって思うことがある。
高校生活は、本当に短い。
吹奏楽コンクールに出られる夏も、数えるほどしかない。
まして、東海大会という舞台まで進める高校生は、その中のほんの一部だ。
そこへたどり着くために、各校は自分たちの音楽を作り、自分たちの音を信じて県大会を突破してきた。
そして東海大会のステージに立った。
それだけでも、本当に素晴らしいことだと思う。
もちろん彼らにとっては、全国大会へ行きたいという目標があっただろう。
だから結果によっては、悔しさの方が大きかった高校生もいるかもしれない。
でも、今はそうだったとしても。
10年後。
20年後。
30年後。
自分の人生を振り返った時、
「高校時代、仲間と一緒に東海大会のステージに立った」
という記憶は、きっと消えないと思う。
私自身、30年以上経った今でも、高校時代に吹奏楽をやっていた時のことを思い出す。
演奏した曲。
一緒に演奏した仲間。
コンクールへ向けて練習していた夏。
当時は必死だったから、その時間が後の人生でどんな意味を持つのかなんて考えていなかった。
でも今になれば分かる。
あの時間は、自分の人生の中にちゃんと残っている。
だから、今回東海大会のステージに立った高校生たちにとっても、きっと同じなのではないかと思う。

夢舞台に立ったすべての高校生へ


全国大会へ進む学校。
東海大会で今年のコンクールを終えた学校。
結果はそれぞれ違う。
でも、この日ステージに立ったすべての高校生が、
自分たちの音楽を信じて、東海大会という夢舞台までやってきた。
それは、何にも代え難い経験だと思う。
演奏した十数分間だけではない。
そこへたどり着くまでの何ヶ月もの時間も含めて、この大会なのだと思う。
もしかしたら、その意味に気づくのは今ではないのかもしれない。
卒業して。
社会に出て。
何年も経ったある日。
ふと曲を耳にした時に、この日のステージや仲間の顔を思い出すことがあるかもしれない。
そんな記憶があることは、とても素敵なことだと思う。

東海吹奏楽コンクールを聴いて


地区大会を聴いた時、
「高校吹奏楽って、やっぱりいい。」
と思った。
そして今回、東海大会を一日聴いて、その気持ちはさらに強くなった。
迫力のある音。
美しい響き。
一つになった音から生まれるグルーヴ。
それぞれ違って、それぞれが素晴らしい。
でも、一番心に残ったのは、音そのものだけではなかった。
その音の向こうに、
高校生たちがこの日のために積み重ねてきた時間がある。
それを感じられたことだった。
全国大会への代表となった皆さん、本当におめでとうございます。
そして、東海大会のステージに立ったすべての皆さん。
素晴らしい演奏をありがとうございました。
結果がどうであっても、
自分たちの音楽を信じて、仲間と一緒に夢舞台へ立ったこの日のことは、きっとこれからの人生のどこかで大切な思い出になる。
30年以上前に高校吹奏楽を経験した一人として、私はそう思う。
そして、客席からその音楽を聴くことができたことを、とても嬉しく思っている。
高校吹奏楽って、やっぱりいい。
改めて、そう思った一日だった。

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