クララが立てなかった理由/考察【漢方医放浪記】
クララが立つことで有名な『アルプスの少女ハイジ』ですが、作中に病の原因や快復した理由の明言はありません。
純粋な読者はアルプスの自然と友情が齎した奇蹟と解釈するかもしれませんし、単純に読むと気持ちの問題だったように見えるかもしれません。医学を齧ると「くる病」や「脚気」の可能性が頭を過ぎりますし、生来病弱なる情報から先天性代謝異常や筋骨格系の遺伝病も鑑別に挙がります。慢性疼痛と捉えると複合的要因を想定することになりますから、例えば下降性疼痛抑制系に不調をきたしているでしょうし、すると作品全体が「痛み」に対する集学的治療に見えてきます。
安易に「心の病」と決めつけないほうがいい。
とはいえ「クララのバカ」で立てるくらいには、心の要素も大いに関与していたことも事実です。そもそもの心身二元論に限界があるのであって、梵我一如な東洋医学的視点こそ、時代に求められているような気がします。
さて、クララは現実にも存在し得るでしょうか。
「いたい!立てないよう、パパ。どうしよう。」
その日、階段で息子が泣きました。怪我をしたわけではないようで、しかし蹲み込んだまま動くことができません。左脚が全体に痛むらしく伸ばしたりついたりするとひどく苦しみます。捻ったり攣ったりしたのとも異なる様子で、西洋医学的診察しても特別の異常はありませんでした。
ここで「気のせいだ」と一蹴したら、それこそずうっと立てなくなってしまうかも。そう感ぜられるほどに彼の表情は鬼気迫り、半刻も経たぬうちに脚を伸ばすことに強い恐怖を抱き始めました。
漢方医学的アプローチを試みます。
脈は浮沈なく弦数。肝脈が暴れて脾胃を克しています。腹を按じますと、腹直筋が張ってかたく、ひどい胸脇苦満を伴います。心下痞もありますが程度は軽く、以て少陽病位と判じます。次いで経絡診断を行いますと、果たして足の厥陰肝経、太陰脾経、陽明胃経に尋常ならざる不調がみられました。
というか、痛みが経絡に沿っています。アレか。ストレスか。最近色々ありまして、息子は相当に我慢を強いられていたと見えます。自身のイライラする気持ちを押し殺しながら、どうにか過ごしていたのでしょう。先の誘引は妹への遠慮と我慢、それに怒られた恐怖もありそうです。叱るのが必要なときはあるけれど怒っても仕方のないことに腹を立てて子どもに怒りをぶつけるのはどうかと思います。兎にも角にも不調の根源が見えてきましたから、これは治療すべき病です。
先ず芍薬甘草湯を服し、緩み始めたら四逆散を與えましょう。どちらも筋肉の過緊張を解す妙薬で、芍薬甘草湯に柴胡と枳実を加えたものを四逆散と呼びます。四逆散は一応柴胡剤に分類される処方ですが、オウゴンを含まない特殊な組成です。例えば緊張型頭痛や過食嘔吐にも応用し得る霊薬といえましょう。これを息子に與えますと、
「にがい。」
と彼は顔を顰めました。ええ、苦いです。飲みやすくはない味わいですが、ここは堪えて飲んでもらいましょう。先に内服した芍薬甘草湯が甘くて飲みやすいものだから、これはひょっとすると順番を逆にした方が飲みやすかったかもしれませんね。
薬を飲み終えて、足の経穴に鍼を置きます。小児鍼でもよいのだけれど、ごく細く短い置鍼をすることにいたしましょう。そうしてゆっくり風呂に入り、眠る前にはどうにか立てるようになりました。
翌日、翌々日と足の不調は軽快したものの、何処となくスッキリしない様子でした。食べ物の好き嫌いが激しくなっているし、やたら甘い物を食べたがります。それでいて怠そうにゴロゴロしている時間が長く、イライラして怒鳴り声を上げます。
これは、疳です。
ひょっとすると、クララも似たような病態だったのではないかしら。そんなことを思いながら、私は息子のために抑肝散加陳皮半夏を用意します。
おいしい、と呟き薬を飲む息子の横顔を見て、私は自身の幼少期を想起しました。あの頃の不調を診てくれる人がいたら、また違う人生があったのかもしれないなぁ…なんて。
それから一週間もすると、息子は元気を取り戻しました。好き嫌いも軽減して、苦手な野菜にも挑戦しています。薬だけで病を治すことはできません。養生とは食と生活と心の営みなのですから。
拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは誰かの抱える不治の病が解き明かされて、快復と再生を果たしますように。
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